Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

First Step:まずしておきたいこと、知っておきたいこと

☆思い立つことあって、しばらく仕事関係のことについて、まとめを書いていこうと思います。このシリーズは日々書いている日記とは別の内容になります。書いた時にUPするので、横入りの記事です。これらの記事については、掲載後1日か2日経ったら、11/1くらいの昔の日付のところに置こうと思います。いずれそれも削除しようと思います。
☆趣味で書いているブログなので好きに書いてます。読まずに飛ばしてくださっても気にしません。
☆このシリーズは、日記とは違う文章スタイルで書いていこうと思います。副業でときどきする文章や電話によるカウンセリング風と書籍風の折衷です。


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自分の身近な人、家族がうつ病になると、「まさか!」と思う方は多いと思います。ましてそれが、ご自身が育て上げたわが子であれば、心配だけでなく、ご本人へのいろいろな思いが湧いてきて混乱しそうになることと思います。「どうしてこうなってしまったのだろう?」「自分が悪かったのではないか?」と自分責める気持ちも湧き上がってくるでしょうし、「甘えているのじゃないかしら」「学校や会社を休んだりするほどつらいものなのかしら」という思いもよぎるでしょう。
ご本人に対して、ご自分がどのように接していけばいいか、途方に暮れてしまうのも自然なことと思います。


とにかく手当たり次第、情報を集めようと考える方もいらっしゃいます。うつ病とはどんなものか、どういう治療がよいか、療養中はどのように過ごすのがよいか、家族はどうやって接したらよいか、などさまざまな情報を得て、できるだけのことをしようと考えます。
ネットや本で情報を集めたほうがいいのではないかと思いながらも、踏み出せないでいるという方もいらっしゃいます。情報過多になりがちな時代、何をどう調べたらいいか分からないという場合もあれば、調べること自体にまだ気持ちが向かないという場合もあるでしょう。


今日は、これらのことについて、お話したいと思います。


●身近な人がうつになったら
まず、最初の大切なステップとして、ご家族の方自身が受容するとよいと思います。
当事者ご本人へのさまざまな思いや気遣いはあるでしょう。しかし、そういった気持ちを「サポート」という形で実現していくためには、まず「サポーター」である周囲の方が強さや健全さを保っておくことが重要です。


身近な人がうつ病と診断されたとき、「まさか!」と思うのは自然なことです。いろいろな思いは湧いてくると思います。


●最初のステップ
「どうしてこうなってしまったのだろう?」
『今』を見てください。今、苦しんでいる家族がいます。今、心配しているご自身がいます。『過去』を一生懸命振り返って原因を探さず、『今』に集中しましょう。
『今』、仕事やプライベートなどの生活にやりづらさや困難さがあるのですよね。だとしたら、それが少しでも減って、つらい思いなく過ごせるようになっていくといいですね。
そのために、『今』できることを、できる範囲でいいので、ひとつひとつしていきませんか。
最初に取り組むのは、過去の原因探しはいったん忘れて、『今』を見ることだと思います。


「本人の心に甘えや弱さがあるのではないか」
「自分の育て方や関わり方が悪かったのではないか」
誰も悪くありません。うつ病は誰でもなり得る病気です。突発的な体の病気になった方がいたとき、本人が悪かったのだと責めたり、自分のせいでこの人は病気になったのだと自分を責めたりするでしょうか。
責めることもあるかもしれません。たとえば生活習慣病のような病気は、本人が節制できなかったとか、家族が用意する食事が適していなかったとか、つい責める気持ちになったりします。ですが、生活習慣病と言われるものも、なりやすい体質の遺伝もあり、本人の責任にして責めることへの疑問もあります。
うつ病も、「こういうタイプの人のほうが発症しやすい傾向にある」という研究はあります。だからといって、すべての人が発症するものでもありません。発症しにくいはずの人がかかることもあります。病気ですから、こればかりは分からないということだと思います。
たまたまなのです。「なぜ自分が」「なぜ家族が」という意味ではつらいことですが、ほかの病気同様、なった今それを考えても良いことがありません。ブラック企業で働いていて、違法な労働条件によって追いつめられたことが発症の原因というようなケースを除いて、原因や責任の所在を追求することはお勧めしません。
いつか症状が緩解して「あんな日々があったね」と落ち着いた気持ちで振り返れるようになったとき、「もしかしたらこういうことも影響していたのかな」とふと思うような時が来るまで、当事者ご本人や自分自身に対する否定的な気持ちはそっと横に置いておきましょう。


自分が忙しくて手一杯なときに、「ちょっとこれを手伝ってほしい」と言われたら、「私も忙しいのに」とストレスに感じる方が多いと思います。そういう状況をイメージしていただくとよいと思います。人を手伝うには、自分に余力が必要です。ご自身の余力はどれだけありますか? 無理をしないようにしましょう。無理をするとストレスが重なり、ご自身が疲れてしまいます。今よりも当事者ご本人への気遣いができなくなり、ご本人もつらくなります。その状況がご家族にはさらなるストレスになります。ネガティブスパイラルに入ってしまいます。
そういう事態を防ぐために、まず今の状況をあるがままに受け止め、ご自身を責めないように考えることが第一歩です。これはとても大切な第一歩だと思います。


今を見ましょう。そして病気は病気として見ましょう。
誰のせいでもないし、誰かに責任があるものでもありません。
今の状況やご自分の思いについて、否定的・批判的に考えず、あるがままに受け入れてみてください。今は自分を癒し、サポート態勢を整えるときです。あなたはそのままでいいし、当事者ご本人もそのままでいい、誰も悪くありません。そこから始めていきましょう。


●何を知っておけばいいか
周囲が支えるためには知識が必要なのではないかと思われることもあるでしょう。
インターネットで検索するだけでたくさんの情報が手に入ります。うつ病に関する本もいろいろ出ています。うつ病というのは、それだけ「よくあること」「一般的なこと」と言えるのかもしれません。
どのようなことにも言えると思いますが、情報収集の際は各自の情報リテラシーが必要になってくると思います。何事につけ情報が溢れています。数多くの情報から自分が必要とする情報を絞り込む力、正しい情報と誤った情報を見定める力、自分に合った情報を見極める力、などが必要となってきます。
知ろうとすることは大切だと思います。ただ、情報が溢れているので、何を知るべきかを判断するのは難しい時代でもあります。自分にはどのような情報が必要か、情報収集前に目的を明確にしておくとよいのではないでしょうか。また、得た情報は複数の情報源で確認していただきたいと思います。いつの情報なのかも大切です(古い情報であれば最新の情報も併せてチェック)。中には反対のことを言っている情報もあるでしょうし、そもそも情報量が多すぎて混乱してしまうという場合もあるでしょう。全部は覚えることも実践することも困難ですから、その中から自分に合った情報をピックアップする必要もあると思われます。、


情報収集をする気持ちになれないときは、無理にしないほうがよいかもしれません。今はまだ、そのような作業をする段階ではないのかもしれないからです。ショック状態から覚めきっていなかったり、日々に追われてそこまで考えられなかったり、疲れていたりするかもしれません。
やらなければと考えて負担を感じるより、自然なお気持ちに任せるのもよいと思います。
「でも、最低限のことは知っておかないと、対応を間違ってしまうのでは?」という心配が浮かんでくるかもしれません。そのときお勧めなのは、厚生労働省などが公開しているページです。大変端的に、最低限必要なことが書かれています。厚生労働省がこころに関する情報を分かりやすくまとめた「こころの耳」というサイトがあります。ですが、こころに関するさまざまなことが書かれていますので、「今はとりあえず必要最低限のことだけ」というときは、「厚生労働省 うつ病 家族」や「こころの耳 うつ病 家族」などで検索して、「ご家族にできること」など必要なページだけ見てみましょう。いずれ知りたいことが増えたら、また見ればいいのです。
各地の精神保健福祉センターや保健所が情報提供しているページや、医師や病院が解説しているページ、カウンセラーが書いているページ、などいろいろあります。ですが、まだ詳しく調べる気になれないというときは、とりあえず信頼でき、最小限にまとめて書いてあるページを見てはいかがでしょう。
まだそこまでできない、というお気持ちも大切にしてあげてください。


情報を集めないとしても、これだけは知っておいたほうがよいと思う家族の対応はあります。
「原因を探さない」――さきほどから書いていたことです。
「励まさないこと」――「頑張って」とか「私たちも応援してるから」といった励ましを伝えたくなりますが、心が弱っている状態のご本人には普段以上の大きな負担となる可能性が高いです。
「無理せず、普段通りにする」――なんとか励まそう、癒してあげよう、と特別なことをすると、ご本人の負担になることがあります。特別何かをするのではなく、自然に生活するとよいと思います。ですが、心が健康なときは普通にできたことも、心が疲れきっている今は楽しめなかったり、つらく感じてしまったりします。心が健康だったときよりは、少しゆるやかに許容するとよいでしょう。一日中眠っていても、回復のために眠りが必要なのかもしれません。生産的なことをしていないように見えても、今はそういう時間が必要なのかもしれません。心や体は分かっているので、治癒の方向に向かうために自然にそうしているのだと捉えてみてはいかがでしょうか。



最初のステップは、気持ちが動揺や混乱を感じている中で進んでいくので、戸惑いも多いと思います。
今日が昨日より少しでも落ち着いた日であったことを願っています。
そして、明日は今日よりひとつでも明るい気持ちになることがありますように。

ゼロSTEP:自己紹介がてら

☆しばらく仕事関係のことについて、書いていこうと思います。このシリーズは日々書いている日記とは別の内容になります。これらの記事については、掲載後1日か2日経ったら、10月くらいの昔の日付のところに置こうと思います。しばらくしたら、それも削除しようと思います。
☆このシリーズは、日記とは違う文章スタイルで書いていこうと思います。
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見ているブログの人が書いていることに何か言えることはあるかな、と思ったりしたけど、見ているだけで交流はない仲(?)なので。


万一どこかにこのブログをずっと見てる人がいたら察しているかもしれないけれど、わたしは障害をお持ちの方の支援をする仕事をしている。「障害者」というと重い響きに感じるとしたら、そんなことはない。同じ人間、同じ日本人だもの。困難は抱えていても、軽い困難の人も大変な困難な人もいる。その間のいろんな生活しづらさの段階ががある。等級っていうのは一応区切りをつけなきゃいけないので、こうだったら3級とかあるけど、人それぞれ。わたしにストレスや生きづらさがあっても、程度がそんなに大きくないから障害とは認めてもらえない、でももう少しつらくなったら認められるのかも。という感覚。健常者と障害者にはっきりと区別をつけるのは、サポートするためであって分類や差別化をするためじゃない。


車椅子とか、聞こえない人や難聴の人もいるし、精神障害の人、発達障害の人、高次脳機能障害の人とかいる。
障害っていうのは、それによって生活に困難やしづらさがある場合に使う言葉で、発達障害があっても生活に困難を感じなければ障害ではないという考え方もある。


精神障害では、わたしがいるところに来る方だと、うつ病、統合失調症が数としては多いかな。でも、他にもあまり聞くことがないような名称のものもある。


うつ病が精神障害ということではなくて、うつ病は疾患。もしかしたら、違う名称かもしれない。適応障害とか、急性ストレス障害とか、いろいろ名称はあるから。うつ病が治っても、そのことでストレスへの対応力が減ってしまって、健常な人よりダメージを受けやすいから、それを配慮してもらいながら仕事や生活をしようかな、と思って精神障害者保健福祉手帳を申請して認定されたら障害者としてのさまざまな保護を受けられる。手帳を取らずに普通に生活する人もいる。


わたしのいるところは、介護とか福祉とはちょっと違うのだけれど、精神保健福祉士という資格を(会社の要請ではなく勝手に)勉強して取った。そのあと、キャリアコンサルタントというのを取った。実はキャリアコンサルタントって、心理系の職とされているので。心理系の資格が欲しかったのだ。それをもとにカウンセリングというものをしてみたかったから。たまに副業で行う。少し頑張ってやっていたら、消耗してしまったので、たまににした。自己研鑽と社会貢献という理由で認めてもらっている。


わたし自身も6月頃メンタルクリニックに行った。休職を勧められた。たまたましなかっただけ。


えっと。何が言いたいかというと、


話したいことあったら聞きますよ。
つらいときあったら言ってくださいね。


という気持ちだけでも伝えておこうと思ったということ。


この記事はしばらくしたら削除しますね。

本日おやすみ

本日ブログお休み。
また明日お願いしますm(__)m


そういえば、昨日の夜、4回目を接種しました。腕痛いけど、前回までと違い今日普通に動けた。休むのもありかと思っていたのに、仕事も来た。

10/30 日々のこと(日記)

遠出しなくなった。
飲みに行こうかなと思っても、遠くに行かない。
同じ都内、渋谷とか新宿程度でさえ行かない。
**駅のどっかに…なんて、すぐそこ、15分。
年なのか、もともと出不精だからか。



死にたいわけじゃないが、生きるのに疲れたように感じる。
生活に疲れたのかな。
お金がないと生活できないこと、お金のために毎日働くこと、やらなきゃいけないこと、そんないろいろに。
年かな。



年って言っちゃいけないのよ。でも言っちゃう。
それも年ってことなのかな。

10/29 日々のこと(日記)

一人暮らしではなくなってから久しいので、一人暮らしが想像できない。


利用者の方が、妹家族と同居していて、ここを利用している間は居住施設に入っているが、今度一人暮らしをする、という。
部屋を借りて、妹家族の家から荷物を持ってきて、準備しなければならない。
もちろん確定ではないけど、おそらくこの後も独身だよね。
今、一人暮らしみたいな生活だから、慣れたと思うけど、荷物ごと持ってきて今後はずっと一人暮らし。。。


友人のいとこが旦那さんを亡くされたらしい。
それ以来外にも出ていないようなので、行ってみた、と。今は悲しい、寂しいだけのようだから時間がかかりそうだと。
時間をかけたら慣れるのかな。
わたし、そんな日がきたら大丈夫かな。
今でも熱烈に愛しているかと言われると、そうでもない。愛情とは別に、慣れ親しんだ人や物や土地や、とにかく慣れ親しんだものとの離別は大きな負荷。
非常の時に頼る血縁もない。
大丈夫かな。なんて。大丈夫なわけない。