のんびりした毎日(シリーズ:翌4月からの仕事)
それなりにあれこれやることはあったりして、ちょこまかと細かいやらなきゃいけないことが起こったりして(親戚の通夜とか、そういう)、そこにもってきて資料作成が大変だった。
この資料作成にやたらと時間がとられていた。同じものを単に違うプロジェクターで映し出すから作り直すってだけの、なんか無意味な作業。
でもそれにめどがついてきたら、その他細かいことはいろいろ起こっても、やっぱりのんびりした毎日だと思った。
古代のギリシャ人は哲学を発展させた。
哲学なんてものは、まんが日本むかしばなしみたいに日々生きること、仕事をすることに追われていてはできない。(今、まんが日本むかしばなしをスカパーで見てるので。庶民で正直者だと朝から晩まで働きづめな人が多いなぁ~とつくづく。)
あまり哲学に明るくないのでうろ覚えだけれど、アリストテレス? 暇がないと観念を発達させることはできない、というようなことを言っていた。内容自体もうろ覚え。
とにかく哲学なんてものは、まんが日本むかしばなしみたいに、夜明けから日暮れまで畑を耕していたり、朝から晩までべこを世話してべこと仕事したり、一日中山で仕事をしたり、そんなことをしていてはじっくりと考えることもできない。
実際は暇というより時間で、のほほんと休む休憩のことではないそうだけど、要するにおゼゼと生活に振り回されていては、哲学なんてものはできないのである。
当時、ギリシャでは奴隷が働いてくれるという時代だった。
わたしはまだ生活に追われている身だけれど、職場Bをリストラされて暇ができた。
これをあと何年もは続けられないけれど、半年くらいだったら職場Aだけで暮らすこともできる。
のんびりした毎日。
こういう時間がほしくても、自分から辞めるなんて、できるわけがなかったから、よかったのかもしれないなぁ。
こんなにものごとを思いついて、こんなに書くことがあったり、実際書けたりするのも、きっと前より暇があるからだ。
それで何ができるわけでもないけど。
哲学を考え抜くことも、何か素晴らしいものを作りだすこともできないし、ブログを書いたからって生活の足しどころかって感じなので、本当はバイトでも探すべきだろうけど。
でも、こういう時間、きっと必要だった・・・・・・