「そういう人、いる」があまりに身近で(アガサ・クリスティを読んで)
+----+----+「魔術の殺人」から抜粋+----+----+----+----+----+----+
「ミルドレッドは、あまり幸せじゃないんでしょ?」
「そうなのよ、ミルドレッドは幸福じゃないわね。あの子は子どものときからふしあわせでしたよ。いつも陽気であかるかったピパとは正反対だったわ」
「きっとミルドレッドには、幸福になれない理由があるのね?」とマープルがいった。
キャリイ・ルイズはしずかにいった。
「嫉妬深いせいからなの?そうね。でも人は感じたいことを感じるのに、べつに理由はないんじゃない、ジェーン?」
ミス・マープルの頭にセント・メアリ・ミード村に住んでいたミス・モンクリッフのことがちらっと浮かんだ。彼女は、まるで暴君のようにわがままいっぱいの病弱な母親の奴隷だった。哀れなミス・モンクリッフは、ずいぶん前から世界を見に旅行したがっていた。そして、ミス・モンクリッフの母親が不帰の人となり、ミス・モンクリッフにちょっとしたお金が入って、とうとう自由の身になったとき、どんなにセント・メアリ・ミードの人たちがホッと胸をなでおろしたことか。そしてミス・モンクリッフはせっかく旅行には出たものの、フランスのイエールまでしか行けなかったのだ。そこで、母親の昔の友だちを訪ね、その老婆の憂うつ症にすっかり同情したあげく、旅行の予約をみんな取り消して、またまたこきつかわれるために、その老婆の家に住みこんでしまったのだ。旅行へのより強い渇望を胸にいだきながら。
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わたしの母は、ミス・マープルの回想の人そのままに思える。
母はIの治療を間近で見ている。まだ普通に仕事はしているけれど、まったく普通の人と同じとはいえない。
治るための治療ではなく、できるだけ現状のままに抑えること、できるだけ長く普通の生活を送れることを目的にしている。
Iの新しい薬の副作用がこれまでより重くて、母は当然心配している。
人間というのは複雑なもので、純粋な心配もしているけれど、それ以外にもいろいろな感情がある。
母は自分が苦労してきたという話をするのが好きだ。自慢とはちょっと違うのだが、響きは似ている。「私は人一倍苦労した」と宣言する。そして聞く人たちから「そのとおりだ」と肯定してもらいたがる(してもらいたがるというか、肯定されないと気を悪くするというのが正確か。)
「嫌だ。たくさんだ。ずっと看病ばかりしてきた。お父さん(母の夫)、おばあちゃん(母の母)」――そして今度は、Iなのか、という嘆きだ。
微妙な気持ちから、わたしはうまく相槌が打てずに曖昧にうなずいて終わりにした。
その自慢めいたというか、悲劇のヒロインめいたというか、「私はこんなに大変だった」にうまく讃辞を送るのが面倒だった。
「なんで私ばっかりこんな目に合うのだろう」というのが母の言い分なのだ。
父は病気が悪化して亡くなったので、最後は毎日病院に通い続けたし、その前も病院への送り迎えなどをしたりしていた。
祖母は早くからうつ病になったり、それが元でそれなりに回復しても家から出ない生活で、母にはあまり自由がなかった。最後の3,4年は介護の状態になっていき、老衰で亡くなった。
祖母は自分の娘だったためか遠慮がなく、母が隣近所のつきあいでバス旅行に出かけるのさえ、嫌がった。「家族(自分)がこんな(病気のような)状態なのに、外を出歩いてるなんて」と非難していた。
祖母が亡くなったことは悲しいことだったが、母は解放された。(そのときはIも今より平穏なホルモン治療だったし。)
旅行でもランチ会でも、もう文句を言う人はいない。
これまでできなかったことを、足腰のたつうちに精一杯すれば、とわたしたちは思った。
一応そういうこともしているようだったが、母は長兄伯母のところに足繁く行くようになった。
長兄伯父の認知症がひどくなり、介護が大変になってきていた。
長兄伯母も年なので、足が弱い。(結局のちに手術をすることになった。)介護は大変だったのだ。
一人息子は離れて暮らしていて、車でならそれほど遠くない土地ではあるが、毎日のようには来られないし、毎週のようにもなかなか来られなかった。
一人息子の嫁は、ずっと昔に「私はこの家の嫁でありたくない」と籍を抜いたような、賢い人だった。でも一人息子のことは愛しているので、籍は抜いたが内縁の妻として一緒に住んでいる。籍を抜きながらも「大変な時は手伝わなきゃ」なんてちょっとやってきたら、そのままズルズルになる。この人は決して近寄らなかった。一人息子だけがやってきた(来るとしたら、だ)。
母は頼まれてもいないのに長兄伯母の手伝いに通い、行けばこき使われていた。
母の運転で銀行、買い物、お寺さん、ご近所さん、用事を全部済ませる。
長兄伯父の世話も手伝わされる。体を拭いて、寝返りを打たせて、服を換えさせる。
母が行くのは勝手だが、母だけではできないことがあったり、夜間の運転は母も不安になっていたりして、Iまでが駆り出されるのが、わたしはそれこそ「嫌」だった。
長兄伯父は亡くなった。
それでも母は長兄伯母の用事を言いつかりに出かけていく。
何をしても礼の言葉もない。お茶のひとつも出さない。
膝だか股関節だかの手術で入院することになれば、看護師さんに「今度の外泊では誰か家にいてくれる人はいますか?」と聞かれ、母のことを挙げている。
お菓子を持参すれば、「最近こういうものは食べない」と受け取らない。毎年誕生日に持参するシクラメンを持っていけば、「入院しちゃうから今年はもらっても迷惑だ」と言われる。コーヒーが好きだからとコーヒー粉をみやげにすれば、「今は一杯ずつドリップになってるやつがあって、それがとても便利。こんなのは淹れにくい」と文句を言われる。
――とぶつぶつ言いつつも、こきつかわれに出かけていく。
わたしから言わせれば、嫌なら行かなければいい、だ。
この「ぶつぶつ」を、帰ってきてIにえんえん聞かせるのをやめてやってほしいと思う。
そんなに嫌なら、行かなければいいのだ。もう今さら、嫁と姑でもないだろう。お互い75と85だ。
でもねぇ。
結局は、母は行きたいから行っているのだ。
ものすごく嫌な思いをして、ものすごく自己犠牲をしていると考えていて、ものすごく理不尽だと思っているのは確かなのだが、でもやっぱり行きたいから行っているのだ。
父と祖母までは犠牲になるしかないことだったとしても、長兄伯父と伯母についてはそこまでの義務はないのだから。
よく本を読んでいて、「ああ」と自分の知っている人を思い浮かべることがある。
結局、ミス・マープルが村の誰かれを思い出して犯人を当てるのは、ゆえあることなのだ。人間はそれほど違うものじゃない。
身内のことだけに、あまりに「ああ」と思ったので、ちょっとこぼしたくなった。
追記
その後、冒頭に引用したミルドレッド・ストレットが警察の聴取に答える場面では、ミルドレッドは邸に集まる入り組んだ身内たちについて、歪んだ見方を披露する。
本人は、「私だけが見通している」と思っているのが、描写から見てとれる。その歪んだ、相手を貶めようとする見方が、「物事の本質を見極めている」からだと自負しているようだ。
――ここでミルドレッドが言っている身内たちの評は、いかにもわたしの母が言いそうだ。そして母も、「どうしてだか教えようか」と自分だけは知っているふうに言うのだ。
あながち間違いではないけれど、ちょっと歪んでるよ、ということが多い。間違いではない部分は、誰でも見てとれるレベルのことだし。
でもミルドレッドが最後には母と愛し合っていることが描写されたように、うちの母も別に悪い人ではないのだ。
つきあいにくい性質の人というだけで。
――違いはというと、物語と違って、母はミルドレッドのように「叔母さま、変なところがなくなったし」とはいかないだろうってことだが。