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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

2023/4/30 奥多摩ビアドライブ⑤⑥ 武蔵御嶽神社


奥多摩駅から車で移動。
御岳登山鉄道ケーブルカーの発着駅である滝本駅の駐車場に車を停める。


ケーブルカーに乗り込む。座ることができてホッとした。


ケーブルカーを下りると、しばらく歩くことになる。
時折雨がぱらつく天気の日で、雲が晴れると青空が見える一日だった。
山の上は湿った空気で、肌にしっとりまとわりつく。舗装路は濡れていた。濃密なしっとりした大気に包まれているけれど、雨は降っておらず、傘をさすことなく歩いて行くことができた。
霧か靄がうっすら出ているような湿気の多さで、神秘を感じる道のりだった。


舗装はされているけれど、上に行くにつれ勾配は急になり、息が上がる。登りきれるかな?
最後の階段は330段ほどあるという。途中で止まったら上りきれない気がする。それに、わたしは軽い高所恐怖症があるから、止まって後ろを振り返ったりしたら、怖くて歩けなくなるような気がする。
階段は止まらずに上りきろうと思った。もちろん、本当に一度も止まらないなんてことは、できなかった。できるだけ止まらず、止まったら少し息を整えるだけでまた歩き出す。
ようやく上に着いたー!


ゆっくり歩いても上りきれるらしいケイさんとホッシーさんを待ち、神社へ。
令和5年は「大口真神式年祭」という12年に1度の神事が行われる年だった。大口真神とは、おいぬさまのことだそうだ。
4月15日から5月21日までの期間は、毎日四回斎行の「毎日祭」という祭事をしていて、参加することができる。
予約をして、昇殿券を買っていた。


祭事が行われる本殿に行くと、中は立派で、引き締まる。
有難い飴が置かれていて、いただけるようだ。


有難い祭事に参加することで、何かいいことがあるといいな。
これからの毎日へのパワーをいただけるとか、気持ちの切り替えができるとか、静かな心持ちになるとか……。



12年に1度、卯年の「大口真神(おおくちのまがみ)式年祭」。大口真神社内に座す御神像を本殿へ遷(うつ)すそうだ。毎日祭では、拝殿で大口真神さまに参拝することができるという。


所定の位置に座ると、白い装束の神主さんのような方がやってきて、挨拶ののち、祭事を執り行った。
ひとつひとつの所作について、詳しくはもちろん分からない。とはいえ、説明にあったようなことを行っているのだということは分かった。おいぬさまを移し、拝む。
わたしたちも神妙な気持ちでその儀式を見、礼や合掌などの所作を求められたときはした。


この祭事に参列したことは、ホッシーさんが後々も語るイベントとなった。あの日の思い出を少し話していると、「有難い行事にも参加しましたしね」と言ったりするのだ。そうでしたね……としみじみする。


ただ、わたしは、その後のおみくじで凶を引いたことが衝撃で、とにかくこの神社というとあの「凶」」が思い出される。凶を引いた出来事が大きすぎて、祭事のことはホッシーさんに言われて「あ、そうだ、そういうこともあったな」と思い出すくらい、凶の思い出に圧倒されている。


祭事が終わり、神妙で有難い気持ちになり、うっすら霧に包まれた神社内を巡った。おいぬさまとはニホンオオカミのことだという。ヤマトタケルの伝説もあり、奥の院のある山は美しい円錐形をしている。霧の中に見える円錐形の山頂が写真にも写っている。


最後に、満を持した気持ちでおみくじを引いた。おみくじを引こうと思うのはわたしくらいで、ホッシーさんとケイさんはただ見ているだけ。
書かれた金額を納めて、おみくじを引く。引いた番号のおみくじを隣の箱から取り出す。
えっ!「凶」だって!!
しかもその内容は徹底的だった。自分の思い描いたようには物事が進んでいかないことが多い、人を頼りにしても相手に誠がない、ことごとく苦労が多い、争いごとも起こる、祖先の霊に祟られているかのようである。……そんなに?
最後の一文は、自分の置かれている状況を変える努力と、信仰心を持つと良い、だった。


あまりにショックで、諦めきれず、もう一度引いてみた。
今度は吉だった。女性ならば出世の道が限りなく開く、道徳を守っていれば行く末は先祖の名前さえ知られるくらいに栄える、とこれも徹底的だったが、とにかく凶のショックは大きかった。
吉のおみくじに書かれていた「自分より品位・身分の高い人に仕えなさい」「心を正直に、素直にいなさい」という教えは守ろうと思った。
自分より品位・身分の高い人の見極めができていたかどうか、今となっては疑問だ。また、正直すぎて自分の感情まで全部ぶちまけてしまって負担をかけた人もいた(一番は夫だろう)。


あとあとまで尾を引いたおみくじだった。「やはり凶の運勢なのか」と思う出来事があり、その後もずっと落ち着かず。あの時引いた2つのおみくじの教えをよく思い出した。「所を替えなばよかるべし(自分の置かれている状況を変える努力がよい)」「我より尊き人に使ふべし(自分より品位・身分の高い人に仕えなさい)」
半年以上経ってこの時のことを書き始めたとき、ネットでおみくじのことを見ていると、「武蔵御嶽神社のおみくじは恐ろしいほど当たるという人が多い」というような記述を見た。自分もそんな気がする。


改めて写真を見ると、おみくじの説明も撮っていた。
櫛麻智命(くしまちのみこと)みくじというそうで、江戸時代から版を変更していないと書かれていた。現在のおみくじのように学業や恋愛などに細かく区分されておらず、現状での運の持ち回りが示されるとのこと。
凶が出てよかったと今は思う。いろいろなことがあったが、たぶん避けられないことだった。そういう流れだった。自分がしたこと、自分が何もしなくても転がっていく物事、さまざまな変転の中でいつもこの凶を思い出した。そして「所を替えなばよかるべし」「我より尊き人に使ふべし」を思い出していた。
今引いたらどういう運勢が出るのか、行ってみたい気がする。当たっていただけに、ちょっと怖いけど……。


ところで、これも後から思い至ったことなのだが、この時点でわたしは忌中だった。
2023年末、サービス提供の停止期間で静かな中出勤していたわたしと、サービスにあまり関係しない部署なので普通に出勤していた大海(おおみ)さん、暇な時があるとちょっと話したりしてのんびり仕事をしていた。
そういう話の中で、お正月の話になり大海さんに言われた。「喪中だから初詣行けないじゃん」――え?
言われてみれば2023年度は2022年度末の義父の他界から始まった。しかし、わたしの頭の中に「喪中はお参りをしてはいけない」という考えがなかった。


調べてみると、現代では喪中の決まり事をすべて守ることは難しいので、「忌中は神社への参拝は控えた方がよいが、喪中は問題ない」というのが一般的らしい。
忌中とは49日の法要まで。喪中は1年間。
仏教であり、先祖を大切にすることはむしろ良いことなので、忌中や喪中であっても寺への参拝はよい。神社は神道で、死を「穢(けが)れ」と捉えるので、参拝を控えるべき。「穢れ」とは汚れではなく「気枯れ」だという説もあった。いずれにしてもそういう状態で神域に近づいてはいけないという意味があるようだ。
――あれ、もしかして?と思い計算してみると、武蔵御嶽神社に行った日はまだ忌中だった。だから凶だったということではないと思う。もし、だから凶だったとしても、それは生命力も運気も低迷しているような状態だったからだと(勝手に)思う。
何人か「知らずに忌中に神社にお参りしてしまったが、どうしたらいいか」と質問している人がいたが、ほとんどは「神様は慈愛深い存在であり、それで手ひどい罰を下すことはないだろう。気になるなら、事前に神社に事情があって忌中に参拝することを伝えお祓いなどをしてもらうとよい。行ってしまった後なら、忌中が明けてから再び訪れ、事情を説明しご祈祷などをしてもらうとよい。」と回答されていた。もう一度行くのはひとりではなかなか難しいので、その方角を向いて拝んだ。


2024年2月に入る今、本当に凶な一年だったと思う。でも、凶が出ていてよかったと思う。覚悟ができたから。


さて。そんな参拝だった。
気合が入っていただけにショックは大きかった。


帰りましょうか。ふぅ。
霧の中を下っていった。舗装路で歩きやすい。神社のすぐ下は、静かな商店街。また、集落のような感じのところもある。宿坊を営む御師がいるという説明が公式サイトにあった。この山の上は神社と神社を巡る人々の場所なのだな。


To be continued…


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