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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

やる気がないこと、あるいは暇があることについて

ただただぼーっとしている。

ダブルワークして2つの仕事を組み合わせていたということは、それぞれは毎日あるわけではなく、その上この時期は残った仕事が閑散期になるので、ダブルワークしていても平日休みがそれなりにあるというシーズンだった。

 

来年はフルタイムの仕事を探そうかと思ってきたので、この時期に片づけたいこともあった。

それなのにどうだろう、この怠け者気質は。何もしない。

 

ここで頑張れるなら、そもそももっとまともな人生を歩んでいて、今頃は子供の大学進学でも心配しながら毎日働いているだろう。

 

Iの若干の(と思いたい)悪化が分かってから、まるでそれを口実にするように、ただただぼーっとした日々を過ごしている。

 

救いは山歩きに行く日があること。

4日も5日も家でアメリカドラマを見たりブログを書いたりという引きこもりな生活をしていたら、たぶん焦りと自己嫌悪でもっとくさくさするだろう。

 

去年からハマった山歩きだが、わたしと夫が行けるようなのは低い山に限る。そして低い山のシーズンは冬。長くて秋から冬、春まで。

だから暇があるときに行きまくろうと思ってた。来年は平日が使えなくなるから、もうこの始まったばかりの趣味も終わりかもしれないから。

 

いくら低い山だといったって、登ったり下りたりは激しい運動なので、わたしたちなどには毎日行くことはできない。せめて間に2日ははさみたい。

天気が悪いと行けないので、必ず3日おきに行けるものでもない。たまには仕事があるのでそういうときは行けない。

すると、ほどよく次の山歩きの日を待ちながら、日々が過ぎていくのだ。

 

 

昔、もっと本を読んでいた頃、古典が好きだった。でもなぜか自分の国の本にはあまり向かなくて、外国文学を読んでいた。つまりヨーロッパってことだ。

 

すると上流階級は仕事というものがないような状態に見える。

その代わりお金があるのだから、旅行に行くこともできるし、やることはたくさんあるのだろうと思った。

それでも毎日に目的がないのってどういう気持ちかな、と思ったりした。

 

だけど思えば小刻みな予定がいろいろあって、それで楽しめるのだなと今なら分かる。

 

明日はA家を訪問することになっている。3日後はB家の晩さん会がある。そのために前日は服の出来具合を見に行くことになっている。

そんな具合で、あれこれ小刻みに予定があると、日々が過ぎていくものなんだな。

 

 

もうひとつ思うことがある。

 

豪華客船で長い船旅って、いったい何を楽しむのだろう? と、貧乏生まれのわたしなどは思ったものだ。

 

だけど少し前に久しぶりにアガサ・クリスティを読んで、社交を楽しむのだと分かった。

つまり、わたしなどは楽しめないだろうということだ。海だけ見て楽しいわけじゃないんだもの。

 

「復讐の女神」の中でミス・マープルが、かつての「カリブ海の秘密」で知り合った大金持ちのラフィール氏から依頼を受ける。何を頼みたいかも秘密で始まった奇妙な捜査。

とにかくラフィール氏が生前に用意していた段取りに従うしかない。

ミス・マープルは、ラフィール氏がミス・マープルのために申し込んでおいたという庭園見学ツアーに参加する。

 

この中でミス・マープルだったか誰だったか、「こういうツアーの楽しみは社交だ」というのだ。

もちろん古く素晴らしい庭園や館を見るのが好きでなければ楽しめないが、ただそれだけではツアーの意味がない。社交がなくては。

 

それとも「カリブ海の秘密」のほうで、南の島のホテルで過ごしているときに言うのだったかな?

「こういう南の島の楽しみは社交だ」と。

 

何週間も滞在して、海を見るにも飽きが来るだろうし、ミス・マープルなど一人で行っている。話し相手もなくて楽しいのかと思うが、行った先で社交をするわけだ。

そのホテルに集まっている旅行や長期滞在の英国人と知り合い、昼は会話をしたり、夜は夕食をしたり、ときには連れ立って散策や見物ツアーに行ったり。

ホテルの主人夫婦も当然そのことをふまえて行動している。つまり大きな館に招かれて長く滞在している客人同士みたいなもので、ホテルの主人夫婦は館の主人夫婦――つまりホストとホステス。客同士の間を円滑にする役目を担っている。

 

だからミス・マープルのような、海遊びをするわけでもなく、一人座って編み物をしているような老女も滞在を楽しめる。

 

わたしが北海道なり沖縄なりのホテルに一人で3週間泊まるというような状況とは、わけが違うのだな。

ホテルというのがそもそもあんなじゃない。

 

ロビーでくつろいでいる同士、声をかけて知り合いになったりして、仲が良くなれば「今日の夕食はご一緒のテーブルで」ということもある。

ホテルの庭やすぐそこのビーチで過ごしていれば、声をかけてくる人もいて、知り合いになって、よく話をしたり、時には「明日はどこどこの景色が素晴らしいというので車で出かけるんですが、いかがですか?C夫人やD夫妻もいかれるんです」と誘われたりする。

 

普段とは違う社交を楽しむのが旅行なのだ。その時代の、中流の人たちの。

なるほどね。

 

 

あれ、なんだか話がそれてしまったように思うが、「暇がある」ということについてってことだ。

正確には「暇はあるけど、金はない」というのが現状だけど。




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