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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

飲み屋の与太話

気を悪くなさる方がいらしたらごめんなさい。



でもあるかないかも分からない役得目当てでバーのホステス役をやっていると、つい皮肉な気持ちにもなるってものなんで、そういう心理状態だったから仕方ない。


相手は仮に『老師』としておく。
あるかないかも分からない役得とは、またいつもの「翌4月からの仕事」で、「ちょっとは口添えしてもらえるかな?」というもの。
でもそれは「かなりの確率で無い」と分かってきたので、ホステス役のやる気は落ち気味。


『老師』はアメリカドラマ風に言えば「コンプリケイテッド」なお立場なので、ご自分からは偉い方などに「それであの件どうなってるの?」というようなことはお聞きにならないのである。(ということがここ2ヶ月くらいで分かってきたのである。)
『老師』はコンプリケイテッドな立ち位置で、公的にはパート的スタッフだが、非公式には正社員的スタッフに片足ツッコんでる人である。もっと正確には、「『元正社員だったが今は契約社員的になっている人』の立場に似た立場」である。
訳が分からない話だと思う。だから詳しく説明するのはやめて、「It’s …… complicated」で済ませるしかないのだ。話し始めたら短編小説2つ分くらいかかる。
『老師』はそのコンプリケイテッドな立場のため、行動心理もコンプリケイテッドである。あれこれあって難しいのだ。


『老師』はわたしをひいきにしてくれる。別にわたしだけではないが、『老師』の「ひいき」と「そうでない」の分類の「ひいき」側に入れてもらっている。
もちろんそこは人間、誰でもそうだが人の好き嫌いというのは、多分に利己的なものである。
『老師』は『老師』なりの理由で好き嫌いがあり、おつきあいが深まるにつれ、わたしもなぜ自分が「ひいき」側で、なぜあの人がそうでないか、分かるように思えてきた。中には「かつてひいきだったが、今はそうでない分類になった」という人もいる。それも理由が分かるように思える。


人を見ていて、分かったように思えてくると、それに沿って行動するようになる。
たとえば自分はものすごいスポーツ好きなのに相手は大嫌いと分かったら、スポーツの話は振らなくなる。ほかに共通の話題がなければ、だんだん話をしなくなるかもしれない。
相手が上司とか何か自分の利害に関わる人物なら、スポーツ以外の話をしようと努力するだろう。


わたしも、あるかなきかとはいえ役得があるかもしれないので、『老師』には好きそうな話題を振ることにしている。好まれそうな合いの手を入れることにしている。
たいがいの人がそうだけれど、話を聞くより話すほうが楽しいようだから、なるべく良い聞き手、にぎやかし役であるように努めている。
それで最近は、ずいぶん楽しく話せるようになった。


だけどそれに伴って、自分の楽しさは少し減る。
利害が今より少なかった頃は言えたことも、言えなくなるからだ。利害が少なかった頃は自分も気を遣ってもらったが、今は遣う一方だからだ。


この状態をわたしは、無償のホステス(フロアレディ)だと思っている。
会話で楽しませるというのは、究極のところは、面白い話をこちらがしてさしあげるのではなく、相手が楽しく話せるようにすることだ。こちらの話は、相手の話への共感や賛意を示すもの。または相手の話のきっかけ(キュー!)になるものにするよう心掛ける。
常に主役はお客さま、ということを実践することである。肝に銘じるだけでなく、主役になれるように持って行くこと。


わたしは若い頃、フロアレディというのをしたことがある。店も短時日のものも含めれば、5店舗以上経験した。今からすごい職にでも就いたら、過去の経歴で内定取り消しになるかもしれない。就けないから問題ないが。
今から考えればそりゃもう、レベルの低いホステスだった。普通の会社で普通にピラミッドに組み込まれ、その中で飲み会に行くようになってからのほうが、よほどレベルの高い接客をしていると思う。
・・・・・・自分の話ってこと、もちろん。しっかり仕事をしているホステスさんは、今の自分など比べ物にならない努力をして、レベルの高い接客をしていると思う。ただ自分のことだけを考えれば、今のほうがホステスだったときより頑張っていると思うだけ。



まあ、こんな状態で行った2人きりの打ち上げなので、心も疲れ気味だったのは仕方がない。
朝は8時前に集まって一日仕事、そして終わってから夜また無償ホステスをするわけだから。


『老師』は最近は、なんでも話す。わたしが無償ホステスになってから、以前より話しやすくなったようで、青春の思い出から壮年期の思い出から車の話から家の話から、なんでも出てくるようになった。

わたしはどうも本当に心が疲れていたようで、「もうだいぶ時間が経ったろう、何時だろう?」と時計を見て、まだ1時間弱しか経っていないので驚いた。
えー、まだまだ「じゃあそろそろ」となるまで何時間もあるのかー


ここまできて、『老師』は言い出した。
「人生は10年単位で考えるといいんだよ。分かる?」
『老師』の人生は、20代は仕事で30代が恋愛、40代がなんだったか忘れて、50代が介護だったという。
で、わたしのはどうだったかという。


そして「歴史も10年単位で考えると分かる」
いついつが何で、いついつが何、いついつが何、「そして今は、ヒットラーですよ」


わたしもだてに年を経てきたわけではないので、言いたいことは分かった。
つまり今の日本は独裁国家だと言いたいのだろう。

「ヒットラー。独裁ね」 ――やっぱりね。
「誰も首相に意見を言えるヤツがいない! 誰も首相に文句が言えない! もう独裁ですよ。ヒットラーですよ」




わたしはこういうのは、ちょっとどうしても一言言いたくなってしまって、利益のために自分を抑えるのに本当に苦労した。
しかも、ただの知人関係だったら適当にあしらって終わればいいけれど、ここまで無償のホステスを頑張りすぎたため、たぶんわたしに求められているのは100%の賛成と賞讃だと分かっている。


でも。でもさーーーーー!!




まず1つめ。


ここで政治の話題ですか。
あのさー、政治の話題には触れないのが職場のルールっていうか、タブーっていうかでしょーが。


相手の信条が何か分からないんだから、そういう話題は危ないんだよ。物のわかってる人間なら、仕事関係の席で政治の話題には触れないんだよ。
ほんっとにこの世代は物のわかってない人間が多すぎる! リストラされた職場Bのおバカ女性上司もそうだった。



2つめ。


あのね、ヒトラーって言葉の持つ意味を分かってる?


ヨーロッパでは未だに傷口なんだよ。ヒトラーだのナチスだのっていうのは恐ろしい言葉なの。その上、今や移民問題で、結局そっちのほうが正しかったんじゃないかという派も生まれていて、なおさら重大な言葉になっているんだよ。
軽々しくヒトラーなんて言えないの。「それじゃあまるでナチスだ」と非難するときっていうのは、欧米では最大級の非難であり、凶悪テロリストくらいにしか使われないほどの重い単語なんだよ。


今の政治がいいかどうかはともかく、明らかに民主主義の範疇じゃん。軽々しくヒトラーなんて言うなよ。誰も反対できない!? 反対しても投獄も処刑もされないじゃん。
自分の気に入らない政権だからって、「ヒトラー」呼ばわりは、あんたそれは、世界を分かってない。世界に対して失礼なんだよ。



ヒトラーやナチスについては、本当に重い。ドラマを見ているとその国の考え方が分かるけれど、アメリカやヨーロッパのドラマにおいて、それらの存在は複雑な意味と感情を含み、単語そのものさえ安易に使えないのだ。
ずーっとずーっと以前に、英国王室の王子がナチスの扮装でパーティーに現れたことが話題になっていたけれど、そのニュースの本当の重さを当時のわたしは分かっていなかった。でも今はその頃より少し分かる。


それはたとえて言えば、自動車爆弾で何軒かの家々にダメージを与え、死傷者もいたというヨーロッパの事件について、その近所に住むヨーロッパ人が「まるで原爆を落とされた○○○○のような惨状だった」と言うようなイメージだと思う。
「はぁ!? お前、何言ってんの?」って話だ。一緒にすんなよ!って話だ。軽々しくて、失礼でさえある。


そんな失礼さにまったく気づかず、「今の時代はヒトラーだ、独裁だ」と言えてしまうんだから、まったくもって日本はガラパゴスである。




さらに面白いと『老師』が自負している冗談めいた話は、「近いうちに戦争が起こる。自分は戦争を見ることはないと思っていたが、どうやら間近で見られそうでラッキーだ」という話。もちろん「ラッキー」といっているのは皮肉である。


え、いきなり本土決戦?
外地でやっていたら実際に間近で見るなんてできないですよね?


何、あっという間にそこまで攻め込まれちゃうの?
非現実的にもほどがある。


どこが攻めてくるのか、何を理由に攻めてくるのか?
それをアメリカはやすやすと許すのか?


地政学的に日本は大陸の防波堤だよ?
アメリカは日本のために日本に駐留して日本を守ってるわけじゃないよ?
中国やロシアに対する砦として、捨てるわけにはいかない位置にあるから、自国アメリカの利益のためにいるんだよ?


で、そんな状況の中で、どこかの国が「そういうことなら戦争を起こそう」って日本の本土にまでいきなり攻めてこようとするわけ?
そんな馬鹿じゃなかろうよ。
内部工作でもして、アメリカが日本を見捨てるようなことにできれば、そのときこそ攻めてくるかもしれないけど。
または軍事技術がもっと進んで、日本という砦がなくても問題ないという時代になって、アメリカが日本を意に介さなくなったら侵略されるかもしれないけど。


個人的にはその侵略を阻止するために、ある程度の軍備は必要だという気がするが。
今その超お高い軍事費を使わずに済んでいるのは、アメリカ軍が肩代わりして睨みをきかせてくれているからだという気がするが。
海峡ひとつ封鎖されたら石油燃料の輸入もままならない日本が、すべてを火力発電に頼るのは利口ではないように思えるが。


でもまあ、政治問題については是非を問えるほどの知識がない。だから無難に話を終わらせたいのだが、どうしても「そうですよねー!」「ああ、そういうことなんですねー! すごくよく分かりましたー!」という反応を演じられない。
だって実際にはこんなとってつけた賞讃で済むわけがなく、えんえんと続いてもっと上手に合いの手を入れなければならないんだし。




そうしたら、『老師』の究極の面白い話は、これだった。「首相は分かっててやってるね。戦争になったらわれわれ老人を戦地に送る。ね? そうすればいろいろなことが片付くんだよ。年金とかね? 医療費とかね? うまいなー、絶対そう考えてるね」

まったく面白くない。




役に立つと思ってんの?


今どきの兵器なんて、どれもこれも最先端技術。素人には扱えないんだよ。
軍事も兵器も進化していて、単なる歩兵なんて要らないんだよ。


なるべく人を使わなくて済むように、アメリカの軍事技術はどんどん開発されていく。
ただ歩いていればいい小銃を持った歩兵なんて、いない。
陸上で戦う兵士だって、高機能な機器を扱ったり、高度な技術的または戦略的知識が必要だったり、あるいは鍛え上げられた体が必要だったりするんだよ。


ああ、もうこれは、我慢できない。




「えー、それは無理じゃないですか?」から始まって、「わたしアメリカドラマが好きでよく見るんですよ」に続き、「ドラマに出てくる兵器や軍隊って現代じゃすごく高度になってますもん、素人じゃできませんよ」


――ああ、もうこれで押そう。


「だって、今でも第二次世界大戦の頃の兵器を使ってるわけないじゃないですか。戦闘機だって無人の戦闘機で、ピッ!」(とレバーやボタンで操作するしぐさ)
「それは見たことあるけどね」と『老師』も「知らないわけじゃないよ」アピールをしたので、そのまま押すことにした。


「B29を今でも使っているわけないですよ、今頃はもうB59くらいになってるんじゃないですか?」「いや、90くらいじゃないの?」
(家に帰ったら、夫が「もう今は100超えて1からカウントに戻った」と教えてくれた。)


「そんなの普通の老人が行っても、ごめんなさい使えませんから要りません、て言われちゃいますよ~ その点、『老師』はIT系ですから、真っ先に戦地に送られちゃいますねww」


――『老師』は20年か30年前プログラマーとして働いていたことがあり、今でも自分はそんじょそこいらの若い講師と違って、現場を知っている講師、実践的内容を教えられる講師というのがご自慢なのだ。
パソコンができる60代70代以降の方なんて今や当たり前で、かなり詳しい方も多いことは知っているが、ここは『老師』のツボに訴えて笑いにまぎらすしかない。
心の中でコンピュータに詳しい高年層の人たちに詫びつつ、「マウスも動かせない人が来たって何の役にも立たないから、要りませんって言われちゃいますよーw その点、『老師』は真っ先ですよーw」「もうタブレットで外でもコンピュータ操作しちゃうし、ミサイルが来た、こちらの迎撃の弾道を計算、ピピピピッ! なんて時代ですからね。でも『老師』なら計算できるじゃないですか、(「できるけどね、そりゃ」)、ですよねー危ないですよすぐに戦地に送られちゃいますよ」


――押し切った。




たぶん『老師』は、思った方向とは違ったので、あまり楽しい会話ではなかったと思う。
でもなー、この話に上手に相槌を打って、盛り上がっていつまでも終わらなかったら苦痛だったしなー。


いや、わたしは政治のよしあしのことを論じているのではない、念のため。
それはどちらがいいか、いつも後になって「ああ~」って思うくらいで、わたしには先見の明がないと分かっているから、論じるつもりはないんだけど、ただいろんな些細なところに反抗心が湧いちゃったものだから。




去年からときどき小さい山に登ったりしているのだが、ブログや山SNSなどはコースの参考になるのでよく見ることになる。
その中で、見たあるエピソード。「前日に食べたり飲んだりしすぎたせいか、急に腹痛が。しかし**のトイレまで持ちそうもない」(山の中はトイレがあまりないので大変である。)「なんとか持たせようと変な走りになりながら走った」「**でスカッドミサイルを打って、スカッどしました」


わたしはなんてことなく読んでしまった。
その話をしていたら、夫がふと言った。「面白い表現てことなんだろうけど、イスラエルのスカッドミサイルでやられた辺りの人たちは、平静には聞けないのかもしれないね」
ああ、そうかスカッドミサイルって、使われていたのか。


まあだから、世界の感性と日本の感性は違うってことなのかな?
たまたま何かで――わたしはドラマ、夫はオタク雑学――、世界の感性を垣間見ていたりすると、反応しちゃうってことで。


プラス、この日わたしはちょっと心が疲れていたってことで。
話を締めたいと思う。





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