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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

冬至とアシモフと太陽崇拝と中高年の事情

内緒なのでなるべく教えたくないのだが・・・・・・・・・・・・いや、やっぱり内緒に・・・・・・・・・・・・いや、でも知り合いに教えるわけじゃないし・・・・・・・・・・・・
 
 
 
内緒なのでなるべく教えたくないのだが、今年2015年は1222日が冬至だ。
というわけで、わが家にとっての初日の出は明日1223日である。
 
これは去年は冬至と新月が重なる日というので、スピリチュアル系の人々は興奮していたそうだが、わたしはスピリチュアルな人では全然ない。
 
ここ何年か、夫と正月を迎えたことはない。
義父は脳梗塞で、しかも頑張って耐えてしまったため、病院に行って一命は取りとめたが片麻痺がかなり残った。一人ではトイレも行けない。義母が介護しながら、夫婦二人の生活をしている。
わたしはわたしで、Iの病気が分かってからは、正月は自分の実家に帰ることにしている。
たまたま義父の脳梗塞事件の1ヶ月くらい後に、Iが重い腰をあげて病院に行った。つまり、ちょうどその年は夫にとってもわたしにとっても重い年で、次の正月からはそれぞれの実家で過ごしている。
 
義父母は老人で、伝統行事が大切な田舎住まい。だから正月は準備もいるし、大変なのだ。
しかしIは、別に友達と旅行に行ったっていいし、年末年始を家で過ごさなければならないということはない。だからIが薬負けなどせず元気に遊び歩いているのなら、わたしは空くのだが、うちには母がいる。
この母が―― 義母も相当な「一緒にいたくない人」だが、わたしの実母も相当な「一緒にいたくない人」なのである。
母は正月に家を空けて遊びに行くなんて、たぶん絶対猛りくるって怒るだろうから、Iは家にいる。そこでわたしも苦労を分かち合いに行くというわけである。
 
それも仕方のないことではある。
けど、義母は正月、ゴールデンウィーク、盆、は2~3週間は夫(息子)が帰ってくるものと期待している。(夫は自由度の高い仕事をしているので、そのくらい家を空けてもいいわけで、そこがまたつらいところなのである。)わたしは仕事が休みになると、夫がいないということになるわけである。
 
それで去年、夫が実家に帰る前に、互いに行きたいところに行くことにした。
夫の行きたいであろうところは、わたしが決めた。
 
わたしはドイツビールの店。昼ランチに行って、ランチビールと、ちょっとお高いビールも1杯、飲んでしまうつもりだった。
夫は、以前にかなり気に入っていた、ある小さい山の日の出が良かろうと思った。
 
「クリスマス」が近くなってきたところにもってきて、「日の出」――このキーワードの組み合わせは、わたしにとっては「アイザック・アシモフ」、彼の「まえがき」を思い起こさせる。
 
 
 
アイザック・アシモフはSF作家として有名だ。彼の「ロボット三原則」はのちの作家たちの黄金ルールになった。その縁でホンダのロボットは「アシモ」と名付けられたに違いない、・・・・・・とわたしは思っている(違うという話だが)。
 
でもアシモフはSF以外にミステリーも書いているし、さまざまなアンソロジーを編んでいるアンソロジストとしても有名なのだ。さらに、自然科学エッセイなども書く科学者だ。SFも科学者の趣味的副業だった。
 
アシモフのアンソロジーの中に「クリスマス12のミステリー」というのがあって、そこに収められている短編がどれも好きで、このアンソロジーは大好きな本だった。
まえがきはアシモフが書いているのだが、そこには民俗学を面白くコンパクトにまとめたエッセイが書かれていた。
 
ちょっと乱暴にまとめる――最近読んでいないので、心もとないけれど。
古代、人々は太陽を崇拝していて、冬に近づきだんだん太陽が死んでいくが、冬至を境に日が伸び始めるので、それを太陽の復活として喜びの祭祀を行っていた。
キリスト教が生まれ、はじめは相手にされないが、やがてキリスト教は徐々に勢いを増していく。というのも、太古の太陽崇拝は女性を排除していたからだ。
女性たちは自分たちを排除する宗教より、キリスト教に入る者が増える。(しかし中世になっても、その後の長い年月も、キリスト教でもやはり女性蔑視が強かったのはやれやれである:byわたし)
女性たちがキリスト教信者になるということは、母親に育てられる息子も気づいたらキリスト教になっているということである。
こうして少しずつ勢力を増してきたキリスト教であったが、ここでさらに太陽崇拝をうまく取り込んで、折り合いをつけ受け入れやすくする。
太陽復活の祭りを「クリスマス」として取り込んだのである。
聖書のどこにも、1225日がキリストの生まれた日だなどとは書かれていない。しかしちょうど冬至付近をクリスマスということにして、太陽崇拝の祭りを取り入れた。
これで趨勢は決まった。キリスト教の勝利である。
 
 
 
これを思い出して、「今年の冬至はいつなのだろう」と調べてみた。
そして冬至の翌日に、「これがわたしたちの初日の出」ということで、山に登ってご来光を拝んだのだった。
 
これがわたしの小さい秘密。
隠すほどのことじゃないけれど、ことの大小や重要無用とは関係なく、自分が大切に思っていることって、そっとしておきたいものだから。
 
明日、晴れますように。



・・・・・・うそ、天気悪いっぽい。




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