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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

嫁姑

嫁姑について考えさせられた。
 
父方の伯母の通夜に行き、親戚が集まるところでよく見るちょっとした人間模様を見た。
 
亡くなった父は10人兄弟の末っ子で、両親は幼い頃に亡くしていた。
最年長の兄が、一族の大黒柱として父親的役割を自任していて(他の兄弟もそれを認めていて)、末っ子の父にとっては本当に父親みたいなものだった。もっと仲の良い兄弟姉妹はいたけれど、長兄には特別な敬意みたいなものを持っているようだった。
 
父と違って節制の生活を続けた長兄は、長生きして1年前に亡くなった。
長兄の奥さんである「長兄伯母」と、末っ子の奥さんであるわたしの母は、こうなると他人だ。
 
けど、浮世の義理で、今でも「お義姉さん」「お義姉さん」と訪問したり連絡をとったりしている。
 
早死にする者の多い家系の中で、次兄の伯父も頑張っていたけど、長兄に1ヶ月ほど遅れて亡くなった。
 
この次兄伯父の法要は、いつも盛大に行われるのだが、長兄伯母は必ず出席する。
でも長兄伯母は車の運転ができない上に、足が悪い。で、母が長兄伯母の家まで迎えに行き、連れていく。
長兄伯母には離れて住む一人息子がいるが、「**のおばさん(母のこと)とIちゃんが送ってくれるんだろ」と任せきり。
 
長兄伯母に、せめてどこか近くまで公共交通機関で来てくれとは言えない。
だって長兄伯父伯母の家は、車がなければ何もできないところなのだ。この老夫婦を置いて離れて暮らすなんて、一人息子もってのほか!な土地。
周りに家がないわけじゃないんだけど、どこもとにかく車。
長兄伯母は買い物に行くにもタクシーを呼ぶしかないし、駅に行くにもタクシーを呼ぶしかない。最寄り駅っていったって、徒歩20分30分じゃないのだ。
 
だから母は結構頻繁に長兄伯母を訪問し、買い物に連れて行ったりしている。
長兄伯母はそういうとき、ここぞとばかり「銀行にも寄りたいから」「郵便局にも寄りたいから」「**にも寄りたい」「**にも寄りたい」となるので、時間がかかる。
 
長兄伯母は、してもらう一方ではなく、母にプレゼントをくれる。
 
長兄伯父は貧乏一族の中で立身出世し、小さな事業をするという大成功を収めた人だ。だから昔からデパートなどで高い衣類を買ったり、裕福な生活をしていた。
(しかし世間的には、いいとこ小成功だし、成功の部類に入れていいかどうか分からない。
また高いといっても、「1万円もしたセーター」といった程度。昔の1万円だから、今の1万円よりは高くて、感覚的には「5万円もしたセーター」かもしれないが。)
 
で、長兄伯母はそういう衣類を大切に保管していて、ときどき母にお下がりとしてくれる。
何十年も前に買った「お高いセーター」「お高いブラウス」を、「これは私は着ないから」「これは私にはデザインが合わないから」と下げ渡してくれる。
どうやらこれで、母の親切というか労働というかは、チャラになるらしい。
長兄伯母は「高い洋服を**さんにはあげている」と思って満足。むしろチャラというより、伯母のほうが相手に「よくしてあげてる」側のようだ。
 
うちはIも娘だし、娘っていうのは母親の服装などにも口を出すので、同じ70代でも娘のいる人と息子だけの人では、やはり娘がいたほうが今風の格好をしていると思う。
正直、伯母のくれる「(20年前のお値段で)高価な」(下手したら30年前、40年前で)服は、母には着られないことも多い。
母は文句を言いながらも、伯母のところに通うのをやめない。
 
わたしなど、そんなに文句があるなら行かなければいいのに、と思ってしまうけれど、浮世の義理、しがらみは強いらしい。
 
母も自分で運転するのはきつい年になってきて、夜の運転や遠出や街中での運転はしなくなった。
見かねてIが送り迎えや、長兄伯父の最後の頃の介護などを母と一緒にしたり――
 
で、話は戻って、通夜に行ったら、この長兄伯母がIに「Iちゃん、遠いところを大変だったね。これQUOカードだから」と小さなポチ袋を渡していた。
固辞するIに、「ちょっとだから、ちょっとだから」と押しつける長兄伯母。
 
結局、もらったわけだが、長兄伯母が去ったあと、Iが言う。
「**の伯母さんはこうして私には何かくれようとするけど、お母さんにはしないんだよね。それがまたお母さんには面白くないみたいなんだけど」
 
なるほどねぇ。
なんだか感謝してもらっていない気がするってことだよね。
わたしもそういうふうにネガティブに捉えるほうだから、母の気持ちはよく分かる。わたしは母からネガティブ思考をかなり受け継いでいる。
 
つまり、母は、長兄伯母にとって「嫁」なのだ。
だから何をしても当たり前で、しないときだけ目につく。
長兄伯母にとっては、母にしてもらっていることは、全然して「もらって」るわけではないのだ。自然に受け入れていて、感謝はしてない。「いつもありがとね」っていうのはない。
あるけど、それは「人対人」の「ありがとう」じゃなく、「義母対嫁」の「助かったわ」なのだろう。だから母には、「この服あげるわよ」であり、Iには「いつもありがとね」と金品などをくれたりする。
Iはやって当たり前の存在ではないからだ。「これまでよくしてきてやったし」というのもない。ただの姪っ子だから。そりゃ可愛がってくれたりはしたけど、そんなことは自分の一人息子だって叔父叔母たちから可愛がられたのであって、そういう程度のことだ。
母にとって、長兄伯母の「これまでよくしてきてやった」というのが、本当に「よくしてもらった」と思えることなのかっていうと、絶対思えてないと思うのだが、これが嫁と姑の意識の差なのだろう。
 
ところでこの通夜、及び葬儀は、亡くなったN伯母のお嫁さんが喪主を務めていた。
N伯母の一人息子は、ものすごく若くして亡くなり、以後お嫁さんとN伯母とで暮らしてきたからだ。
このお嫁さんが、かなりやんちゃだった息子と結婚するくらいだから、メイクもしっかりした派手めの人だった。(N伯母の一人息子はなにしろやんちゃだったのだ。当時の言葉でいうと「族(つまり暴走族)」。ヤンキー以前の時代だったからねぇ・・・)
 
このお嫁さんは、親族の中で評判が悪かった。
伯父伯母たちが集まると噂され、非難され、断罪されていた。陰で。
 
わたしはあまり親族の集まりって行きたくないほうなので、よく知らないが、聞き込んできた母が言いたがるので多少知っている。
母の話は、多分に伯母たちの意見が反映されているので、反嫁側だけれど、よくよく聞くと「別にいいんじゃないの?」と思うことも多い。
 
生命保険の受取人がお嫁さんだったので、N伯母は受け取れなかったことから、もう相当なマイナス評価。だって**くん若かったし、病気でもなくて急死したんだから、普通に考えて受取人は妻にするでしょー。母であるN伯母は遠い将来自分が看取るつもりだったんだろうから。
家を出ていかないのもあーだこーだ言われていたし、たぶん出ていったらいったで言われたのだろうと思う。
やがてつきあう人ができたらしいというので、またあーだこーだ言われていたし、それでも出ていかないでN伯母と暮らしているので、さらにあーだこーだ言われていた。
別にN伯母を虐待しているとか、そういうわけではなく、N伯母の生活は見てくれて、弱って認知症気味になっても見捨てなかったじゃん。と思うんだけど、なんでも「ごはんなんかもあまり作らないで、お惣菜買ってきたりするらしいよ」だそうだ。
いや、わたしだってそうだよ。2人の食卓、まして女性2人で片方は高齢者、量も食べないしさー。わたし以上にお惣菜買う理由あるよ。
(ちなみに、おつきあいしている人と結婚できない理由というのがあるのだそうで、N伯母と一緒に住んでいるのはそのためなのだそうだ。)
N伯母が弱ってくると、N伯母と一緒に住んでいる家がN伯母の名義なので、それを狙っていると言われていた。
100%清廉潔白な人なんているもんじゃないから、心の中にそういう思いがあったとしても、でも何十年と暮らしてきてその間N伯母の面倒も、たとえそれなりであろうと見てきたんだから、「もらう権利はある」と思っているに違いない。N伯母のほうも、それで助かることもあったろうから、その辺はお互いさまではないかと思う。
むしろN伯母が亡くなったからといって、「家は血のつながった人にお返しします」と70代の別の伯母に渡すほうが変でしょ? 「あなたたち、家を狙ってるのね?」と向こうは向こうで思っていたかもしれない。
 
なにしろとにかく、このくらいの年代の人にとっては、自分が娘時代、嫁時代と苦労して実家や婚家に仕えてきただけに、嫁というものが「なっとらん!」に思えてならないらしい。
娘だって「なっとらん!」なので、母にとってわたしもなってないし、Iもなってない。
うちの母だけが口うるさいのかと思っていたら、友達のまいこーちゃんが事情があって少しの間実家で暮らすことになったそうで、「母親に耐えられない」と言っていた。「あたしたち(夫婦)の生活がすべて気に食わないらしいんだよー」
夫もそうで、実家に帰りたがらない。もう義父が片麻痺で相当な介護なので、ときどき長く帰るけれど、戻ってくるとホッとしている。義父の介護をすることより、義母のうるささにうんざりするらしい。
 
N伯母のお嫁さんは、ついにこの親戚一同から解放され、もうこれからは好きなように生きられる。
それもまたいろいろ取沙汰されるかもしれないが、気にすることはない。
そもそもこの人は、ずぶとい人なのだろうと思う。そのほうがいいのだ、きっと。
だってどんなによくやっても、どうせダメなのだから。嫁なんて。
 
N伯母のやんちゃな息子と、長兄伯母の出来の良い息子は、同じ年だった。
長兄伯母の出来の良い一人息子は、顔立ちもまあよく、すぐに結婚した。
長兄伯父伯母の家の2階に同居し、お嫁さんは専業主婦。
3ヶ月で離婚した。
やがて再婚したが、今度のお嫁さんは大変賢い人で、「彼は優秀な人だから田舎にいてはもったいない」と、もう少し東京に近い田舎に2人で住むように持っていった。
出来の良い息子は、いい大学に行き、いい会社に就職したが、離職したりしていたけど、でも伯父伯母は超優秀な息子と思っていたのだから、そう言われては反対できない。
正直、2人が住んだところは、実家と大差ないような田舎なんだけど、確かに東京に出るとしたらそっちのほうが交通の便がよかった。
このお嫁さんは実に賢い人で、10年くらいしたとき、離婚した。
出来の良い息子と一緒には住むけど、籍は抜くということだ。そうしたらもう実家に行くときついていかなくて済む。
結局、そのほうが幸せにやれたようで、子供2人をもうけて育て上げ、今でも仲良く2人で暮らしている。(子供たちは独立。)
 
とにかく嫁って、昔はそんなものだった。
 
で、昨日、電車で座っていたら、目の前に2人の女性が立った。
「このバッグ、向こうのお義母さんからもらったの」
「へぇ~」
という会話が始まって、そのバッグとやらがちょうど目の前にあったので、眺めながら聞いてしまった。
 
「悪くないじゃん」
「そう。あたしが前にこういうバッグ持ってたの見て、それで買ってくれたらしいんだけど」
「へぇ」
「ちょうどこのくらいの大きさのバッグ、欲しかったからさぁ」
「いいね」
「そうなの」
「でも、センスいいっていうか、悪くないよね?」
「でしょ? センスいいのよ。店員さんに聞いて、この色が売れ筋ですよって聞いて買ったって、言ってるんだけどね」
「うん、いいよね」
 
「今さー、やっぱり向こうのお義母さんが一番さみしいと思うんだよね」
「次は一周忌?」
「うん。でもその前に1回くらい行きたいと思ってるんだけどね」
「ふうん」
「一緒にいると泣いちゃうの。2人して泣いてる。あたしはすぐもらい泣きしちゃうからさぁ」
 
・・・・・・仲良し親子っていうのが、わたしの後の世代からはやっていたけど、今は嫁姑も「仲良し姑」「仲良し嫁」がはやりなんだよねぇ。
 
周囲の若い世代は、みんなそう。
姑年齢が60代なら、お互い節度を保ってやっていきましょう、他人同士多少は目をつぶって、というのが普通みたい。
 
「うちの嫁になったからには、家族よ」という温かい人間関係が、泥沼を生み出す原因だったと思う。
職場のように、気に入らないことがあっても目をつぶったり、妥協しあったりしてやっていくようになっている。
観念的には寂しいことだけど、現実的で合目的的だと思う。
 
そういう世代の親じゃないから、わたしたちはめんどくさい。
 
もっと昔の世代だったから、母たちはもっときつかった。
 
なんだか、嫁姑について、いろいろ思わされた。





慶良間に行きたい

慶良間諸島に行ってみたい。
わたしのあこがれ。


11月にまたひとつ仕事がつぶれて、ちょつとヤケ気味で、ついになけなしのお金を使い切る覚悟で行くか!と。。


しかしフェリーも高いことが今検索で分かり、無理かもと思えてきた。


もうひとつ。


11月の終わり頃。
ホエールウォッチングでもなく、ダイビング&シュノーケリングもしない慶良間って、どうやって行ったり、楽しんだりするの?
検索してもよくわからない。
レンタカーはさすがにお金がかかりすぎていちいち借りていられないけど、レンタバイクとかレンタサイクルとかでビーチとか景勝地を回るわけ? レンタサイクルは坂が多くてきついって書いてる人もいるし、したくないなぁ。バイクは・・・心配。普段乗らないから。ていうか、1回も乗ったことがないから。


冬だと「ホエールウォッチングのついでに、ナガンヌ島という無人島の最高に美しいビーチにも立ち寄ります」というオプショナルツアーがあって、あ、それいいなと思ったけど1月からだそうで。全然時期が合わない。


誰か知っていたら教えてくれませんか?
・ダイビング&シュノーケリングをしない慶良間の楽しみ方(日帰りで本島からフェリーで行く)
・お金をできるだけ抑えて、効率的に楽しむには?




忙しい(シリーズ:翌4月からの仕事)

仕事をひとつ失ったというのに、ものすごくやることいっぱい。
お金にならないけど仕事関係で。


落ち着かないよ〜!




健康診断

健康診断に行ったら、血を採られた。当たり前か〜


抗ガン剤の点滴って大変だよね。
これが月に3回とかあるんだもんね。



携帯をなくして

旅行中ですぐには何もできなかったので、なんだかどうでもよくなってきて、旅行から帰っても2日ほどそのまま過ごす。
 
でも明日は仕事に行かなきゃならないし――となって、今日はauショップに行かないと。
 
ここでふと不安になる。
この日は月曜日。学校祭みたいなのが土曜日にあるからと振替休日。
でも学校祭は前の週に変更になっていた。だけど今週はわたしの担当コースはそのまま火曜日からだよね?
 
絶対火曜日からだと思うけれど、(一度決まったことを変更するのが大変な職場だから)、万万が一、携帯に「今週は月曜から」なんて連絡があったとしたらどうしよう?
いや、絶対ないと思うけれど、ないとなると不安になる。
 
数少ない友達だって連絡くれてたかもしれないしねぇ。
携帯って、機種変更したとき前のがなくてもアドレス帳復活するのかな?
 
何年か前に携帯のアドレス帳の中身を自分でExcel表にしてバックアップしたはず。
 
・・・・・・探してみたら、本当に昔すぎて、全然役に立たなかった。
明らかにこれは前のメールアドレス、確か変更したと連絡があったよなー、というのもあるし、当時まだPCメールもよく使われていたのでそちらを書いている。
時代が違ったんだよな、そういえば。PCメールはめったに変わらないけど、携帯メールは変わるかもしれないから、とPCメールを優先して記録しておいたんだっけ。
 
いったいいつの話だろ~~~?
 
今やPCメールなんてない人もいるし、解約した人も続出だよ~~~~
若い人は携帯メールさえ使わないそうだもんね? 全部LINE
 
とにかく困った。職場に念のため電話してみようかな?どうしようかな?と思ったけれど、番号が分からない。
 
検索してみるけど、外部向けの番号しか分からない。
いや、それでもつながるにはつながるけど、ちょっとね。いろいろ事情があって。
 
数少ない友達の中で、細々連絡しているまいこーちゃんのメールアドレスも昔のPCメール。
年賀状とかもやりとりしないし、大昔の年賀状が見つけ出せたとしても去年だかに引っ越ししてるんだよなぁ。
 
 
 
 
本当に困った。
 
でもそういえばエンディングノートをつけておこうと思って、夫用に作っておいたファイルがあるのを思い出した。
急死したら連絡してほしい職場(複数)と、友達代表でまいこーちゃん。ああ、ここにあった!
 
職場は最近コストカットのためひとつリストラとなってしまったから、いい機会なのでそこは消しておいた。
バックアップって重要だなぁ。