障害者に関わる仕事をしている。(契約をまだカットされてないほうの仕事。)
聴覚障害の人が来ていて、その人とわたし以外のスタッフとの会話。
わたしも一緒にいたけど、実際に代理で電話したりしたのはほかの人。
ちなみにこの聴覚障害の人は、幼い頃は聞こえていたため、発語は聞き取りやすい。
もしかして完全な聾者ではなくて、補聴器などでちょっと聞こえるのかな?と勘違いしてしまうけど、今はまったく聞こえないらしい。口を読み取って、かなり理解してくれる。
この人が、自分の携帯に電話がかかってきたという。
「ときどき子供が留守電に入れてたりするから、(何かあると怖いから)留守電を確認してほしい」と言う。「番号が03だから、何か必要な電話かもしれない」と。
「聞いていいんですか?」「いいですいいです」
そうしたら、「○○カードです。お知らせがございますので、この番号におかけ直しください」というような留守録。百貨店系のカード。○○スカード。
聴覚の人が「代わりにかけ直して、用件を聞いてもらえますか?」と言うので、スタッフの人、電話してみる。
「代理の者ですが」と名乗ったので、当然ながら「ご本人にしかお話しできません」
「ご本人様は聴覚障害なので、聞き取りが難しいんです」と説明。「どういった用件か聞いてほしいということで、代理で電話をしているのですが」
スタッフの人がメモを取ったりする内容を見て、聴覚の人は横で言っている。「○○スカードなんて入ってない」「申し込んだことない」
その声が聞こえるので、先方は「もしかして横にご本人がいらっしゃるのか」となり、「います」と言うと「本人を電話口に出してくれ」と言う。「いえ、聴覚障害なので、聞き取りが難しいので」
いっそ「ご本人様は聴覚障害で聞こえないので、ご本人が発声することはできるけれど、電話に出てもそちらの声が聞こえません」と言ったらいいように思った。
「聞き取りが難しい」というのはソフトな言い方で、人を傷つけないとか差別しないという意味ではよいけれど、若干専門用語的で、普通の人には通じない場合がある。
「聴覚障害」というのも意図するとおりに伝わるかどうか分からない。一般的には「聞こえない」と言われている。「聾者」とか「聴覚障害者」というのは、もちろん一般的な単語なのだけれど、聴覚障害のある人とまったく接点がない人にしてみると、「聞こえない」というのがつい普通に使ってしまう単語だろう。
なぜ聞こえない人が喋れるのか? 喋ってるじゃん、本当に聴覚障害とやらなの? と思いそう。説明されても「じゃあ、電話口に出してくれ」と言うような人なら。
とにかく、「電話で伝えられてもご本人は分からないから、メールか文書で連絡してください」ということを伝える。でもどうも、電話の向こうではそれは難しいらしい。
「では文書で送ってくださるんですね?」とスタッフの人が確認。一応文書で送ると言ったらしいけど、本当に送ってくれるかどうか分からない。
いったいなんだったんだろう? 勧誘?
そうだとしても聴覚障害の人が言うには、「この番号をどこかの書類に書いたりしたことはない」という。
そりゃ、そうだわー 電話が使えないことをよく分かっている当人が、電話番号を記入するわけがない。
電話番号を書く場合は、自宅の電話番号を書くそうだ。
なるほど、自宅の番号なら留守電メッセージに「FAXで送ってください」と設定することもできるだろうし、FAXを受け取れる。
または、ご家族の誰か聞こえる人が取ることができる。
なんだったか分からない。
心を決めてみたものの、時間が経つと揺らぐ。
仕事をして、やっぱりこの仕事が楽しいなあ、変わりたくないなあ、と思う。
なんか、狙ってる仕事もどうなるかわからないし、このままあと一年くらい続けてもいいかなあ、なんて。
決めたことは突き進め。
これがお不動さんのおみくじに言われていたことかもしれないな。
(これ http://ss2s.muragon.com/entry/44.html)
揺らぐときが来るけど、転ぶな、って。
なるほど、毎日記事を書くというのは、なかなか大変なものだ。
最初はなんでもいいと思ってた。
「今日は特筆すべきことのない一日だった。終わり」でもいいや、と。
でもさすがにそれではね、と思うようになってくる。
食日記ブログでは、こういうことはなかった。
そうか、写真て重要なんだな、と気づく。
何か食べたりすると写真を撮る。
写真があれば、それについて書けばいい。
前から分かってたこと。いろいろなブログサービスで「本日のお題」とかやってるのも同じこと。
雑誌の投稿コーナーなどでもやってるよね。
何かテーマを言われてみると、ふと気づく「私はこう思うなぁ」「私はこうだったなぁ」。
活性化するにはお題を出すっていいことだよね。
分かっていたけど、今改めて思ってる。
んー、何を書こうかな、と悩んだりして。
お題があるのはいいことだ。ブログを継続するという観点からしたら。
写真があるとやりやすい。それは言ってみれば「お題」だからだ。
「今日は何もなかった。終わり」でよければね。毎日でも書けるけど。
MURAGONはnice!機能などがあって、誰かがちょっとクリックしてくれたりすると、「今日は何もありませんでした。終わり」とは書きたくなくなる。
自分は熱心に交流活動をしていないくせにね――
だからどうってわけじゃない。
そうか、写真があるっていいな、と思ったってこと。
それというのもMURAGONの交流システムが一因だな、と思ったってこと。
名言だよね、これ。
よく使われる言葉だけど、名言だよね。
言いたい時がけっこうある。
なかなか人に弱音って見せられないものね。誰だって自分の悩みやトラブルがあるから、こちらのグチを押しつけることはできない。
年をとれば、聞いてくれる人もなくなる。「あら、そんなのまだいいじゃない」「あたしなんて、こうよ」と言われたりする。いらないアドバイスをくれたりする。
欲しくなければ、言わないほうがいい。
えーと、ドラマで使われてる状況はそれとはちょっと違うけど、とにかく名言。心にぐっとくる。
慶良間に行きたい――と言っていたけど、行くことにした。
旅行会社のカウンターで、いよいよ全部が決まってお金を払うとき、ドキドキした。
うわ、こんなにお金払っちゃっていいの!? と。
これから先、職場A(残された唯一の職場)の閑散期に入るので、収入は減る一方。
なのに先月も北海道にロングステイした身で、沖縄にもこんなに!?
ロングといっても、何週間も行くわけじゃない。
わたしが言ってるのは5日とか6日とかそういう単位。
3年前かな、祖母の見取り介護に実家に通って、母やIと祖母を看取ったあと、なんだか無性に旅行に行きたくなって、それまでほとんどしてこなかった旅行というものをした。
時季外れに沖縄や北海道に行くなら、思ったより安く行けることが分かった。2泊3日で、普通にIが土日に一泊で行く旅行以下の値段になる。――まあ、Iは温泉が好きなので、宿もいいし、夕食付だけど。
でもさすがに5日6日となると、ドキドキするお値段。
ああ~~、毎日見ているブログの人とか、年に1回は東南アジアにダイビングに行って、それ以外に年1回は沖縄などでダイビングして、年2,3回はスキー旅行に行ってるけど、どうやって行ってるんだろう?
やっぱり夫婦共に正社員同士って、豊かなのかな?
それともその人たちの稼ぎがいいってことかな?
慶良間は、そりゃもちろん、好きなように好きなところを回りたいのだけど、それは断念。
レンタカーにしろ、タクシーにしろ、フェリーにしろ、お金がかかる。
自力で回ると時間もかかるので、日数が相当ないと回りきれない。
思い切って行こうと思ったのは、もうそんなロングな時間をとれないだろうと思ったから。(来年度は契約社員的な仕事を探すつもりだからね。)
もう「また来年も何日か来ようよ」というのはできない。今年のうちに見ておきたい。
というわけで、那覇からの日帰りツアーをしている会社に申し込んだ。
那覇へはいつものJTBのフリープランで行く。
最初に沖縄に行ってから、次の年も行きたくていろいろ検討しまくったけれど、わたしは沖縄はサンキューチョイスプラン(JTB)が一番いいと思う。自分たちの条件にはってことだけど。
あとの懸念はひとつだけ。
晴れるといいなー!!!!!!
沖縄ばかりは、雨だとね・・・・・・