Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

おみくじ引いて(長くなっちゃった)


おみくじを引いた。
たまたま通った都心の神社で。


中吉だった。


なんか気に入った。
大吉と言われたら、今の状態だと嘘っぽい気がする。
自分にとって嫌なことがあるけど、後から吉になる。
心静かに待て。それが一番だと。


同じ神社で翌日またおみくじを引いたら、また中吉だった。
つらいことあるけど、やがて吉になる。いいことがある。
焦らず騒がす、おとなしくしてなさい。焦ったりしたら良くないことになる。


どっちも似たような内容だったので、なんか納得いった。


どんなのが出てもいいのに、似たようなのが出るのだから、そういうことかと思っておこうかと。



自分がこうしたいと思ったことは、少しずつ頑張っていこう。
頑張ろうと思うけど、頑張れなかった日は反省するのではなく、明日は頑張ろうと思うことにしよう。


今の自分には、その心境が一番適しているように思う。
「頑張らなくてもいい。楽しもう」と考えると、ずるずると何もしない日が続くように思う。
一日一日のノルマを決めたほうがいい。と思う。
余裕を持たせるために、一週間のノルマにしよう。と思う。
たとえば千羽鶴を5種類作るのだったら(小さい色折り紙のと、大きい色折り紙のと、柄がついてるのと、色の配置をランダムにするのと、大きさがいろいろまじってるのと)。
1日当たり5羽×5種類、25羽折る。と決める。
でも今日できなければ、明日30羽、明後日35羽で帳尻を合わせてもいい。
一週間に、1日当たり5×5種類=25羽、×5日(平日分)
土日は換算しない。予備日にする。週末は結構毎週予定があって、残った一日は自分のためだけでなく、夫につきあう日にしてる。だから週末のほうが時間を取れないはず。



今のところ、人生の最優先を「わたしのやりたいこと」にして、それを考えよう。


これは「気持ちの問題として」の最優先という意味。
スケジュールの最優先は、やはり相手のあることにならざるを得ない。
なので、スケジュールとしての最優先は、友人たち。
次が夫。それぞれに仕事がある人たちと違い、毎日一緒で合わせやすいから。
夫は会社員的な形態の仕事を今はしていないので、そういう意味でも合わせやすいから。
すきま時間が自分てことになる。


仕事は、あまり考えまい。
仕事は、わたしに考えるネタをくれるものではある。
もっとこうあるべきなのじゃないだろうか?とか、こういうやり方にもいいところはある、それを活かすにはどうしたらいいのだろうか?とか。
でも自分の思いを反映させようとしたら、疲弊する。


ただ一日をやり過ごすこと。
「冬の時代のときは、ただ自分の仕事をきちんとこなして、じっとしている」と言う人もいる。
わたしもそういう時代があった。もう何年も前だけど。
そのときは、わたしは寒い強風の吹く時期に、葉を地面にぴったりくっつけて広げている植物をイメージしてた。ロゼットということをそのとき調べて知った。
今はその時期とは違う。
「自分のすべきことを淡々とする」なんて、ちょっと今はできない。
それは去年までの話。それも結局は疎まれることになり、疲れてしまった。


「自分のすべきこと」というのはちょっと漠然としている。
基本的に指示命令に従いながら、本来利用者にはこうすべきだと思うことを、馬車馬さんの許容する範囲内でする。というのがわたしの思う「自分のすべきこと」。
正社員の意向を無視することはできないから。ただ、馬車馬さんて、結構はっきり言わないので、忖度になっちゃうんだけど。
でもそれに疲れた。


だからただ一日をやり過ごす。
今はそれがいいのだと思っている。
組織がわたしに求める役割と、馬車馬さんがわたしに求める役割は、たぶん違う。
馬車馬さんが求めるところに沿うのがいい。
でもそれを頑張ったり、誠実に行ったりすることはできない。
どうでもいいと思って、ただ一日をやり過ごす。
頑張らず怠けず。想像の例だけど、たとえば「利用者さんをここからここまで移動させて」と言われたら、ただ連れていく。
この方は歩いたほうが体のためにいいかな、と思って「ちょっと歩いてみませんか」と言ってみたりとか、気分転換できたほうが今のこの方には良さそうと思って「少し遠回りして窓の外を見ていきましょうか」と誘ってみたりとか、そういうことはしない。本当はケースを話し合っていたら、その方に必要なことが判断できて、少しの判断は下の者でもできるはずだけど、馬車馬さんは他の人にはそれを認めても、わたしがやると疎ましいようだ。
だからただ連れていく。良かれもないし、雑に扱うこともしない。
体を拭くとしたら、ただ拭く。「丁寧に拭こう」とか「どうしたらこの方が楽かな」とか考えたり工夫したりして頑張ることはしない。だからといって「ちょっとここはまた明日でいいや」とかわざと手を抜くことはしない。


わざと低く働くのも、できることをしようと気持ちを高めるのも、どちらも疲れる。
「あと何分」「あと何時間」それだけで一日を過ごしていくのがいいと思う。今は。



職場を共にする人たちは、自分なりに頑張れて、大変でもいろんな仕事を任されたりして、ちょっとうらやましいと思うときもある。
だから話していると、ちょっとつらいときもある。


それは――  我慢するしかないな。
考えないようにするしかない。


離れていないと耐えられないほどでないなら、楽しい時間があることが大事。
自分の気持ちの持ちようで流していきたい。難しいけど。


早く一年が終わってほしいと思うかというと、思えない。
馬車馬さんがいなくなる可能性があっても(でも3年が基準だから低い可能性だけど)、他の大切な人がいなくなる可能性があるのだから(そっちのほうはかなり高いし)。


馬車馬さんとさらに1年一緒に過ごすことが決まり、大切な人がいなくなることが決まったら、来年度は自分の進退を考えよう。
辞めるということではなくて。ただそのまま「やり過ごす」を続けるか、新たなことにチャレンジしたいという気持ちになるか量るということ。


ちょっと明日に続くかも。

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