人生の展開:ちょっとわけわからない文章に
ここ何年かの自分が、今、違うものになろうとしている。
すごく昔の自分まで遡りたいけど、それはいくらなんでも個人の日記でしよう。
もう何年前になるんだろうか。
大切な家族のことでわたしは人には言えないことができた。
そういう心の問題もあるし、基本的にそのことを優先するので物理的・身体的に人に対してつきあいが悪くなった。
結局、大切な人はいなくなってしまったけれど、それは誰にも言えなかった。
それを言った人はほとんどいなくて、そして多くの人には(今さらでもあるし)今でも言わないまま。
あれから自分の中の暗闇をどうしていいかわからなくて、迷走したこともあったな。
1年目の後半、迷走したな。冬になる頃にはかなり迷走が激しくなってた。
逃げ出すように資格取得に走ったな。今となっては感謝すべきか。
2年目は職場での飲み会係に明け暮れ、それと並行してちょっと迷走したことがあった。
飲み会係は忙しくしているといろんなことを考えてる暇がないので、ありがたかった。
迷走したことは結局、1年目のほど激しくない代わりに3年目まで引きずった。
3年目も飲み会係。そして2つめの迷走が若干続いていた。
4年目、去年が斜陽の人。
別になりたかったわけじゃない飲み会係、職場の「ちいママ」だが、いきなり干されるとどうしていいか分からない。
そんなことしないに決まってはいるけど、「もうお前は要らないよ」って分かりやすく言ってほしかったな。
5年目。今年。
自分なりに折り合いをつけることができたので、自分の楽しめる範囲内で楽しく生きようと思う。
5年目の今年は、話して楽しい人と話すし、ひとり飲みも去年覚えたし、それなりに楽しく過ごしてた。
嫌な気分になることはものすごく多かった。異動してきたMs.馬車馬のやり方に合わなかったし。分かっていて自分のわがままを通すところとか、嫌いなところもあるし。
Mrs.妖怪とかのことも嫌だったし。
実は今、職場では「え、そういう体制になるの?」と思うことが始まり、それも嫌。
でも辞めてもいいと少しずつ思えるようになってきた。
辞めようと活動するとき、「本当にいいのかな」「待遇の面でこうだし」とかいろいろ考えてしまうけど、でも辞めてもいいと考えられるようになってきた。
仕事は、仕事にかけずにやっていくという、非正規なら当たり前に持ってなきゃいけない基本の考えを少しずつ覚えてきた。
いろいろなことをあきらめた。
あきらめられるようになった。
そしてここに来て、また迷走するようなことが起こっている。
でも――迷走はしていないと思う。
迷走も3度目となれば、考えもまとまったり落ち着いていたりするのかな。
そこに捨て去った2つめの迷走が少し絡んできた。
どうなるのか分からない。
人があることは分からない。
残りの人生は短い。
したいと思うこと、楽しいと思うことがあれば、諦めたくないと思う。
何かを守ろうとして、いろんな機会をあきらめるのは残念だと思う。
でも突進すると、守りたいものをたくさん失うかもしれない。それは残念どころではない損失になると思う。
こんなふうに考えて、自分で選んでいこうと思うところが、これまでの迷走と違って、迷走していないところだと思う。
そんな感じかな。
今、人生が展開していくと感じる。
コントロールしていけるかな。