Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

仕事への向き合い方:いろんな方のver.


わたしはうまく仕事に向き合えないというか、入り込みすぎてうまくいかなかったり、熱意を持てなかったりってことが多い。これまでの職も、今の職も。
常にダメだったわけではないけれど、過多か不足かになりやすいんだろう。


だから、誰かの話に、ああ~すごいな、と思ったりする。
自分には難しい、ほどよいバランスとか、安定した自分の役割に合った情熱とか、満足とか、そういうことにすごいなと思う。


★Aさん★

仕事について「忙しい」くらいしか知らないブログの方。
ブログだから、書いてないところでいろんなことはあるかもしれない。


けど、書いているのを読むと、だだ流しの自分と違って、節度を持った書きぶりでいい感じ。


淡々と「行ってきます」と仕事に行き、帰ったら一息つき、また「行ってきます」と行く。
こういうの、いいよな。
その日その日でうまくいったことや、いかなかったこと、人間関係の良い日、悪い日があったとしても、仕事だから適度な距離感、適度な居場所感、適度なモチベーション、淡々と毎日行って帰る、その中でいろいろあってもまた淡々と行って帰る。


こういうの、いいよな。
見習いたいというか、敬意を持つというか。


★Bさん★

転職した会社で頑張ろうとしているブログの方。
人に不快な思いをさせないために、書かないこともあるかもしれない。


けど、書いてるのを読むと、真っ黒になりがちな自分と違って、いつもあたたか、感謝にあふれてる。


新しい業務を覚えることに対して、モチベーション高くて、熱心。
でもやりすぎてないから、わたしのような満たされない感がないんだろう。


不安があることも、自力でがんばったり、周囲のサポートを受けたりして、一歩一歩進めていく。
でも先を読みすぎず、ほどよく謙虚でほどよくやる気だから、わたしのように暗雲がたれこめないのだろう。


業務の提案をしてみたり、まだ入社したばかりともいえるのに、これまでのキャリアを新しい会社で活かしてる。
それまでのキャリアを丁寧に積み上げてきたんだろうな。そして自然に、やりすぎずに、提案したり自分の力を活かしたりできるんだろうな。


どうしてそんなふうにできるのかな。
人柄が見えるようで、なんていうか、天使の絵を見上げている気持ち。


★Cさん★

テンション高すぎず、ゆるすぎずという、さらっとしたブログを書いていらっしゃる。
毎回読んじゃう。


コロナ倒産が身近にあったことについて、さらっと受け止めてた。


不安になりすぎない。先を読みすぎない。悪いほうに捉えすぎない。を目標にしながら、いつもうまくいかないわたし。
こんなふうにしたいのになーと思う。


状況を悪く捉えすぎず、冷静でいられれば、的確に判断して「こうすれば大丈夫」「こうしたらいい」というのを考えられる。


わたしの頭の中はごちゃごちゃ。
わたしの心の中はぐちゃぐちゃ。
まあ、だいたいいつも。まさに「一年365日」。


もういい年なんだから、さらさらっと日々を流れていきたいもんだなぁ。


★DさんとEさん★

DさんとEさん、わたし、年代はあまり変わらない。もしかしたらEさんがちょっと年上。


Dさんは、高齢の方に関わる仕事。その関わり方が物理的。
Eさんも、高齢の方に関わる仕事。その関わり方が非物理的で、高齢の方のある側面に対して関わる。


緊急事態宣言中。3人とも1都3県に住む。
わたしは1都で、Dさんは②県、Eさんは③県。


Dさんは仕事を休まなかった。
たぶん、休めないという思いだったのだろうと思う。
他の人は出勤してる、自分が休んだ分を押しつけるわけにはいかない。
不安や疲労もあったと思う。でも必死で出勤してた。
宣言解除の直前、連絡してみたら、働く人みんなが手洗いや装備をしっかりする習慣がついてきたという話をしてた。
最初に連絡したときより、平常に感じた。行間に出てた…と思う。


Eさんは一度連絡したとき、「私はね、ずっと休んでる」「自発的に休んでるから、お給料は出てないけどね」と言っていた。
(自発的に休んで無給になっても生活できるゆとりが、同じ年代でも貧乏世帯の自分とは違うと思ってさすがだなーと感動した。若い頃からちゃんと生きてないと、後から苦労するもんだと最近思う。うちはわたしも夫もちゃんと生きてこなかったので。)


Eさんに話を戻すと、もともとEさんは通勤が長くて大変なのだ。
でも「どうしてもここで働きたかったのよね。そこのトップの理論がすごくいいの」と言って片道2時間通う。
「あたしは、パート」と言うし、それでも資格を取った。
もっと時間を増やす話もあったけれど、通勤が長いから迷っていた。


「トップに君がやってみないかって言われてね、政策提言しようみたいな活動に参加してるの」
「緊急事態宣言で休んでるのはいい機会だったかな。ホームページの更新作業ができないかやってみたんだけど、難しいね。すいちゃんならできるんじゃない?あたしには難しかったわ。あれができるとね、緊急事態宣言が解除されても在宅勤務とかできると思うの。やっぱりちょっと通勤が大変なのよね」


Eさんのように、「興味や関心や、社会でそのことが実現するために自分も力を貸したいという意志のために働く、収入のためじゃなく」というのは、憧れ。
周囲の目(や収入)を変に気にすることなく、長い通勤がリスクなら休むというのも尊敬。


Dさんのように、奉仕や社会貢献や義務や責任を放棄できず、頑張り続けたのも尊敬。
わたしだったら内心どす黒い思いも激しく渦巻いたろうと思う。


DさんとEさんの違いをうまくまとめられないんだけど、どちらの仕事への取り組み方も、わたしから見るとすごいなー、真似したいけどできないなー、と思う。


こうしてまとめてみて、やり方に違いがあるように見えるけど、同じところがあるとも思った。
DさんもEさんも、自分が働いている仕事とそれに関連する領域について、思いがある。
「今の世の中はこういうことになっていて、こう動いているけれど、このことはもっとこうであったほうがいいと思う」
→「だから資格を取る」 実現のための手段のひとつとして。


そこが、わたしの場合、はっきりしてないのじゃないかな。
だから「すごいなー」と思うんだろうと思う。

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