Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

Under the Storm: 見えない恐怖


似ていると思うのは、わたしにとってはやはり東日本大震災。


あのときは関東圏は放射能という見えない脅威の不安にさらされていた。
今はCOVID-19という見えない脅威の不安にさらされている。


あの日の夜、都内は異様な光景だった。人がバスを待って長蛇の列を作っている。道路をたくさんの人がぞろぞろと歩いている。駅は閉鎖され、座り込んでいる人がいる。歩きながら、普段知らない人と話すなんてめったにないのに、「**駅はこっちでいいんですかね?」「バス停があるけど、来るのかな」とときどき話す。


今、週末の映像は異様な光景だ。こんなに人がまばらな渋谷や銀座。こんなに空間が見える都心の駅。


毎日マスクをする人々。
ちょうど同じ、3月4月。スプリングコートの装い。マスク。風が吹いてる。


違いはたくさんあるけれど、特徴的な部分が似ていて、どうしても思い出す。


不安は大きなストレスだった。
どこかでたくさんの人が亡くなっている、これからの世の中がどうなるのか見えない、悲しんでなきゃいけない・慎んでなきゃいけない・笑ったりしていてはいけないというムードを勝手に感じていた。


あのとき学んだことを今ちゃんと思い出したほうがいい。
わたしがただやみくもに不安を感じてストレスをためても、暗い気持ちに押しつぶされそうな状態になっても、それで誰かの助けになるわけでもない。まして状況が好転するわけでもない。
事態をそのまま受け止めて、できることをして、
そうしたら、
希望を持ってもいい。明日に期待をかけてもいい。自分のやりたいと思うこと、救いになることをしてもいい。


できれば、やりたいと思うことが他の人の力や助けになるように考えてみる。
これは、半年かけて学んだうちの、統合的人生設計に出てきたこと。キャリアは仕事だけじゃなくその他の生活と統合的に考える、そして今の世界では人や社会に貢献するということも考えたほうがよい、ということ。


東日本大震災のときのわたしは、いっぱいいっぱいで何もできなかった。
少し落ち着いてきたときには、夫は夫で、わたしはわたしで、家族の問題が起きてしまっていた。


今は、悲しいくらい何も持ってない自分なので、自分を守りながら、その一方で何があってもいいようにしたい。
もし重症にならなかったら、自分なりに自分の心を守りながら、少し人の役に立つことを考えられたらいいと思う。

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