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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

Petit memo:論理で意識を変える

連休中用に、去年の秋から冬にかけて学んだことの中で、個人的に好きだったことをメモしていこうと思う。
画像は無関係。



論理療法というのを知って、なるほどと思った。


人の行動や考え、気持ちに影響を与えるのは、その人の「信念」(ビリーフ)。
これは、はやりの認知行動療法だと「認知」ってことになる。ものごとをどう受け止めるかをエリスは「信念」といい、ベックは「認知」と考えた。ざっくりいえば、同じことを言っていると考えてもいいと思う。


不合理な信念を抱えている人には、「それは本当にそうなの?」「違ってない?」「こうも考えられるのじゃない?」と論理で返していく。それが論駁。
それで「そうだな、そうかもな」と合理的な信念に変わっていったら、もっと人生を心も楽に生きていけるのじゃない? というのが論理療法。とわたしは理解した。


『論理』とか『論駁』というのが日本人にはディベートみたいなことを思い起こさせるのか、だいたい同じ方向性でも認知行動療法のような人気を博していないみたい。


わたしは納得して、ああ、なるほどなーと思ったのだった。


わたしがいつものごとく、たとえば「4月からこのような体制にします」と言われて「やっぱりわたしは使いづらい人間だから、そういう仕事の割り振りになるんだな」「他の人のように分を守ってやっていけないし、不満も多い。気難しくて扱いづらい。それを周りも知っているからわたしの仕事分担はそんなふうになるんだな」とひがんだとする。
実際、ちょっとそういう気持ちになった。


それについて、「本当にそう思われているの?」「はい、そうです」「なぜそう思われていると考えるの?」「わたしはこういう性格があるからです」「あなたはそう考えているんですね」「事実そうです」「誰かにそういうことを言われたりしたんですか」みたいな感じ(だと思うのだが)で、わたしの気づきを促していく。


そしてわたしは「嫌われてるに違いない」という不合理な信念(イラショナルビリーフ)を持っていたけれど、「嫌われているかもしれないけど、そうでないかもしれない。すべての人から嫌われているわけではない。好かれていることもある。すべての人から好かれなくてもいい」というような柔軟な合理的な信念に変えることができた(ラショナルビリーフ)。という経過を目指す。


カウンセリングでは、もっとプロがプロの技術でやってくれると思う。
自分でやる気はない。
論理療法は、協会か学会の免許みたいなのがあって、それを取得してやるように書いてあるから、素人が適当にやるのはやめたほうがいいのだと思う。


ただ、考え方として、なるほどと思った。

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