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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

人との交流について、少しまじめに

さっき、本当にぐだぐだと書いたけれど、その中でも触れていた人間関係については、ここのところかなり真剣に考えたことだ。
それはわたしにとって、これまでも、今も、うまくできないことだからだ。
一見うまくできる。人からそう言われることもある。けっこうある。でも自分では自信がない。それらはすべて、表面的な関係か、ある程度距離がある関係だからだ。誰かと本当に親しくなることは自分には難しいのだという、ネガティブな信念みたいなものがある。


仕事上のことで、認知行動療法について調べた。
素人向けの本は分かりやすくて、どんなものであるかだいたい分かった。自分が医師やセラピストとして行うわけではないので、どんなものであるかわかればいい。
自分で予防的にすることもできるようだ。ただ、本当に精神疾患や精神障害の状態の場合は、専門家のもとで行うのがよいとのことなので、安易にはできないようだ。わたしはいろいろと抱えているけれど、疾患や障害ではない。(これは差別的な意味ではない。自分がどんなに苦しい、つらいと思っても、それは疾患や障害を持つ人々とは比べ物にならないという意味だ。配慮や苦しみの吐露が多いことや、周囲の人に頼ること、それがイーブンではなく片側にやたら傾いてもいいのは、本当につらい自分ではどうにもできない人たちだけなんだ、という意味。)
とにかくそういうことなので、セルフで少しマネジメントしてみようとやってみたりもした。


認知行動療法は、まず自分の認知の歪みに気づくようにする。
次に、ゆがんだ認知を修正し、いずれは問題行動を修正する。
(問題行動とは、当人にとって生活しづらい行動、問題となる行動。たとえば、不安障害で電車に乗るとパニックになるとか、強迫性障害でやめたいと思ってもやめられない行動があるとか。)


そうだな――2ヶ月くらいになるだろうか。それとも3ヶ月も経ったのだろうか。まさか、そんな?!
とにかくそれくらいの期間、どうにもうまくできなかったある職場の人との関係について、認知の側面から考えてみた。だって、思えばこういうことは初めてではないのだ。自分に問題があるのかもしれないと思えてしまう。
主にきついのは一人の人だけれど、それ以外の人との間でも、似たような感情で悩んでいる。それがその一人とのことがきっかけで、あれもこれもと表面化し、「自分は結局、誰からも好かれていない。仕事のしがらみがなければ、自分と話して楽しかったり、自分と食事や飲みに行ったりなどしたくないのだ、という思いにつながっていた。


「そういうときにどういう考えが浮かぶ?」
そこから始めて、いつも自分が陥る『自動思考』に気づく。まずはそこから。
『自動思考』に気づけたら、できれば自分の中にこれまでにできあがっている信念みたいなもの『スキーマ』を見つける。
ゆがんだスキーマを修正する。すると、勝手に困った自動思考が浮かんでくるのを防げたり、回避できたりする。
素晴らしい人間関係を築くやり方がわかるわけじゃない。ただ、トリガーとなる出来事があったとき、いつもいつもつらい思いに落ちていくのを止めることができる。


わたしの勝手な解釈と言葉によって、それこそゆがんでいると思うので、やってみようと思う場合はきちんと調べたほうがいいと思うけど。まあ、そんな感じで、何日か考えたり、考えるのがつらくなると数日間をあけてみたり、じっくり自分の認知と向き合ってみた。


今でも「これだ!」という解決法や、素晴らしいやり方が見つかったわけじゃない。ただ整理はできてきたかなと思ってる。
それなのに、また一人でずっと過ごしているといろんな考えが浮かんでくる。それは建設的な考えでも、ふわふわした考えでもなく、あまりよくないネガティブな思考であったり、あれこれ思い起こしてはそこに否定的な要因を見つけ出したり、あれこれ考えてはこれからこうしようと思ったり(冷静に見ればそれはいい考えではなくて、妄想に近いのでやめたほうがいいと思うような考え)。


そんな年の瀬、今日美容院に行ったのは、その美容院が今日で閉店してしまうからだ。
年明けの初出勤日が5日なら、4日に美容院に行くのがわたしの習慣。言いたくないけど、白髪とかケアするにも直前でないと。
もし美容院が5日からなら、5日は「朝シュッとして白髪隠し」みたいなのをしてやりすごし、連休最後の日に予約する。
今回はそれができなかった。17年の歴史を閉じちゃうのだそうだ。


わたしが通ったのはそのうち何年だったろう。
わたしが初めて施術してもらった人、誰でもよかったので指名したことは何年もなかったが、3人目の人が入ってその人に当たりたくないばかりにあるときから指名するようになった。(いつやるかが重要で、誰にしてもらうかは二の次だったので、指名はしないのがわたしのスタイルだったのだ。)


ここ何年かはずっとその人を指名してきて、お世話になったが、オーナーが店を閉める決断をしたので、田舎に帰るそうだ。
オーナーは別なところで本店を自分ひとりで経営しているが、そこはわたしにとっては行きにくいので行くことはないだろう。


最後から3回前くらいのとき、その人も同じジャンルの音楽を聴くことがわかって、へぇ~となった。


すごく親しくしていたわけではない。でもその適度な距離感も好きだったし、ほどよく話をしていた。まあ、サービス業の人なんて、そういうのはうまくやるけどさ。


「よかったら、連絡先を教えてください」と気軽に言ってみるのはどうだろう?
でも……そんなの、ウザいかも。
相手にとってはただのお客で、お客の中でも親しいお客じゃないだろう。
でも……仕事ってそんなものかもしれないけど、10年以上にわたる積み重ねの末に、何の人間関係も残らないものなんだろうか。それもさびしくないだろうか? 何人かは「ぜひ連絡くださいね」と言ったり、それこそ「LINE教えて」と交換したりしているんだろうか。
言っていいかな、ダメかな。どうしようかな。


でも最後の日の最後の時間帯は、ただ挨拶に来る人もいたりして、言い出す機会もなかったし、それがまあ天の決めた運命だったのかな、と思ったりもした。


帰りに駅前まで行って、スーパーで総菜なんか買ってきて、ビール飲みながら「シカゴ・メッド」を見たり、くだくだとドラマのことを書いてUPしたりした。
2話目の「シカゴ・メッド」を見終わって、ふぅっ、お腹いっぱいだと一息ついたら、もうあの美容師さんとも二度と会えないんだなぁって思った。わたしは後悔しないだろうか。まだ学生終わって3,4年といった若い20代とは違うのだ。これから先出会う人の数も限られている。そして長いつきあいがある人でも、年末年始などは遠慮しあったり、そんな付き合い方になっていく。
せっかくの出会いや縁は大切にするべきなんじゃないかな。どちらからも近寄りにくいものなんだから、どちらかが一歩踏み出さないと、何も始まらないんじゃないかな。こういうところでぐずぐずして、縁がすべり落ちていくままにしていたら、何も変わらないんじゃないかな。


なぁんて、ぐだぐだ考えて、明日になったらもう店は閉まってるし、きっと自分は後悔したり、「いやでもあれでよかった」と考えたり、ぐずぐずするんだろうな、と思った。


そうだ、以前、名刺を作ったことがあったんだよな。個人的なやつ。
「LINE交換しましょう」なんていうのは重いかもしれないけど、せっかく作ってまだたくさん余っているのだから、ああいうのを渡して「よかったら連絡くださいね」って言えばよかったんだよな。
そうしたら気楽だし、相手が連絡してこなければそれはそれでいいし、自分は歩み寄ったんだから満足だし、連絡してくれればそれは嬉しいことじゃないか。
あー、そうすればよかったんだなー。どうして思いつかなかったんだろう。


ちょっとそのことを考えて、うーんこれはいつまでも「どうしてそうしなかったんだろう、それなら負担なく『一歩』だけは踏み出せて満足したろうに」と後悔するだろう、とその時点から後悔し始めた。


こうなったらとにかく後悔の種だけはなくしておこうと思って、もう一度美容院に行ってみることにした。6時半近くに自分は出たし、そのころにわざわざ話に来ていた客もいた(施術はしないであいさつに寄ったんだって)。まだ8時前で、今日は最後の営業日、明日までに片付けなければならない事務や経理が残っていると言っていた。
急いで歯磨きをして(ビールを1リットル飲んでいたし)、適当な服を着て、コートを羽織って行ってみた。
これで美容院の明かりがもう消えていたら、「それでもやるだけはやった」と諦めがつきやすいだろう。
明かりがついていたら、一歩踏み出してみよう。


で、行ってみたらまだついていた。
なかなかうまくはいかないもので、地元で開店しようかと考えているって言っていたので、「開店したら教えてください」と名刺を渡してしまった。それじゃあ開店するまで連絡するなって感じじゃない?
でもわたしはまだまだ、社交初心者だ。(この年だけど)
社交下手な人間が、いきなり上手にはなれない。やるだけはやった。満足して帰った。


今日学んだこと。
相手に任せるというのは、ときに気楽なものである。


悩んでいる職場でのいろいろな人との人間関係、そして主な一人との人間関係も、年が明けて職場に行ったら、まずは相手に任せてみようかな。
自分が「もっとこうしよう」とか「なるべく話しかけない、近づかないようにしよう」とか考えて行動するのは、疲れるし、うまくいかないことも多いし、うまくいかないとき自分のせいにしてしまう。


前も「相手に任せよう」と思ったことはあったのだけれど、それはただ概念だけの話。
今日は身をもって学んだのだ。相手に任せたことで心が楽になるのを実際に感じたから。わたしはやるだけやった。あとは相手次第であり、何も変わらなかったとしても納得できるだろう。わたしは自分にできることを、やりたいと思ったことをした。相手が受け入れてくれなかったり、悪い状況のままだったとしても仕方ない。人間関係はわたし一人ではどうにもできない。相手があることなのだから。って、今日は心から思えるかな。

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