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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

ブログについて考える:存続のための収入

ここのところブログについて考えたりしていて、自分の考えを整理してきた。


・社会的に今のネット活動は、SNSが主流になってきている。
・SNSはプラットフォームごとに囲い地があり、その中での交流をする。
・プラットフォームごとの投稿特性があるものが存続している印象。
 →Instagram:写真
 →X(旧Twitter):つぶやき(文章)
・Facebookは特徴がはっきりしていない。文章でもあり、写真でもあり。
 そのためか、衰退している印象。
・Instagramが新たにスレッドというXに似たものを始めたが、やり方やプラットフォームはXに似ているが写真なのか文章なのかどっちつかずであり、盛り上がりを見せていないように思う。自分も少し見ていたけど、やめた。


・ブログは文章という特性がある。
・Xはつぶやき、しゃべり、つまり話しかけているが、ブログは文章。文としてまとまっている。
・自分の伝えたいことを不特定多数(どこかの誰か)に向けて発信することに適している。
・そのため、かつてはそのような使われ方をしていた。
・しかしSNSのひとつであり、Google検索上位に載らないことが多くなった。
・載るものは、ネットライター風に書かれた記事(か、またはネットライターが書いた記事)であり、書きっぱなしではなくそれらしい体裁を保ったもの。
・読まれるものは、検索でヒットした何らかの情報が得られる記事である。
・求められているのは、情報であり、日記やエッセイ風の内容ではない。
・今使っているMURAGONは、不特定多数への発信ではなく、SNSとしての特性を踏まえた構築をしている。(MURAGON内で読者になったり、読者がついたり、ナイスをしあったりする。)


・店の情報などもInstagramやXで発信される。
・公式ページは概要のみ。(更新が面倒)
・日々更新される「今日のメニュー」や「今日のタップリスト」「今日の出店場所(キッチンカーなど)」は、SNSで発信。



それでもなんとなく、リアル友達は聞いてくれないような内容・長さの話を、だらだらとしゃべる感覚で書けるのでブログを続けている。
見ている人はたぶん、1人か2人。でも誰かに向けて話しているという感覚はいい。


が、久しぶりにネットで自分の記事を見てみたら、真ん中に広告があって文章がさえぎられる。
スクロールしていけば見えるのだが、ウィンドウを小さくして見ているときは面倒。
目の隅に映像が写り込んできて、うるさい。
あれ、これって、ブログだから? それとも何かウィルスが入っちゃった?
どうも自分の側の何かだったようだ。


このことがあって、スマホで見える広告についても考えた。
途中途中に広告が入っているネットライター風記事も、スクロールが面倒でうるさいと感じる。でも情報が必要だったら、見ちゃう。
結局、どれを読んでも同じだったりするのだが、労力をかけてまとめてくれている人がいるのは、有難いのかもと思う。
Instagramは、広告もひとつの投稿のようになっていて、気になる度合いが少ない。自分にマッチする広告を送っているらしいというのも分かる。


つまり、ブログでは文章が大事であり、その合間合間に入られたら嫌だな、という結論。
そう考えると、記事を表示する前にドーンと入っているのはいいのかもしれないな。×で消しさえすれば、その後は普通に読めるから。
ところが、それでは広告主はお金を出す意味を感じない可能性がある。実際、マッチングされた広告を「詳細を見る」とするのはInstagramが多い。


どこかで収益を得ないとSNSもやっていけない。
無料で始まってしまい、歴史も長くなったので、もう今さら有料は難しい。
だから広告は仕方ないことだと思う。
が、出す側も分かっているので、ただ載せるだけではどのくらいお金を出してくれるのか。


利用者側のわたしとしては。


・マッチングされた広告
・見ている投稿の雰囲気を壊さない広告


この2点があってほしいかな。
今日の結論。

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