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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

ブログについて考える:今のソーシャルメディアのあり方

【それぞれのプラットフォーム内での交流】
ソーシャルメディアは、それぞれのプラットフォーム内での交流が主だ。
Instagramは、Instagramアプリをインストールしていないと、見たり投稿したりできない。できるのかもしれないが、わたしにはできない。
X(旧Twitter)も同様。
YouTubeもアプリをインストールしていたほうが断然見やすい。
しかし、それは携帯で見る場合の話だ。わたしは家でパソコンをかなり使う。パソコンで見るなら、ブラウザでよい。特に不便はない。ところが、スマホでソーシャルメディアをしようとするとアプリがないと難しい。
Facebookなど、今やできない。検索結果に出てきても、見ようとすると「アプリがないと見られない」と言われる。2ヶ月くらい前までは「見られないよ、アプリ入れてね」みたいな部分が多くて見にくかったが、今や開けない。


それぞれのプラットフォームは、それぞれであって相互のつながりはない。
InstagramからXは見られないし、逆もできない。


今のソーシャルメディアは囲い込みの時代なのだと思う。
でも、それはそれで問題ないのだと思う。
ひとつのメディア内でもアカウントを分けて使う時代だ。同じひとつのソーシャルメディア内でも**垢、**垢と使うなら、プラットフォームごとに使うのなんて当たり前、何も問題ない。それは提供側も同じこと。Instagramの会社にしてみれば、Xユーザーでもいいのだ、Instagramもやっているなら。



【ブログ】
上に書いたような社会の中で、ブログはあまり囲い込みに適さない。
もともとブログをしている人たちは、情報発信型の人たちだ。その情報が、知識であれ、広く一般的に求められる情報であれ、個人的な日記であれ―― 発信したいという思いがある人たちがやっている(と思う)。
少なくともわたしはそうだった。おいしいものを食べた、それを誰かに言いたい、いちいちリアル友人にLINEなどで画像と長々したメッセージを送るのもウザいし、不特定多数に言いたい。嫌なことがあった、友人が毎日聞いてくれるわけじゃないので、どこかで吐き出したい(けど、自分だけのノートじゃなく、誰かに話しているという感覚がほしい)。


他の方のブログを見ていると、そういう感じがやはりあると感じた。完全なひとりごとでもよい(少しは共感したり反応したりしてくれる人がいれば)という人もいたが、やはり誰かが見ているところに発信したい気持ちはあったと思う。わたしだって、Word文書に日記を書くというのではなく、ブログに日記を書いていたのはそのためだ。たとえ誰も見ていなくてもいいのだ、少なくとも「誰かが見てくれるかもしれないネットという場所に載せた」というだけでもいいのだ。単なるノートとは違うのだ。
中には完全に「他者への発信」を意識したブログもあったし、それはどんどん多くなっていった。それらは、ネット界で多くの人が知っている存在になったり、本を出したり、ブログというプラットフォームを超えて社会に出ることも可能だった。(今はどのくらいそうなのか、分からないけど。)


ブログをしていた人たちは、不特定多数に発信したかったのだ。(たぶん)(違ってたらごめんなさい)
そして、それは、やはり文章で書かれていたのだ。



【ライブドア等:囲い込みができているブログ】
わたしの夫は、ソーシャルメディアをやらない。XもInstagramもやらない。
やらないというのは、発信しないという意味だ。


以前は(なんだったかな?)はてなブログだったか、がっつりした戦略や戦術や武器などについて語っていた方(つまり戦術オタクっていうやつね ※夫曰はく戦略オタクと武器オタクは違うのだそうだ)が、Twitterに移ったと嘆いていた。
長い記事が読めなくなったからだ。


そういうのとは別に、夫は絵日記を面白おかしく読むのが好きだ。
で、**さんと**さんと**さんは面白いという人がいて、わたしなどネット上の人にやきもちをやくくらい面白いというのだ。
(まあ、それも、そういうネット上の有名人とテレビの有名人が違うと思っちゃう世代にわたしが属しているからだが。)


その中のひとりは、今やアニメにもなった。(まぁ、アニメになった人って他にも何人もいるのだろうけど。)
その方は、ライブドアでブログをやっているそうだ。
ライブドアの上位に常にいる人で、ライブドアのイベントや、ライブドアでの何かによって、いろいろな恩恵も受けているらしい。(この辺りは、ユーチューバーと似てる。)


アメーバというブログも、かつてそうだったよね。
アメーバブログでトップの方にいる人や、中堅にいる人は、商品をいろいろもらえたり、アメブロのイベントに呼ばれて、そこで見た商品について語ったりするという。


これらのブログは、いわゆる囲い込みができているブログなのだと思う。
もともとアメーバブログって、たくさんあるブログの中でも特別にそういう感じだったもの。――まぁ、簡単に分かりやすく言えば、まるでYouTube。すごい人がいて、有象無象はいっぱいいる。すごい人は稼いでいて、有象無象はすごい人になりたくて頑張る多数の人。


わたしはいくつものブログをしていた時代もある、とよく言うが、
・Gooブログ(写真ブログ)
・Seesaaブログ(食日記、愚痴的日記、山歩き日記の3つ)
・FC2ブログ(仕事日記、ポエム、散文、インスタ的写真詩の3つ)
・Bloger(写真、コラムの2つ)
・はてな(手話日記、日記の2つ)
・ジュゲム(日記)
・MURAGON(なんでもいいやな日記)
・ライブドア(日記、仕事関連のテーマでの散文、2つ作ってみたけど、あまり投稿しなかった 3つくらいしか記事がない)


結構いくつものブログサービスを利用したのだ。
今でもやっているのはMURAGONだけだが。


ヘビーなブログユーザーだったのだ。



【長くなったので、とりあえずまとめ】
情報収集としてのインターネット、人との交流の場としてのソーシャルメディア


その枠組みの中では、不特定多数に読んでもらいたいものは、プロっぽく見せる。
ワードプレスなどが一時期流行っていた。
今ではブログも、そういう機能がたくさんある。
MURAGONにもあるのだが、使うかというと、わたしは面倒で使わないのだ。だって、わたしはネットライターを目指してるわけじゃないから。とりあえず、なんでも言えればいい、書きなぐれればいい、みたいになっているので。


YouTubeやTikTokは不特定多数向けだが、映像ありき。文章ではないところが特徴。
映像という表現手段を使えば、何でもヒットする可能性がある。
この点、かつてのブログと同じだね。


交流の場としては、各メディア内で完結。
アカウントを持っていないと見られない。
そこで得られる情報や交流や発信の楽しさのためにインストールして囲いの中に入る。それ(インストールやユーザーとしての利用)は無料だけど、広告は載る。自分はデータ化されて情報収集される。
でもいいのだ、仕方ないのだ、そういう時代だから、ということで。



とりあえず、このくらいにしておこう。
ちょっと酔って来たから。続きというほどのものではないが、思いついたらまた書こう。

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