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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

ここまでのなんとなくの日記

4/23【ネットの美しい記事】
ネットライターさんなどによる美しい記事が、インターネットにはたくさんある。
いろいろな情報があるので有難い反面、自分に合わないと時間ばかりが過ぎてしまう。


ひとつの事柄に対して、複数の記事を読んでみても、内容としてはあまり変わらないことも多い。


たとえば以前に、「異性の友人と旅行に行くことについて」というテーマの記事を読んで、ふぅ~んと思っていくつかの記事を漁って読んだ。そのメリットとデメリットは、どの記事も8割から9割同じなので、どれを読んでも同じに思えたり、「あ、ここはさっきの記事にはなかった」と思ったりした。すべてのメリットを書き出してみて、同じものは消していってみると、9割ほどが同じ。デメリットも同様だった。


これを書いている今日の午前中は、「チェアリング」について調べた。たくさんの美しい紹介記事があった。
造りはどれも同じで、前半が①チェアリングについて調べてみたらこうだった、②実際にやってみたところこうだった、③まとめ、後半が①チェアリングに使う椅子の紹介、②商品ページへのリンク、という流れだった。


そして今、「やる気が起きないこと」について検索した。やらなければと思っていることがあるのだが、やる気が起きないからだ。
対策はどれも同じようなものだった。あまり驚かない。前に検索したときもそうだった。だから今日は病気的な側面から検索した。前回調べたこととは若干違う(調べ方が違うから)。だが、そこで言われていることはだいたい同じだった。


対策のひとつに「何もしないで過ごす」というのがあった。
いや、分かる。これはいいのだが、たった今それをやっていたのだ。そうしたら、ぐるぐるといろいろ考えごとをしてしまうので、「何もしない」というのはよくないと思ったわけだ。そこでついつい検索してしまった。
うつうつとした気分になる状態の人が何もしないで過ごしたら、堂々巡りの考えに苛まれるだけじゃない?


ま、いっか。そこに怒っても仕方ない。今日はやめとこう。ただ、ここにぶちまけておこう。



4/30【世の倫理】
自分の心を平らかにするために、「そう思っても仕方ない」というセルフトークを使うようになった。ちょっとネガティブさが減る変形バージョンとして「そう思ってしまうのも自然なこと」というのもたまに使う。
どちらかというと、諦めの気持ちが入っているのか、自分にとってしっくりくるのは「仕方ない」の方なのだが。


たとえば、自分に悪意を向けてくると感じる人はうんざりする。相手に対して、心の中で乱暴な思いが湧いてくる。
それを押し殺すのではなく、「行動するわけじゃないから、いい」と許す。「そう思ってしまっても仕方ない」と許す。
乱暴な思いを抱いて少し気が収まったなら、それでよしとする。


いつかはスルーするようにしたい。
でも今現在できないとしても、それを責めないようにしよう。
対処法として心の中で悪態をつくなら、それも今はいいと許そう。


なんて思う。
でも、神社でおみくじを引いたときとか、倫理観の高い人と話したときとか、そういうのは許されないのかなという気持ちになる。


その「許されない」ってことに対して、今度はうんざりして、気持ちがひどく落ち込むことがある。



5/5 【GWの中日】
5/2を有休にしたので、6連休。(わたしの職場は、サービスを停止している期間に有休を取れという圧力が(ここ2年ほど)大変高い。5/1に出勤することもいい顔はされなかった。休みたい日に休みたいんだよね。サービス提供期間は休まないでくれと言われてるみたいで、圧を感じる。)


3日が過ぎ、今日から後半という金曜日。
朝、起きられなかった。めんどくさい思考傾向があって、「何もしなかった」「せっかくの連休を有意義に過ごせなかった」と鬱々したりするので、要注意なのだ。起きられなかったために、「どうせ起きられなかった」とゴロゴロしてしまって、さらに悪化するのが、いつものパターン。
悪循環思考になるのは、なんとか食い止めたい。
いいじゃないか、そういう休日の過ごし方も、と考えなければ。


一方で、趣味の作業を進めたいので、最低限の予定はクリアしたい。
趣味なんだからできなくてもいいじゃないかって話なんだけど、この年齢層になってから頑張りがきかなくて、休みの日でもないと進められない。わたしの趣味って、なんかいつもゴールや目的ができちゃうんだよね。そうなると、趣味だからこそ、「クリアした」感が欲しい。だってそれが喜びやリフレッシュにつながるわけだから。わたしにとっては「クリアした」感も趣味のうちなのだ。


たとえばブログが第一の趣味だった時代は、定期的な更新をすることが達成感につながっていた。その達成感も含めて楽しかった。毎日更新する、予約投稿を活用して先の記事まで書いておいたりして、複数のブログを毎日更新していた。休日は記事書きばかりしていた頃もあったな。
編み物が趣味だった頃もあった。そのときは、やはり完成が達成感を生み、嬉しさや楽しさを生む。難しい模様を編むことはなく、単純なものが多かったけど、それで満足。できあがれば満足。パーツを綴じるときとか、めんどくさくて苦痛を感じたりもするけど、編む作業だけでは低い満足感に終わってしまう。


まだ午前中だから、気持ちやら予定やらをリセットして、最低限は進めておこう。と今思ってる。

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