Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

あれやこれや


職場には、ポケモンGOをしている人が多い。
もともと好きでやっていた人が何人かいた。
何年か前、キングの役職に異動してきた人がやり始め、その人がさびしがりや系の人だった。
キングのご機嫌のために始める人が多く、爆発的にポケモンGO人口が増えた。だって、キングも人を誘うんだもの。やっていてプレゼントをし合う親友には、まだ若い人でもラブラブお友達。


その年のあとも、全国各地に異動で散らばっていっても、ポケモンGOのグループLINEや、ポケモンGOでのやり取りでみんながつながっている。


わたしはやっていないけど、遠く離れてもそうやってつながれるのっていいのかな、と思った。
これから先、わたしは仲良くなった人と別れていく。年々人が離れて行き、新しい人とは仲良くなれないだろう。


一瞬、やりたい気がしたが、無理だと瞬時に悟った。
お友達が多くないとやり取りが少なく、持っている何かもどうやらたまらない。
そうすると、お目当ての人ともやり取りができない。
友達少ない系だってバレちゃうし。


だからやれないな。



人がうらやましいことがよくある。
特に、人生というか生活について、うらやましいと思う。
その中でも特に、親しい人がたくさんいる人がうらやましいと感じる。


生活を楽しんでいる人って素晴らしいと思う。
たとえばちょっとしたおいしいものを作って食べている様子をブログで見たり。
庭をきれいにしたり、好きなように手入れしたりしているとか、畑をしているとか。
趣味に出かけているとか。
ひとり暮らしでもそういうことができるって、すごいと思う。


家族、親族、友人、離れて暮らす子供や孫、そういう存在がいる人は、うらやましい。
その努力をしてきていないくせに、いるということがとてもうらやましい。


さらに友達や、知人や、いろんなつながりを持っている人はうらやましい。
この場合、うらやましいを通り越してねたましくなるくらい。


実際のところは、見えている部分だけしか知らないので、どのくらいどんなふうに仲良くしているのかなど分からない。
昔、自分の妹が友達や知人が多かったのは、様子もある程度わかるし、本人がどう思っているか、どのくらいどんなふうにかけているかもわかってた。
それとは違って、他人だから、全部を知ってるわけじゃない。
人から見たら、わたしも「友達多いね」って言われるかもしれない。だって、いい話の部分しかしないもん、普通のつきあいでは。


うらやましかったって、ねたましいくらいだって、必ずしも努力で自分がそうなれるわけじゃない。
環境や状況もあるからね。
そんなこと、人にはよく言う。特に悩んでいる相手には言う。相談も受けたりするし。
でも――自分に当てはめて実行するのは、なかなか難しいんだよね。



父は社交的な人だった。
破天荒な人だったと思うけれど、結構誰からも好かれてたな。
家族からしたら、困るところも多かったかもしれないけど。


まあ、好かれてたかどうかも分からない。
とにかくつきあいの多い人だったというだけで、相手はどうだったか分からない。


母はどうも気難しくて、また場に合わせることも不得手で、うまくいかない。
一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、旅行に誘われたりということもあるのに、その相手に対しても自分を肯定できない気持ちがあるらしい。
たとえば、5人の旅行仲間がいて、上から順に4人が決まり、そのうちの誰かが都合が悪いときに5番目の母が誘われる、とか言ったりする。
実際にそういうことはあるだろうと思う。それでいいや、とは思えないみたい。


わたしは多分に母に似てる。
妹は父に似ていた。母は(わたしは気に入らないのだけど)「**はお父さんにそっくり。だからどちらも早くに亡くなった」というような発言をする。
でもお酒の飲み方などは、わたしが一番父に似てる。
社交性は、そこまで似なくて残念だったかな。


そういう人生を歩んでみたかったと思う。
社交的な人生。
人から見たらそうも見えるだろうという、近年。
だけど、自分の中には母と同じような考え方がある。


損な人だな。自分て。
結論ないまま終わる。この第3段落は、酔って入力してるので。


はぁ~

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