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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

「エマ」(ジェイン・オースティン)

ジェイン・オースティンが好きだ。
 
以前、友人は「予定調和なところが面白くない」と言っていたけれど、そこがいいと思ってる。
それに、彼女の洞察力は鋭く、一見おとぎ話のように予定調和なストーリーに見えて、「まったくそのとおり」と共感したり、耳が痛かったりする場面も多々ある。
 
読んでいない人に少しばかり引用しても仕方がないし、読んでもそうは思わないという人もいるかもしれないから、ここで説明は終わる。ことこまかに説明するのは面倒だというのもある。
 
ジェイン・オースティンの小説で特に好きなのは、「高慢と偏見」「説き伏せられて(説得)」。これは4,5回読んでいる。
 
「ノーサンガー・アベイ」も2度は読んだ。
 
「マンスフィールドパーク」は、1度読んでよかったけれど、長かったせいか、それとも主人公がちょっとばかり陰気くさいせいか、2度目を読もうと思いつつ、まだ読んでいない。
 
「分別と多感(エリナとメアリアン)」は、全体の話は好きなのである。登場人物も嫌いではないのである。ただ――結末がちょっと悲しいのだ。世の中ってそういうものだとはいえ、おべっか使いの誠意のない女が勝ちを収めてしまうのだから。
――いや、実際に勝ったのは幸せになったエリナだと言うこともできる。でもやっぱり、ねぇ。
 
これだけは簡単に説明すると、(これだけというのは「この作品」という意味ではなく、「おべっか使いの女が勝った」ということだが)、エリナとエドワードという好青年が恋に落ちるわけである。
 
エドワードは多大な財産を相続できる身であったが、かつてふらふらとルーシーという女性と婚約をしてしまい、そのため勘当されていた。財産は、弟のロバートに行きそうだ。
 
ルーシーはあまり品のいい行動をとる人物ではなく、エリナとは比べ物にならない。エドワードの心は既に冷めていたが、それでもエドワードは紳士としていったんした婚約を破棄することはしない。苦悶しながら、エリナのもとを去ったのであった。
 
エドワードの母は尊大な人物で、ルーシーとの婚約も面白くなかったが、相手がエリナであっても不満がある。
エドワードはエリナとの愛を貫き、母からは勘当されたまま。財産も手にできないことになったが、エリナの愛を得て、他から少々の財産も得ることになっているので、幸せだ。
 
兄が勘当されたため、財産は弟のロバートにいくことになったが、なんと、ロバートは兄の元婚約者ルーシーと婚約してしまったのである!
兄と別れるよう説得に通っているうちに、ルーシーにまるめこまれてしまったのだった。
しかしルーシーは、平身低頭、エドワードとロバートの母である人にせっせとおべっかを使い、「自分のような者など」という下手に出る態度を崩さず、ひたすら有難がり、おべっかを言い続け、なんと身分を越えて母親のお気に入りになってしまった。
 
世間の人たちは不思議がったものである。エドワードが勘当され、財産が手に入らない理由が身分違いの結婚のせいだというのに、ロバートはもっと身分の低い女性と結婚しながら兄の財産もすべて手に入れてしまった。
 
という結末。
 
心が幸せだって、なんだか釈然としない。
わたしはエリナやエドワードのように純粋な人間ではないらしい。
2度ほど読んだが、この結末さえなけりゃ、と思うので、その後は読んでいない。
 
で、今回は「エマ」を読んだ。
この話も良かったが、長かったので2度目は手をつけていなかった。
最初に読んだのはいったいいつだったろう? 10年前?15年前? かなり前だ。
ついに再び手にしたのも、この「暇はあれども金はなし」期間のおかげだ。
 
「エマ」は面白かった。
 
それにしても、品性のかなり下劣なエルトン夫人が、幸せに目上の者を「ナイトリー」と呼び捨てにし、自分のために世の中は回っていると当然のように思い込み、実に腹立たしい人物でありながら、決してぎゃふんということがない。
それはそうだ。嫌なことがあっても、それは自分の言動が原因ではなく、周囲の誰彼が悪いのだから。いつだってエルトン夫人は幸せであり、自信満々で、自分が人に嫌われるなどあり得ないと思っているし、自分を嫌う人間がいるとしたら、よほど心がねじまがっている人物だと憤慨するだけなのだ。
 
じっと落ち着いて家にいることなんでできない派手好きのくせに、「私のように音楽とかいろいろな静かな趣味がなかったら、田舎に住むのはさぞつらいことですわね」と言ってのけ、でも「結婚すると女はピアノなんて弾いている暇はありませんわね。仕方がないことですわ。払わなければならない犠牲ですもの」と練習をしたり、人前で演奏したりすることを回避。たいしてうまくないという証拠はないわけで、「私は本当にピアノが好きでたまりませんの」「ピアノなしでどうやって生きていったらいいか分かりませんわ」「私は音楽には相当な造詣がありますから分かりますけど、なかなか素晴らしい演奏ですわね」など、言いたい放題。――セリフは全然合っていないけれど、まあこんなことを言い散らすうざい人物なのだ。
 
いやいやいやいや、「エマ」は面白く、こんなふうに人物の造形がとてもよくできていて「いるいる!」と納得なので、いい小説だ。エルトン夫人しか感想がないわけではない。
 
ただ、エルトン夫人の描写でも分かるように、オースティンの筆は容赦ない。
エマにしても、その他の人々にしても、心から喜んだり悲しんだりして生きているのだが、やはり結婚には格のつり合いとか、色恋以外の俗世的要素が重要であったり、いつの時代も人間は同じようにして生きてきたと思わされる。
 
人間の意識に進化はないのだ。つまるところ、大昔も、中昔も、今も、たいして変わりない。
 
オースティンはそういう作家だ。
楽しいけれど、好きだけれど、そのリアリティは容赦なくて、ちょっと痛みを感じる年齢になってきたかな。




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