Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

友達とは何か?(すごいタイトル(笑)ちっちゃいことです)


なんていうの? 人の相談とか聞いてる。
仕事。とも言える。


友達いない。友達欲しい。とはいえ、人づきあい苦手。面倒でもある。
という人、結構多い。


仲介機関のTwitterで、友達がいないと悩む人は多いんですよ、あなたも悩んでいませんか? そんなときは、うちに相談! 専門家がお答えしますよ!


……わたし、無理ですけど。


答えを見たくても、答えはなくて、そんな広告文句で終わってた。
そりゃそうか。ここで教えてしまったら、申し込んでくれないもんね。


ここ、いろんな専門家いるんで。
キャリアとかもいろいろだし。
専門的に答えられないなぁ、わたし。



検索すれば、友達の作り方を指南しているネット記事はたくさんあった。
だいたいどれも同じ内容で、同じ構成。
当たり前か。かなりの部分、コピペか焼き直しなのかもしれないし。


その中で、もし自分が専門家だったらどう答える?
つまり、臨床心理士とか公認心理師とか、そんな人だったら?
そこまですごい資格でなくても、何か「相談のプロ」と思われるような資格持ちだったら?


実はわたしも友達少ない。ていうか、1人くらいしかいないんじゃ?
わたしこそ教えてもらいたいよ、と思う。


心理カウンセラーとしては、どんなふうにもっていくものか?
一人だけ公認心理師の人が書いていたが、自分がしたのもだいたい同じ流れだった。
そりゃ、そうなるわな。と思った。素人に毛の生えたような自分が偉そうに語れないけど。


①あなたにとって友達とは?
②その関係になりたいと思う場合、お互いさまですよ(あなたも同じことを相手にしましょう)
③友達までの道のりは一歩一歩(最初は小さいことから始めて、探り探り。途中で合わないと気づくこともあるかも)
④友達は永久のものではありません(状況が変われば関係性が変わることもある、人生は流れていくもの)
⑤あなたがつきあいたいと思うような人はいますか? 相手も同じことを思うでしょう(あなたがグチばかり言って自分の話を聞いてくれない人は友達にしたくない、と思うなら、逆もまた真です)


まぁ、こんな流れで行くか、と自分も思ったが、公認心理師の方さえ同じ流れなら、安心した。


ネットライターさんによるネット記事では、最後は「心構えが分かったら、実際に作るには?」の具体案が載っている。
・お稽古事を始める(趣味が同じだと話がしやすく、仲良くなりやすいよ)
・趣味のサークルに入る(上に同じ)
・旧交を温める(以前の同級生や友人や知り合いとの縁をもう一度掘り起こしてつなごう)
・お店で一人でいるとき、他の人と話してみよう(なぜ、これ、そんなにも多いんだろうってほど書かれてたけど、そんなにするかな、この出会い方??)
・SNSを活用(まずは自分から情報を発信!)
・友達アプリを活用(地域と趣味から絞り込めたりするよ)


これで友達が欲しいときの心構えと、作るにはどうするかがだいたい分かったと思う。
この記事ではいちいち詳細を語らない。上の短い文章で充分言いたいこと分かるもの。でしょ?



で、わたしにとって友達って何か?


相談してきた人によっては、「楽しく外出できて、食事とかもして、全部でなくてもある程度心の中を話すことができるような人で、悩みがあったら聞いてくれて、自分を気遣ってくれる人」と言うこともあった。
――そうだね。で、それ、あなたも相手にとってそうであり、あなたも相手にしてあげるんだよね? 一方通行じゃないよね?


ネットの中には雑誌かサイトかの「こんな友達が好かれる、嫌われる」というような記事もあった。
そういうのを見ていると、心を開くとかそんな親友(とか心友)みたいなことじゃなく、どうも会社内でちょっと仲良く話せれば『友達』と言っている意見もあった。
「よく愚痴を言う友達は、本当はちょっとうざいん」とか「最後は自分の話になる友達は、自慢?て思っちゃう」とか書いてある。
それ、友達なんだね。上に書いたような人の感覚からしたら、「友達に値しないから友達になろうとしない」相手なんだろうな。


そう考えると、そもそも『友達』って決まった定義はない。
自分が友達と思えば友達ってことだ。


なら、わたしには結構友達っていることになるのかも。
あるいは一人もいないことになるのかも。


職場で週に賞味15分とか20分くらい話すかどうかという他部署の人。でも仲良く話す。楽しいし。
悩みまで話すかっていうと、まぁ、たまーに愚痴を適度にこぼすくらいで、心の奥深くまではそりゃお互い言わないわ。
でも、それも友達だよね。
そういう人なら、何人もいると言えるかも。


考えてみれば、しょうゆ顔さんとか、一緒に飲みに行くもんね。
二人で行ったことだって、一度はあるし。
丸顔つちのこさんとも行ったことある。明らかにほかの非正規雇用者とは違うつきあいがあるかな。
それも友達と言えるのかもね。


飲まないのでプライベートで遊びに行くことは少ないけど、丸顔つちのこさんの一の友人、スターダストさんも、廊下で出会えば嬉しい笑顔が自分からこぼれる。
そのうち、相手も笑顔で相手から話しかけてくれるようになった。
これだって、友達と言えるよね。
関係性はそんなに深くないかもしれないけど。


プリンスだって、友達と言えるのじゃ?
いろんな話は楽しい。
お互い、相手にしか言えないこともある。立場が全然違うからこそ話せるってこと、ある。


あ、わたしって、意外と友達多いのかも。
心の内をなんでも話せる人なんてのは、いないけど(笑)
そんなこと、なかなかないと思うし。



頻繁に会わないから、心の中を全部話すことはしないけど、たまに楽しく会える人はいる。
資格を取るために学校に通っていた頃の知り合い。
それも友達と言っていい。


「なんでも話せる?」→ いや、NOだな。
「そのときの資格関連の話はできる」「近況報告なんかもできる」→ YES


相手の生活の話は若干しかお互い聞かないかも。
たとえば3人で飲みに行く(沿線が同じだから)、たまに別路線の人が1人加わったりする。
そのとき、Aさんが子供のことを話すのは少し。話のついで。
Bさんがご両親やおばあちゃまのことを話すのは少し。話のついで。できたての旦那さんとの生活を話すのも少し。話の説明上だったり、ついでだったり。
Cさんが自立して生活しているお子さんや、旦那さんのことを話すのはあまりない。説明が必要なときだけ。
わたしも夫のことを話すのは少し。説明が必要なときだけ。


それでも友達だよね。


仕事や勉強した分野のことで思ったことや悩んだことがあったら、話すと思う。
でもなんでも悩みを話すかというと、しないだろう。
とはいえ、Aさんにはこれは話せるかな、Bさんにはこのことなら話すだろうな、CさんはCさんの受け入れ態勢が大丈夫なときならこんなことまで話せるかな、というのはある。


「なんでも話せる」そんなことって、めったにないよね。


だからこの人たちは友達。「なんでも」話せなくても、かなり親しいと言えると思う。


わたしは友達が少ないと思っていたけど、そうでもないのかも。
「友達の定義」っていうのを考えてみたら――
いや、正確には「自分にとっての友達の定義」「どういうことを友達に求めるか」を考えてみたら――


意外といるものかも。


多くを求めだしたら、ほとんどいなくなるけどさ。



これまでの人生で、昔の友達とはほとんど会わないことがある。
それを自分では「自分の性格が悪いから」「自分が人との関係を保つことができないから」とちょっと自分を否定していた。(だいぶ否定していた)


だけど、それは仕方ないことでもある。


分かりやすいところで言うと、とっても仲の良かった人でも、子供ができたりして生活が変わると話が合わなくなることがある。
お互い合わせて話すけど、前の親しさはなくなる場合もある。
なくならないこともあるよ。それは素晴らしいと思う。なくなることもある。


タイミングってものもあって、わたしがおばさんになってから出会った「子供がいる人」は、人によって親しくなれない。
いい悪いじゃなくて、その人の生活が子供中心だと、会話が子供関連の話題に終始することがあるので、ついていけない。物理的に苦しい。
おいしいケーキ屋さんがあるの!って話だったとしても、「うちの**がバイト先で教わってきてね、休日に行ったらこうでね」から始まり、「**がこう言って、**は友達とこうして、**たちには有名なところらしくてね」となるとついていけない。**ちゃんの世代の話にはついていけないのだ。自分が子供と一緒に追体験していないから。
そこまでお子さんの話が出てこない人だと親しくなれることもある。
わたしより年が上で、もうお子さんたちがそれぞれ家庭を持って離れて暮らしてる(季節の折々に訪ねてくる程度)という人とは、話しやすい。


友達は永遠ではないってこと。
一度友達になったからといって、それで永続的に同じ親しさが続くものではない。
維持する努力も必要だし、関係性は変わることもある。


友達はタイミングもあるってこと。
性格が合うとか、そういうことだけじゃない。
会話の話題だけじゃなく、こちらは遊びに行きたいけど、あちらは生活が忙しくて遊びに行けない、なんていう合わなさもあるだろう。いろんな合う・合わないがある。



わたしはちょっと歪んでるところがある。
人の相談を聞くようになって、人に言うからには自分もあれこれ考えるし、しかもそれは自分だけでぐるぐる考えているのとは違う――自分の偏った見方をいったん横に置いて考えなきゃならない。
そうしたら、自分自身が少し変わってきたんじゃないかな、と思う。


あと、1ヶ月ほど前に連続して書いていたけれど、ある出来事があって(人との会話で)、わたしは何年もにわたる振り払えないきつさや不安の荷を少しおろしたのだ。
わたしの中に、あの大切な亡くした人の良さが、自然に残った(そなわった?)のだ。


今となっては、そのときわたしを変えたひと言って、相手にとってはそれほどの深い思いがあっての指摘ではなかったのかもしれない。
でもそんなものなんだよね、たぶん、カウンセリングって。響くときは響く。
――ま、カウンセリングしてもらったわけじゃないんだけど。自分にとってはそういう効果があったってこと。


いろんなことがいろんな方向から作用して、わたしは少し円満な人生を歩める人になれたんだと思う。
人のブログを読ませてもらっていて、みんなすごくいい人たちだなぁと思っていたけれど、そういう円満さが自分にもできてきたのかもしれないと思う。


この年になって。


だから今は言える。
わたしって、それなりに友達いる。
わたしの老後を救ってくれはしないだろうけど。それはそんなものだから。

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