人とか、人との関係とかについて、ある日考えた
心でも、頭でも、人そのものでもいい、人を点でできているようにイメージしてみると。
無数の点々、それらは大きさや色も様々で、全体として見ると絵かオブジェみたいにどれもが芸術品みたいだ。
わたしはひとつだけではない様々な性格や特性や考え方や面を持つ。
人間はみなそうだ。
わたしのある点を好きだと感じる人もいれば、好まないと感じる人もいる。
相手も様々な点を持つので、互いが近寄ったときの反応はいろいろなのだ。
どんな関係でもそうだ。
相性というのは、実は複雑なものだ。
人は無数の点でできているからだ。
親しくなると嫌われることがあるのは当然だ。
初めのうちはお互い少ない点々しか見えてないからだ。
わたしは誰とでも同じだけの点を開示してつきあうわけではないし、みんなわたしの同じ点にだけ気づいたり注目したりするわけではない。
人同士の関係って一律ではない。
だから好き嫌いはわたしだけではコントロールできないし、嫌われてもわたしに非があるとは言えない。
嫌われることを恐れることはない。
好かれることが第一命題ではない。
こんなふうに思えたのは初めてだ。
こんな年になって…今さら…
管理職プリンスとわたしには、プリンスにしか見えないわたしの点もあるし、わたしにしか見えないプリンスの点もある。
プリンスとわたしの関係の、点と点の結びつきや好悪が描くモチーフは、他の人との関係にはない絵柄もたくさん入ってる。
わがままボーイとわたしには、ボーイとわたしだけの関係があり、お互いにお互いしか知らない、見えない点もある。
知らない点もある。たくさん。
背高メガネさんとも同じ。
プリンスと背高メガネさんには、わたしの知らないふたりの世界があって、プリンスとボーイにもある。背高メガネさんとボーイの世界はもうちょっと軽い点の少ないものかもしれないし、意外とわたしが知らないだけで濃い関係なのかもしれない。
いろんな人との間にそういう、一対一のそこにしかない関係がある。
深く知ったら絵柄が変わって、好ましくない絵になることもある。
だから「思ったのと違った」ってことや、「こんなとこもあったなんて」と関係が壊れる・崩れることも多い。
それは仕方ないことなんだ。