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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

距離を保つ――いろんなディスタンス

※よくやりますが、画像は記事内容と関係ありません。



人との関係、心のディスタンス

緊急事態宣言が解除されて、1ヶ月。


自粛!自粛!で自宅にいる時間が長く、人とのつきあいも家族とばかりだったあのときは、「久々の暑中見舞い」みたいな感覚で友人知人・顔見知りの人も若干名、連絡を取った。
それはそれでよかった。心温まるときもあったし、人とつながれたと思えるときもあった。
お互いそういう状態だったから。。わたしの友人知人のほとんどは首都圏にいるので、お互い自粛状況が似てた。


でも今は、だいぶ通常の暮らしが戻ってる。
今でもテレワークは推奨されているけれど、わたしは毎日フッツーに通勤して通常業務をしている。


それで、あの心寂しい不安な引きこもり気分はだいぶ消え、みんな忙しくなって連絡を取るにも気遣いをするようになった。
つまり、元に戻った。
忙しいかな?とか、こちらのことを長々話すのはどうかな?とか。


だから、人との関係はまた距離が生まれた。
不安で近くなっていた心の距離も、また離れた。
『他人』との適切な関係が求められるようになった。



職場とのディスタンス

職場、つまり慣れ親しんだ場所であったり、構築してきた人間関係であったりの「職場」。


わたしはここでもよくこぼしてきたように、今の職場でフルタイム勤務になってから、変転があった。
著名な大御所タレントさんが、そのときどきでお取り巻きがいる(悪い意味じゃない)歴史を見て、ああそういう感じだなと実は納得した。


職場のドンのお取り巻きの女性筆頭だった時は終わり、今は尾羽打ち枯らしたわたし。
でもその前にもお取り巻きはいて、その人はわたしが台頭する前に去っていた。
職場は去ってない。お気に入りの立場を去ったということだ。今でも働いてる。


わたしもそういう、終わった人になったんだな、ということが「芸の世界」になぞらえることで分かった。
終わった人は、お取り巻きとしては違う人にとってかわられたけど、自分の仕事を細々としたり、消えていったりする。
違う世界に移る人もいるかもしれないし、違う人のお取り巻きとして重用されることもあるかもしれない。
その人は息絶えるわけではないんだけど、権勢の強い人の庇護下にあるか外れるかっていうのは、ある意味公的な意味合いも持ち、「窓際族」になることなのだ。


出社していない間に職場のとの距離が必然的にでき、たまたま部署のトップもヒラ正規も変わって、それが自分にとってはマイナスだったため、さらに距離ができた。
距離を感じている間に、自分が昨年度悶々としていたことの意味を悟ることができて、またさらに距離が空くのを感じた。


この距離は大事にしたい。



仕事とのディスタンス

職場と距離をおこうと思うとき、ネックになるのが仕事とは距離をおけないことだった。
わたしは今の仕事が好きだ。
職場、特に正規雇用者の組織としての職場とは距離をおきたくても、そのためにお客さまに対する気持ちが下がるのは悲しい。
じゃあ頑張らずに淡々とやろうと思っても、お客さまに接するとき「頑張らない」っていうのは、なんかいやだった。


それもMs.馬車馬の『新体制』のおかげで、だいぶ減った。
お客さまに影響を及ぼすような業務をさせない仕組み、何かこちらがいい仕事をしてもその結果だけをとっていける仕組みをMs.馬車馬は組み立てた。
それってすごいとは思う。
非正規に大事な業務をさせないことでラインを引き、自分たちの領域を守ることをずっとしてきた部署のようだが、Ms.馬車馬は一歩進めた。
大事な業務の下請けはさせ、下請けで得た成果はすべて現場正規(Ms.馬車馬含)に報告させる。
上にあげるときは、その成果を使って自分たちが報告する。
そのためになるべく非正規とお客さまとの関りを薄くする新体制。


これはいいことだと捉えたい。
おかげで仕事と距離をおける。仕事と距離をおければ、職場との距離も保ちやすい。
そう捉えたい。


どのくらいがちょうどよいのか、まだ模索中な部分もあるけれど、いずれ分かって来るだろう。



自分の心とのディスタンス

自分の暗い部分に引きずられすぎないようにしたい。
――というか、すべきだ。たぶん、健全な毎日のために。


わたしに根強くある不安は、なくならない。
今さらわたしに子供ができることはなく、今さらわたしににぎやかな未来が訪れはしない。


わたしに根強くあるひねくれもの気質は、なくならない。
今さらわたしが誰にでも肯定的な気持ちを抱き、人の批判を聞いたとき「とはいえ、こうも言えますよね」とさらっと流したりできない。自分が言って流されるほうだもの。


だとしたら、そういう自分の暗い部分、黒い部分をなくそうとするのでなく(できないから)――
距離をおけるようにしたい。
あまり引きずられすぎないように。


わたしがわたしでなくなることはできないから、「引きずられない」はできない。
「引きずられすぎない」でいい、とゆとりをもって。


自分の心と距離をおけるようにしたい。


……難しいな。



隣の芝生とのディスタンス

欲を言えば、羨ましさや、それが高じて妬ましさになるようなものから距離を保ちたい。


隣の芝生は青く見える。
分かっているけど、自分のより青く見える。


自分以外の人はみんな、自分のより美しい芝生を持っているように見える。


きっとその人は苦労して今のささやかな幸せを得た、それは波乱がないわけじゃなく、寂しさがないわけじゃない、大きな幸福とは限らない。
わたしだってささやかな幸せなら持ってるはずだ。
頭はそう思っても、感情が追い付かない。
自分の寂しさや不安をいつもより強く感じさせられてしまう。


きっとその人は語らないだけで、いろんな負の思いも持っている。それを全部見せずに適切に人とつきあってるだけだ。
わたしよりずっとつらい経験をしてきたかもしれないし、わたしより孤独を感じているかもしれない。
頭はそう思っても、感情が追い付かない。


頭はそう思っても感情が追い付かず、人を羨ましく思うことは、本当に多い。
ダメだなーわたし。


ダメなんだけど、ダメなことってなかなか直らないもんだ。
世の中にあふれてる『隣の芝生』との距離を、少しでも保てるようにしたい。

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