Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

心の中のよどんだ沼の底に

※画像は内容と関係ありません。



心の底にベースとしてネガティブな不安がある。
それがわたしをむしばむのだと思う。


今、夫が昼寝している。
土曜日の夕方。
午後、外に出て遅い昼ご飯を食べ、お腹いっぱい。
歩いて買い物もしてきた。日頃動いてないから疲れる。
わたし自身もうとうとしたけれど、夫も「眠くなった」と昼寝。


だけどもう6時過ぎで、日はかげってきている。
「あらやだ、寝ちゃったわ」と好きなことをすることができない。


録画したアメリカドラマとか見てるけど、それは「好きなことをしている」のではなく、不安をまぎらせて何かしてるだけ。


寂しいのだ。
そして不安。
60になって70になって、もし夫がいなくなってたら?
この世にひとりきり。


20代はひとりでも平気だった。
30代は友達が少なくても気にならなかった。


でも今は――「ひとりぼっち」という不安が押し寄せてくる。


考えたって仕方ないのに。


この世のどこにも家族がいないという状態って、どれだけ孤独なんだろう。
誰かに話しかけたいとき相手がいないって、どれだけ孤独なんだろう。


と、先を読んでは考えすぎる傾向のわたしは、心配しても仕方のないことに不安を覚えてしまう。



わたし以外の人はいろんなものを持っているように見える。
そんなこと、思ったって仕方ないのに。


隣の芝生は青く見える、と唱えても変わらない。


いつか、娘さんを持つ人がわたしの「ひとりぼっち」不安に対して言った。
子供がいたら、それはそれで心配よ。私がいなくなったらこの子がどうなるのかと心配になるし。


でもさ、わたしは自分勝手なんだと思うけど、自分の最後のときまで誰かがどこかにいるっていいことだ、って思えちゃう。


人の話を聞いていて、「若いっていいな。これから人生を組み立てていくんだ。わたしは今さらどうしたって今積み上がってないものはどうしようもない」と思ったりする。
「家族がいるっていいな。苦労も多いっていうけど、にぎやかだったり、心の支えだったり、寂しくなかったりする」と思ったりする。
「社員寮に住んでる正規の人は、たとえ独身でも寂しさが少ないんじゃないかな。大きな家族みたいなものだし」と思ったりする。


違うかもしれない。
デメリットも大きいかもしれない。


でも持ってないものがすごく素晴らしく思える。


で、じゃあ独身で、一人で暮らしてる人がいたらどうかっていうと、
「すごいな、明るく生きてて」とか「どうして自分はそうできないんだろう」と思ったりする。


近年、ものすごく強くなってきた気がする、この『根底にある不安や怖れ』。
これがすべてのネガティブさのベースにあるようだ。



もともとどちらかというとネガティブなほうだったんだけど、ここ1年ひどい。


その不安がひどくなった原因は3~4年前にあるのだけど、会社の飲み会要員として活躍(?)していた頃は、それで毎日が過ぎていって忘れていられた。


自分でもわかってた。
『それ』があるのに、忙しさで紛らせて忘れているってこと。


最初に資格の勉強をしようと思ったのも、それから逃げるように「何かしよう」とすがったからだ。


やがて『それ』は、根深い不安というか孤独というか、『沼の底に堆積してる暗い泥』みたいなものに変わっていった。

ドロドロしてねっとり足に絡みつき、底なし沼に引きずり込もうとする。


分かってる。
つまり、誰でも不安なんてあるけど、考える暇がないのが一番の薬なのだ。
まぎらせるしかないんだ。


昨年度の苦痛や苦悩は違う資格の勉強で紛らせたし。


体は疲れるかもしれないけど、土日に何かしようかな。
考える暇がないように、何かできたらいいのかな。



あまり不安だらけでは、わたしにつきあってくれる人はいない。
だからあまり言わない。
で、こういうところで発散する。


人と話して楽しかったとしても、あとから自分にないものを持っている部分がうらやましくなったり、自分にはそんな安定がないと自己否定をしたり、めんどくさいヤツ。

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