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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

たまに出勤、自宅待機後半:日記3

この記事を書いている時点で、まだ5月は2週間ほど残っているけれど、自宅待機期間も短縮されるかもしれないし、日記もまとめに入ろうと思う。
これが公開されるとき、自分はどう考えているかな。
今から書く気持ちを持ち続けているかな。また変わってるかな。



★自分を見つめ直す時間★
確かに、やむを得ず強制のように『巣ごもり』をすることになった1ヶ月半もの時間。
おいしいもの食べに行こう!とか、海に行こう山に行こう!とか、イベントで思い切りはじけるぞ!とか、「パーッといこうぜ!」なことができず、ただただこもりきりの1ヶ月半。
日頃からしているジム通い、音楽教室通い、ダンススクール通い、あみものサークル、合唱サークル、友達との月1ランチ会、そんな「日々の習慣」や「ちょっとした楽しみ」もできず、通常の日常ではないこもりきりの1ヶ月半。(わたしは、ここであげてること、何もしてないけど笑)


恐怖のSF的世界みたいなひっそりした新宿をテレビで見ながら、自宅にひきこもってる1ヶ月半。
いい日差しだなと思っても、散歩に出て人とすれ違おうものなら、なんか感染しそうと怖くなったりした1ヶ月半。


そりゃもう、断捨離だってするわ。――わたし以外のまめな人たちは。
おうち時間を楽しもう、っていろいろするわ。――わたし以外の人生の楽しみ方を知ってる人たちは。


わたしはいろいろ変転したなぁ。
スッキリサッパリ、仕事から足を洗った気分で過ごしたり、
不安が大きくなってネガティブメンタルに陥ったり、
今後の暗澹たる何年かを思って仕事のことが頭から離れなくなったり、
つきものが落ちたように、自然にゆるゆるした生活を楽しめるようになったり、
またできなくなったり。


これらの日々がこれからの自分にいい意味をもたらすといいと思う。
せっかくの突然の長期休暇を無駄にしたと落ち込みたくないので、本当にこれからの自分のためになるといいと思う。



★生きているだけで★
つい考えすぎてしまうのは、豊かな暮らしができているということなのかもしれない。


「スタンリーのお弁当箱」というインドの映画、ちょっと評価を見てみたら、すごく長いコメントを寄せている人がいて、読んでしまった。
わたしが考えさせられた部分をものすごく短くまとめると、こんな感じ。
「この映画に出てくる子供たちは、自分がいた頃のインドを思うと全員裕福である。貧乏ということになっているスタンリーでさえ裕福だ。自分がいたとき、近所の子供たちは急にいなくなることがあった。だれだれはどうしたのかと聞くと「死んだ」と普通に答える。兄弟が全員生き残っている子供はいない。小さい頃から仕事をして、手はごわごわになっている子供が多い。将来の夢を聞くと「生きていたい」という答えが返ってきたことがある」
その当時自分がいたところでは、ということで、今でもそうなのかは分からないと断りがあった。


生きているだけで豊かなこと、ありがたいこと。なんだな。
職場がどうとか、仕事のやりがいがどうとか、そういうことを考えられるのは豊かなことなんだろうな。


だからといって考えなくなるわけでもないんだけど、
ストレスはたまり続けるんだけど、


豊かな国に生まれて豊かに暮らさせてもらっていても、死は免れない。
生きてるから悩んだりするけど、自分が明日死なないとは限らない。
思わぬ病気になって長く生きられないこともある。
そういう視点もときどき思い出すといいかもしれない。


ストレスを感じすぎるのもほどほどにしておこうと思えるかもしれない。


しかし、この評を読み、上のように考え、映画も実際見てみて、なお、やはり前日2日ほど仕事に行ったときの内容や今後へのうんざり感が頭から離れないでいる。

なかなか難しい。



★どうしても振り払えないものがあったら★
自分の気持ちの変化を見つめながらこもった毎日を過ごしてみて、最後には「気持ちの切り替え方」なんてことを検索してみたりもした。
――気持ちの切り替えって、失敗した後の切り替えを語っているものもあったけど、わたしの場合はそうじゃない。ネガティブになったり、不安に陥ったりするのを切り替える。病的になりそうなとき、健全な方向に切り替える。というのを欲してる。


試してみてうまくいかないものもある。そんなのごまんとある。
これまで何度もわたしは考えすぎるほど考えてきた。そういう性格だから。
それに年を取ると増える。わたしの場合は増える。暗い気持ち。
可能性や未来の時間が減っていくのだから、そりゃ増える。


で、これがうまくいくかどうか分からないし、違う局面がきたらまた違う対処が必要になるかもしれないけど、しばらく試してみようと思う方策がある。


「忙しくすること」


成就しない恋なのにその人が好きな気持ちがわきあがってきて困るとき、他のことを考えているとまぎれる。
たった今、目の前にある壊れたレジをなんとか直そうと、お客さんを待たせてあれこれやってみてる、電話で問い合わせたりして必死、という10分間、大好きな諦めきれない彼の顔を頭に浮かべてはいないと思う。
でもなんとかお客さんを返すことができ、修理の人もすぐ来てくれることになってほっとひと息、待ち時間15分となったら浮かぶけど。この前会ったとき言ったこと、言われたこととか思い出したりして、また頭の中ぐるぐるしちゃうけど。
修理の人に説明をしているときはあまり考えないはず。


職場のストレスを引きずったら、ほかのことで頭を使っておくのがいいだろう。
頭を使うことを他にいくつも持っておくことが大切だろう。
恋ほどやむにやまれぬものではないから、そんなにすごいことでなくてもいいだろう。
書きたいブログでも、やってみたい趣味でも、なんでもいいからいくつもあれば気が逸れる。


わたしの生活の中で、多くの時間と多くの人間関係と多くの意識を使うのが「仕事」「職場」。
これは避けて通れないもので、求めたり期待したりしないようにと思っても、なかなか難しいものなのだ。


きっとわたしはまた同じように揺れる。
怒りや悔しさや落ち込み、へこみ、悲しみ、イライラ、期待、失望、人への執着、いろんな感情。
だからそんなとき意識を振り替えることができるものをたくさん用意しておくのがいい。


できるものなら。

そして、効くといいが。



★まとめ★
やっぱり時間があったので、4月5月はブログめぐりをしてみることも多かった。
毎日を楽しく過ごしてる人は尊敬する。
毎日に感謝してる人とか、楽しく過ごしてる人とか、満足して生活してる人とか。


わたしはぐちをたれながしてるからなぁ。
でもそれで安定を保っているなら、それもいい。というか、仕方ない。


再び始まる日常の中で、しばらくの間は今考えた対処法で、自分の心のバランスを保ちながら生活することを目指したい。


まあ、なるべく。

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