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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

Petit memo:人生と仕事、もしくは人生における仕事

連休中用に、去年の秋から冬にかけて学んだことの中で、個人的に好きだったことをメモしていこうと思う。
画像は無関係。



キャリアの理論を学んでいたら、自分が見えてきた。
自分のことって、自分なんだから見えてると思ってるけど、見えてないとこもあったんだな、って感じ。


キャリアを柔軟に捉えることができたら、仕事が楽しいというのも素直に思えるようになった。
もともと思ってたけど、実は見えないところに精神分析でいうと抑圧されたものみたいなのだったり、認知療法でいうとスキーマだったり自動思考だったりっていうのみたいなのが、隠れてるんじゃないかと分かったというか。


★今の社会で、人の人生と仕事って切り離せないこともよくある。人生における仕事って、時間としてもかなりの部分を占めるし、意味としても大きな比重がかかりがち。
人生で仕事が自分にとって意味を持っていたり、ある程度大切だったりするのって、当たり前によくあることなんだ。


★これまでもそうだったと思う。けど、その背後に、自分の人生にしみついた価値観があったことがうっすら見えてきた。
「仕事は生活の資金を得るためのもの」「仕事ばかりの人生は空しい」「仕事に夢中になっているのは寂しい人生」みたいな。
精神分析で考えるなら、幼い頃にさまざまに感じていた母親の価値観に影響されてるんだろうと思う。
あと、今の家族にもそういうところがあって、一緒に暮らしているうちに「仕事=悪」みたいな考え方がしみついたのかもしれない。
地位にこだわるのは、これもやはり幼い頃の母親の価値観が影響しているのではないかと思う。非正規雇用なのに仕事に比重がかかってるなんて、ばかばかしいことだし、ある意味屈辱的なことだ(やりがい搾取みたいで)、と感じることにつながっていたんだと思う。
ナラティブ・アプローチやナラティブ・セラピーで考えると、これまでの人生の不合理な価値観がしみついたドミナント・ストーリー。それがわたしにもあったということだ。
それを、新たな物語、オルタナティブ・ストーリーに書き換えていく。仕事が楽しくてもいい。仕事が今の生活の中で大きなパートを占めているのも自然なことだ。
もちろん、いつか引退するときのために、そろそろ仕事以外にどれだけの比重があるかを考え、増やしていったほうがいい。それに、引退までまだもう少しあると思っていても、何かひとつだけに賭けるのではなく、仕事以外にも楽しいことや打ち込めることがあるようにしておくことは大切だ。
でも、それは、仕事が今の人生の中で結構な重みを持っていることを否定するものではない。仕事にやりがいを感じてはいけないっていうことではない。
これって、論理療法でいうラショナル・ビリーフ、柔軟で合理的な信念。認知療法でいうスキーマの修正、柔軟で合理的な認知。に修正されたということだと思う。


★まとめると、「自分てそういう歪みを持っていたんだなと分かった」。
「仕事について、肯定的に考えてもいいんだ」「そういうふうに意識を柔軟にしよう」
という結論。

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