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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

自宅待機期間(前半)の日記:小さな感想帳


【ターニングポイント】


人生には転機があり、それがキャリアを変えることがある。
という理論がわたしには発見だった話を前にした。
けど、今日の場合は転機というよりターニングポイントというほうが合ってるかな。


職場を離れて、心にゆとりができたのか、何年も離れていた読書という趣味を思い出した。
でも長らく読んでなかったので、なかなか重い文章には入っていけない。
買ったけど読んでなかった少女小説などをひっぱり出して、読んで処分しようと思った。
現代のじゃなくて、古い昔の少女小説が好きで、よく読んでいたのだ。欧米のやつ――というか、主にアメリカ大陸なのかな?
「赤毛のアン」とか「若草物語」みたいなやつ。


オルコットの作品を読んでいたときだった気がするけれど、(この期間の出来事を順に述べるのではなく)「それまでと変わってしまうような、特筆すべきことがあったときを記述する」みたいな前置きがあって、その章が始まったときがあった。(ように記憶している)。
ああ、ターニングポイントってことだ、と思った。



そういうときがあるものだ。それまでの自分とそれからの自分が変わってしまう出来事。


特に子供から大人への間の「少女」「思春期」そして「大人の女性」への流れの多感な時期にはそういうことがあると考えられるのだろう。少女小説には、考えてみればそういう「起承『転』結」がよくある。


「赤毛のアン」のマシュウが亡くなったときとか。


あとなんだったろう、忘れてしまったけれど、何かの本で、「後から振り返ると、あのときから子供時代は終わりを告げ、あの**以来心から笑ったことはなかったように思う」みたいな記述があった。「心から笑った」という表現ではなかったかもしれないけれど、子供のような屈託のない心状態ではなくなったということを語っていた。


そういうときが、人生にはあるよな。
その前とその後で、自分が変わってしまう時期。
もう前の自分には戻れない出来事。


それはやっぱり、たぶん一生にそう何回もないような重い出来事なのだ。
幸せなことで変わることもあるだろうけれど、前と後とでまったく変わってしまうというのは、どちらかというとハッピーとは違うことが多い。


自分の「あれ」以来変わったというターニングポイントを想起して、これまでも何度も思ったことだけれど、「ああ、あのとき自分の中で、決定的にこうなったんだな」と考えた。
ある程度年をとったら、誰でも何かしらあるかもしれず、人が聞いたら「そんなことよくあることだよ」と思う場合も多いから、ここで披露はしないけど。


ああ、あのとき、自分は変わってしまったんだな。って。。



【なぜブログに書きたいか】


なぜいろいろな人のブログを読むかについて書いている方の記事を見て、なるほどと思った。
その方は、共感が理由のひとつだと気づいた話をしていた。


じゃ、なぜわたしはブログに書きたいか?


たぶん、誰かに言いたいんだろう。
だけどハードルがある。
「今、忙しくないかな」「またその話かと思われないかな」「分かってもらえるかな」
つまりわたしは共感してもらいたい。
そのために不特定の「どこかの誰か」に向かって話しているのかな。
特定の誰かに話すより気楽であり、肯定や共感が具体的に示されることが少ない代わりに、否定や批判が直接示されることも少ない。
誰も共感してくれてないかもしれないけど、それを知ることはない。「どこかの誰かが1人くらい共感してくれてるかも」と淡い希望を持ち続けられる。


共感したくて見る人がいて、共感されたくて書くこともある。
って、ふと思ったある朝。



【仕事のストレス】


仕事から離れて過ごして、そのときの心の動きを追ってみて悟った。
わたしの仕事のストレスって、ほぼすべて人間なんだなと。


忙しすぎる/残業が多くて体がつらい/休みが取れない/能力以上の仕事を求められてつらい/仕事内容が合わない/ハラスメント/その他
そういうことじゃなく、どうやら職場の人間関係に終始しているようだ。


わたしのプライベートはショボい。
家族、夫のみ。
親類、実母のみ。(あまり好きじゃない)
家族並みに親しい友達、片手で数え終わる。というか余る。


だから職場の人間関係を切り捨てたくないと思っている。
切り捨てたくないだけじゃなく、結構な比重を持っている。


仕事で評価してくれるのも、人間関係。
飲みに行くのも、人間関係。
それは、信頼や親しさや好きや嫌いの感情なのだ。
「職場の人間関係だからこうしなきゃ」じゃなく。


あー
そんなの退職したら失われるものなのにな。


わたしは人づきあいがうまくないくせに、人が好きみたいだ。
期待しては失望したり、近づきすぎては崩壊したり、うまくできずに失敗ばかり。



【人による】


普段ほとんどテレビを見ない。
そう言うと、「あまり見ないんだろうな」と思われるけど、ほとんどとは99%くらい見ないという意味だ。
365日を分単位にして、100で割った分数の1つ分、て意味くらい。
地震があったときの地震速報をスマホで検索するのが面倒なときとか。そのくらい。


でも今は見てる。
コロナ問題は職場で人と話すときも、わたしの職場を利用しにやってくる人たちと話すときにも、ちょっとは知らないと話にならないからだ。
そして、その動向によって自分の出勤が変わる可能性があり、「緊急事態」や「自粛」や「制限」の内容ってどんな?と知らなきゃいけなくなったりして、やむを得ず前より見てる。
結局テレビでなくネットで見ることも多いけど。


そうしてなんとなく見ていると、今だからこそ活躍できる職もあると分かった。
・おうちで簡単に作れるレシピを紹介する人
・冷蔵庫の食材をフル活用できる人
なるほどー


LINEを見たりすると、チャットルームを使って活動する人もいた。
・おうちでできるヨガなどの運動を紹介する人
・メンタルが不安だからそのためのチャットをしてくれる人
なるほど。


わたしも何かしたいと思った。
自分にできること。
これ、もっと前にこのブログに書いた。
どうしてもほかに優先事項ができて、置き去りにされがちな人たちへの支援ができたらと思う。


でもわたしが手をこまねいて、ただだらだらと時間を過ごしている間に、そうして活躍している人はいる。


自分て、行動力ないんだなーと実感する。
そういうことも、メンタルをマイナスにしていく。マイナスというかネガティブ?


友人りーりちゃんからは、ブログでは伝わらない、Twitterとかが大切だと言う。
そうだよな。自分て、ホント、めんどくさがりで新しいことに弱いままだから。
Twitterが新しいなんてことないのにね。新しい使い方ができない。


そうして焦ることがまた、マイナス。というかネガティブ? な要因に。


焦るな。
自分のペースで。
感染をわたしから拡げない、まずそれが一番で。次に、自分が感染しないように気をつける。感染したら拡がっちゃう可能性があるからね。
できることをまずやる。
それから、もっとできることがあるなら、自分のペースでやればいい。


だって気負ったって、わたしにできることは小さいだろうから。

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