Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

わたしの思いと人の意見

友達って、ちょっと話したりする程度の人まで含めたら、結構いるものだよね。
でもそれが、社内でちょっと話をする程度、となったら、友達と呼ぶかどうかは人によるかもしれないけど。


相談ごとまでする友達というのは、やっぱりこの年になると決して多くない。
しかし身内というと、ほぼ夫オンリーというくらい親戚づきあいもない子供なし夫婦。
それでも最近困った事件があったとき、りーりちゃんにずっと相談していた。
正確には、りーりちゃんの意見に抵抗したり、最後の頃は「りーりちゃんに反対意見があるのは分かるけど、今は聞いてくれるだけでいい」とわがままを言ったりもした。


もうひとり、若いとは言えないけど、わたしと比べたら青年だな、という人が聞いてくれた。
この人は申し訳ないことに、「周囲の人」なのに事件に巻き込まれた関係で、相談にも乗ってくれたし、いろいろ尽力してくれた。この人、もう友達だな。
前もこのブログに登場していたけれど、たかさんに名前を変えておこう。忘れてまた違う名前つけちゃうかもしれないけど、まあいいや。


たまたま、渦中の時に「久しぶりに会いましょう」と言っていた友人がいて、この人にも少し話してしまったのだけれど、この人にはたった1回と結末報告しか話しておらず、相談していたかというと微妙だ。


りーりちゃんとたかさんと、2人だけでも意見は違うときがある。
わたしの考えが、2人のどちらとも違うときもある。


わたしはどう行動したらいいか? ということについて、具体的に相談すると、2人は言うことが違うこともあり、同じだけれどわたしとは違うこともあり、迷う。
わたしは「こうしたいんだけど、それってどうかな?」と迷って、相談する。そして答えを聞いて「でも――」と思ったりする。


わたしのつらさとか、そういうのを聞いてくれてアドバイスをくれるのは、自分の考えと違っても迷うことはない。そうなんだ、そういう考えもあるか、って受け入れられる。
わたしが自分はどうしたらいいかについて相談して、そのアドバイスが自分の思いと違っていると、迷う。


自分の思いを貫けばいいと思っても、行動をするときは、人から見てどう見えるかが気になるときがある。
たとえば、「わたしはこの日、会社を休みたい」と思ったとする。「でも、こういう仕事が残ってて、休んじゃうと期限までに終わるかどうか、微妙なんだよなぁ。残業したくないしなぁ」
で、りーりちゃんに相談したら、「後から残業するの、嫌だよね」と言われ、たかさんに相談したら、「休みたいときは休んだほうがいいですよ。でも残業は会社もあまりしてほしくないでしょうしね」と言われた。
「それでも休もうっと!!」とわたしは思ったとする。こんなときは自分の思うとおりにしても、あまり影響がない。(ように思う)


たとえば、わたしは会社の人と何かがあったとする。
「**部の**さんとちょっと仕事のやり方でやりあっちゃって。でも、わたしはやっぱりこれこれこうしようと思う。そうしたい」と言ったら。
りーりちゃんは「えー、でも人の仕事のやり方にそんなふうに言うと、嫌がられるよ。そんなこと言う人、私だったら嫌だよ。だって、その人が担当の仕事なんでしょう? 担当外の人が言うの、変だよ」と言った。
たかさんは「言ってもいいと思いますけど、部外者が言って欲しくないと受け取られる可能性はあると思いますね」と言った。
となると、わたしは「そうか、そう思われちゃうかな。わたしはこうしたいと思っても、そう見えちゃうかな」と気になると思う。


そんな感じのこと。人からどう映るかについては、「わたしはこうしたい!」だけでは済ませられない気になる。


それでもやっぱり、「わたしはこうしたい」も大事な時がある。
何も聞き入れないのじゃないけど、参考にして微修正しつつ、やっぱり思いを通したいときは、自分の思いを通すのも大事かな。って気もする。


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