2023.07.23|翌日のひとり家飲み
翌日、日曜は、夫も帰っておらず、ひとり目覚める朝。そして、ひとり静かな時間。
夕方になって、ひとり、飲み始める。
まずは16:27 『U.B.P Brewery』〈GRASS CUTTER IPA〉
18:54 『伊勢角屋麦酒』〈ホップボカン!〉
20:47 『Y.Market Brewing』〈LUPULIN NECTAR DENDROBIUM〉
お供は、ビールフェスティバルで大毬さんが買ってきてくれて、おいしかったサラダ。でも、その場で食べたときほどの感動はなかった。そんなものかな。
時間を見ていると、大変ゆっくり飲んだ。飲んでいる間に思いついたことはメモを取った。メモをする時間もかかったから、飲む時間がゆっくり過ぎたのかもしれない。
金曜日に落ち込んでしまったが、中央線ビールフェスティバルに思い切って行き、飲み過ぎはしたが行ったことである程度しがらみを断ち切れたように思った。“しがらみ”とは、自分を卑下する習性や、自分を肯定できないでいる自分などのことだ。
でも、その日は無理だった。ビールフェスティバルという何も考えない日を経て、夫もいない家にひとりでいた時間に少しずつ回復できた。
そのとき考えたことはメモしておいた。今、見返して「こんな気持ちだったんだな」と分かるのも、メモしておいたからだ。(そうでなければ、忘れてしまっていただろう。近年なにしろ記憶力が落ちているのだから。)
シキさんと自分は違う。同じようにできなくても(ならなくても)仕方ない。シキさんのように高い社会的地位がある人が言うことを、人は無下にしない。シキさんが人とのつきあいが今上手にできるのは当然だ。わたしとは違うレベルにいる人なのだから。
シキさんが言うことも分かる。昔のシキさんはきっとそうやって頑張ってきたんだろう。でも、少なくとも、今のシキさんと今のわたしが同じことを言っても、聞く側は態度が違うだろう。それは、当たり前のことで、自然なことなのだ。だって、そこまで昇りつめた人が言うのと、この年になってこの立場の人が言うのとでは、たとえ同じ内容を話しても重みが違うもの。
わたしが悪いのではない。わたしが至らないのではない。わたしが下手なのではない。わたしがダメなのではない。と、自分に言い聞かせた。
社会的地位がないのに下手に出続けようと頑張らないのは、わたしの至らないところ、ダメなところだと思う。
地位が低いのに、「自分」を持ちたがる。自分を出したがる。自分でいたがる。それはわたしの欠点だ。けれど、それもわたし。
今まで、そうしてうまくやることを覚える機会がなかった。覚えようと努力しなかった。覚えて社会的地位を得ようと正社員として働いてこなかった。
それは今となってはわたしの欠点だ。わたしを苦しめる。
それは事実。わたしの欠点ではあるのだけれど、それもわたしの一部。仕方ない。
できないところもある。
わたしにはできないところがある。
でも仕方ない。
向上心は大事だ。シキさんと話していると、自分が向上心を持てないように感じるときもある。向上心を持とうとしても、今回のようにミスをしてダメにしてしまうこともある。シキさんと比べて、自分ってなんてダメな小さい人間なんだと思う。
でも、わたしにはできないこともある。また、わたしの欠点の中には、今のわたしが頑張ろうとしてもどうしようもできないこともある。
これが今のわたしだから、受け容れるしかない。
そんなふうに思いが整理され、それを記録しておいた日曜……。
では、考えても仕方ない思いは、そっとふたをしておこう。
またふたは開きそうになるだろうけど、(開くだろうけど)、そのときまた閉められますように。
