Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

プロ意識

今日は年に1回しかない内容の仕事だった。
来週も。12月に予定されているものも。
 
それにこれらはこのときしか使わないものについて。
 
普段使っていないから、わたし自身のスキルが足りない。
埋め合わせるために予習をしても、1年経つ頃には忘れてしまう。
 
プロ意識がないなぁ。
 
 
しかし逆に、自分の側の不足をうまくごまかせるのもプロだったりする。
そういう人、たくさんいる。
 
プロとは、結果として常に70点以上をマークしていればいいのであって、結果以外の問題は不問なのだ。
 
つまり、結果が70点以上なら、実際の力は60点でも50点でもいい。
常に70点以上をマークするのがあるべきプロの姿であって、70点割れはもちろんダメだけど、120点だったり50点だったりするのもダメ。100点が必須条件ではないのである。
 
 
来週と12月、なんとかごまかそう。




「モンタルバーノ」と白ワイン

「モンタルバーノ」を少しずつ見てる。
前に15話まで見たけれど、そこで止まっていた。
 
16以降を見ていて思うのは、前より食べるシーン増えた気がするなってこと。
わたしの勘違いかもしれないけど。
 
やっぱりシチリアだからか、魚介が多い。
魚介の名前を列挙する海辺レストランのシェフに、「それを全部前菜にしてくれ」と言っていたり、「うまいたこがある」と言っていたり、女性を連れていって魚介のパスタを勧めていたり。
 
で、魚介が多いからなのかどうか、「白ワインでいいか?」というのがよくある。
 
見てたら白ワインが飲みたくなったー!
 
「ホワイトカラー」を見てたときは、赤ワインが飲みたくなったけど。
だってニールとモジーは赤ばかり飲んでたから。訪れる女性たちも、ピーターの妻エリザベスも。
(ピーターはFBI捜査官だからビールだったけど。あれはあれでビールを飲みたくなる。)
 
わたしは重めの赤ワインが好きなので、普段白を飲まない。
でもモンタルバーノを見ていたら、白が飲みたくなった。
 
 
 
「モンタルバーノ」でもファツィオは、「食うか?」というモンタルバーノに「昼はとらないことにしている」と言ってた。
Law & Order | Uk」でもマットは、ロニーが何か物を食べてるとき、自分は要らないという。「そんなものよく食べられるな」とか「血液ドロドロは嫌だ」とか言って。
 
ヘルシー志向は全世界に広まっている・・・・・・
わたしは逆行している・・・・・・・・・・・・




旅行とか、いろいろやりたいこと

今は思うんだよね。
やれるときにやっておかないと、結局できないって。
 
20代はバイト生活だったから、旅行は行きたくてもお金がなかった。
みんなが行く旅行とやらをしてみたいとパンフレットをもらったりしたけど、見尽くしたあげく、「物が残るわけでもないのに何万円もかかる!」と断念。
 
でもいつかは、旅行なんかに行ったりして、悠々と引退生活を送れる――と漠然と思ってた。
若いときの未来は未知数だから、今バイト生活だって、何が起こるか分からないもんね。
 
年をとると、「何が起こるか分からない」のが違う意味になってくる。
 
うちの父の親族、長兄伯母は亭主関白な長兄伯父とずっと暮らしていた。
実は大恋愛の末に周囲の反対を押し切って伯母が伯父のところに嫁いだらしいけど、何十年も連れ添えばため息が出ることもある。
長兄伯父は長兄伯母がいないとダメで、伯母は友達と旅行に行くというようなことはできなかった。
介護していた長兄伯父ががんになり、もう長くないとなった頃、長兄伯母は「独りになったら旅行に行く」と思っていたし、伯父が亡くなると「これからは旅行に行きまくる」というようなことを言っていた。伯母は旅行が好きだったけど、行けなかったのだ。
 
でも長兄伯母はかなり年をとって、足腰も弱くなり、杖が必須で、それでも長距離は歩けない。長距離どころか、立ったり座ったり、ほんの短い距離を歩くのも難儀。
 
旅行って・・・・・・
 
自分が伯母の年まで生きられるかどうか、分からない。
今は粗食の時代の人が豊かな時代の老後を過ごして、誰でも80代まで生きるとは言えない。老年前の「中高年」くらいでがんなどで亡くなる人のニュースをよく聞く。有名人、芸能人、「若いのにねぇ」というセリフがもう、あまり頻繁になって驚きでもなんでもなくなってきた。
 
行けるうちに行かないといけないのだ、なんでも。
やれるうちにやらないといけないのだ、なんでも。
分かっていてももちろんできないこともある。でもできるだけ、やっておくべきなのだ。
 
 
9月末に退職した職場Bの以前の上司が、亡くなったというのを知った。
喪中ハガキが奥さま名義で届いたのだった。10月中頃だったらしい。
 
確かに激やせしていて、どうしたのかと思ったら胃がんで手術したということだった。
「来なくてもいいのに。家で休んでいればいいのに」と言う人もいたけれど、わたしはそうは思わない。仕事でもしてないと気持ちも体も弱る一方だもの。少し気晴らしになるのだ。行けるなら行ったほうがいい。
 
そうか、亡くなったんだ・・・・・・
 
 
がんは治療で体力を奪われる。
必ずしも治らない末期も末期とは限らないので、治療を始める。
治療をしながら何かをしたいと思っても、できない。
 
治療しないで好きなことをして自然な死期を待つこともできる。
でもその決断はきっと難しい。治療をしたら、半年永らえるかもしれない。1年永らえるかもしれない。もしかしたら何年も永らえるかも。
 
だからがんになる前に、できることは少しでもやっておくべき。
 
 
脳卒中で麻痺する前に、事故で障害が残ったりする前に、家族が要介護になって身動きできなくなる前に、職がなくなって生活に困窮する前に、とにかく何かが起こる前に。
 
 
亡くなった元上司は57歳だった。
もうすぐ60、定年。そのあと今の会社で嘱託で働けるかといったら、無理かな――今は会社も苦しいから。
どこかほかで仕事を探して、見つかったら5年くらい働けたらいい。
退職したら妻と旅行に行こうかな。その前に退職した別の元上司みたいに。
 
なんて考えていたに違いない。去年までは。




山の中のお不動さん(シリーズ:翌4月からの仕事)

週末に出かけた。去年からの冬から始めた山歩き。――だからまだ1年未満の趣味。
 
先週末に行ったのは、去年も行ったところで、途中のお不動さんがいい休憩所になっている。
山歩きってトイレがないから、トイレがあるところはみんなが立ち寄る場所。ベンチやテーブルがあったりして、休んでいる人がよくいる。
お不動さんには公衆トイレがあるので、休憩がてらお参り。
 
ちょっと心惹かれるお地蔵さまが浄財箱の横に座っている。
本堂の中には文化財の仏像だか仁王像だかがあるとか。でもそれは見たことがないので、どんなものか知らない。
 
この戸も閉まっていない浄財箱のところのお地蔵さまは、前から見るとなんともいえない表情で、気になる。
 
それでおみくじを引いてみる気になって、試してみた。
その当時、ここぞ!というところでおみくじを引いては、自分の思いとは正反対の「そんなことをしてはいけません」と諌める内容ばかり引き当てていたので、「ここぞ!」以外ではあまり引かないようにしていた。
 
そうしたら、やっとそこでいい結果が出て、とてもいい気持ちで帰った。
 
今回も引いてみた。
 
「こうと決めたことは曲げずに進むべし」みたいなことが書いてあって、なんだか背中を押された気がした。
 
「できれば福祉系の公的機関で、契約社員的に働きたい」
「そうでなければ、もうどこでもいい、公的機関のようなところで、契約社員的なポストに入り込みたい」
「そうしてあと15年、60歳まで働けたらいいのだが」
と思った。
 
その意志を曲げるな、そう思ったならあとずさりせずに進め、と言われたように思えた。
 
 
 
じゃあ、決意を固めよう。
 
ハローワークの募集をしっかり見ておいて、とにかく公的機関の契約社員的な職に就く。
第一希望 職場Aの空きポスト狙い
第二希望 職場A系のその他の機関
第三希望 どこでもいいから公的機関
いずれも契約社員的ポストで。パート的ポストは除外。
 
どうにも見つからないときのみ、減少した職場Aの仕事と派遣と貯金で1年。
その間になんとかいい職が見つかるように探し続ける。




諦めと安堵(シリーズ:翌4月からの仕事)

なんかそういうタイミングで、嬉しいのか寂しいのかわからない判断に至った。
 
つまり、今わたしはフリーな立場で雇われている。
同じ職場でも、パート的な人や契約社員的な人もいる。
パート的な人にしろ、契約社員的な人にしろ、正社員的な人の下にいるわけだ。若い人、若くないけど未だに現場指揮官の人の正社員的な人たちが入れ替わり立ち替わり、異動で消えたり来たりするけれど、パート的な人と契約社員的な人はそのままそこにいて、新しい正社員的な人に仕える。
 
これまで自分のフリーな立場について、わたしは「そのほうが楽しい」と考えていた。
自分の好きなように企画して、それを実行できる。些細な工夫でしかないけれど。
でももしこれが契約社員的な立場だったら? 正社員的な人の手足として、お考え通りに仕事をしなければならない。
それもせっせとしなければならない。脳みそは要らないけど(正社員的な方にお任せだから)、体力と気力と馬力は要求される。正社員的な方たちよりもいっそうの働きを要求される。
パート的な立場だったら――たぶん、そのほうが気楽ではあるだろうけれど、下っ端感は半端でないだろう。すべて「正社員的な人の意向に従うしかない契約社員的な人の意向に従うしかない」わけだから。
英国貴族でいえば、正社員的な人たちが貴族。契約社員的な人たちが、宮廷には出入りできない地方の郷士たち――つまりジェントリ階級。そしてパート的な人たちは、ミドル階級庶民――牧師さんとか学校の先生とか、貧民街に住んでいるわけではないし、農夫でもないけれど、決してお金持ちというわけではない人々。
 
それよりは、フリーな立場のほうが断然楽しいと思っていた。
宮仕えのつらさもほとんどないし、仕事を自分で仕切れるのがいい。
 
でもここにきて、もしかしたら契約社員的なポストが1つ空くかもしれない、という情報を得た。
――このフリーな立場の業務が来年度は激減するかも、ともともと言われている。
来年度激減はしなくても、いずれ尻すぼみになくなっていくであろうことは予想されている。
――いいかも。契約社員的ポスト。
 
自分がそこに入れるとは限らない。というか、無理かも。学歴とか高くないし。
虎視眈々と求人情報をチェックしておいて、出たらすぐさま申し込む、他の人とちゃんと競争して合格しなければ入れない。
 
でも、でもね。
狙うだけ狙ってみようかな?
 
そこに前回くどくど言っていたような、自分の状況の変化が相まって、「悪くないな」という気持ちが強まった。いざそう考えたら、すぐに「いいね」に変わっていった。
 
これはわたしの「気持ちの転換点」だった。
 
年を悟ったのだ。
今さら正社員にしてくれる会社はそうないだろう。契約社員でも、今と比べて安定する。契約社員だと絶対クビにはならないとは言えないけど、でも今より安定する。
それで御の字じゃない?
――と、そう思うくらいに、自分が年をとったということだ。
 
若い頃は、「これから何十年もその職場で働くの?」と思うとうんざりしたけれど、今は「60までだとして、あと15年か」――「そのくらいならねー」
――つまり、もう年なのだ。どうせ先は長くないのだ。これまで10年働いたサービス業、10年フリーで働いたこの職場と、9年派遣で働いたダブルワークの職場。15年て、もう1サイクルだけじゃん。
 
そんなふうに「もうそれでいいや」と思えるのって、自分も年だったんだなぁと悟らされた。
 
いったん気持ちが傾いたら、急速に「それでいいや」→「それがいいや」と思えてきた。
今の仕事は楽しいけど、大変だもんなぁ。やりがいは減っても、それって楽になることもついてくるよなぁ。言われたとおりやってればいいだけだもんね。
家で準備したり、資料作ったり、自分の能力が足りないのじゃないかとハラハラしたり、うまく仕事を回していこうと心を砕いたり、そんなこともうしなくていいんだもんね。
 
なりたい。契約社員的な人に。
 
いつ空きがでてもすぐ分かるように、求人情報を頻繁にチェックすることにした。
そのときのために、ハローワークに求人登録しに行った。
 
ハローワークは遠いので、ワークサポートというところに行ってみた。
ハローワークにワークサポート、その他もいろいろなセンターがあると分かった。
便利だけれど――かなりの数の人が働いてるね。全部合わせたら相当な数。
この人たちのうち、正社員的な人はどれだけいるんだろう? 絶対契約社員的な人、多いよね。あとパート的な人もいるかもしれない。
 
――思ったよりこういう仕事はたくさんあるのかもしれない。
 
もうとにかくどこでもいいかも。契約社員的な空きさえあれば。
ワークサポートで働きたい。
とにかくなんでもいい。ちょっぴり公的機関なところで契約社員的なポストに就きたい。
この年でろくに正社員にもなってこなかった自分が、今望める最高の位置じゃない?
 
あまり今の職場にこだわらず、とにかく何かあったらもうそこでいい。そこにしよう。
 
ここまで転ぶのは本当に短い時間だった。
あっという間だった。それには年に気づいたというのも大きいと思う。