Bittersweet Maybe

ただの日記を予定しています。金曜更新のつもりでいます。それ以外の曜日に小さな日記を書くこともあります。

バケツリスト

バケットリストという名称ではなかったが、初めて意識したのは「HAWAII 5-0」。
ときどき出てきていたスティーブの伯母(グリーでスーの母親だった人)が、久しぶりにハワイにやってきて、進行したがんと判明したと告げる話。
伯母さんは、やりたいことリストを次々にこなし、紙のリストの項目を線で消していく。


バケツリストという名称を聞いたのは、「NCIS LA」8。
オープニングのカレンとサムの会話で、サムが「おまえはバケツリストあるのか」というようなことを言う。カレンはいつものごとく反抗的?で、サムは通りすがりの人にバケツリストはあるかと聞く。(たぶん、ディークスとエリック)あると言われる話。
あー、死ぬまでにやりたいことリストってことで、スティーブの伯母さんがやってたやつだな、と分かった。


Wikiで調べて、キック ザ バケットという死ぬことの俗語があり、そこからバケツリストということを知る。
ネガティヴに聞こえそうだが、ポジティブなものなのだそうだ。


検索には「最高の人生の見つけ方」という2007年の映画に出てくるという説明が、いくつもヒットした。
原題はザ バケット リストだった。


たまたま病院で同室になった、同じ程度の余命の、がん患者。大金持ちのエドワード(ジャック・ニコルソン)とカーター(モーガン・フリーマン)と、ふたりのバケツリストの話。


映画のほうは、だいたい予想通りの内容で、しかしいい映画だった。予想通りのものが悪いわけではない。


NCIS LAでバケツリストを聞いたときから、なんとなく自分も作ろうかと思っていた。
サムが「まともなレベルの人間であれば、誰でもあって当たり前」風な口調で言っていたから。サムはグルテンフリーやオーガニックについても「普通の人間は当たり前」風に言うけど。


で、二、三日胸の中で「作ろうかな」という気持ちを温めつつ、週末に映画を見た。


温めている間に考えていたのは、今作ったものと、たとえば一週間後に「余命6ヶ月」と言われて作るものと、違うだろうな、ということ。
さらに言えば、今緊急の命の危険がない状態で作るのと、30年後やっぱり緊急の命の危険がない状態で作るのと、それも違うだろうな、ということ。
もうひとつ言えば、余命宣告はかなり進んでからだ。できるところまで病気と共存していこうと思ったら、普通の生活は捨てられないこともある。
またさらに言えば、わたしは大金持ちではないのである。また助けてくれる子供や孫もないから、病院代までバケツリストに費やすことはできない。最期は痛みを抑えてもらいながら終わりたいもの。


だから本当に、ポジティブな、そのときそのときのやりたいことリストなんだろうな。
少しバケツリストの意識があれば、「やりたいこと」の範囲が広がる。冒険、チャレンジの色が加えられる。
ってことかな、と、自分なりのバケツリストの定義を考えた。


泣けてしまうのであまり考えたくないが、Iは薄々あまり時間が残されていないかも、と思ったときも、やはり普通の生活を続けた。それが心の安定をある程度もたらしていたと思うし、自分も今現在の「ノーマル」を全部失くして南の島の小屋で1ヶ月とか暮らす勇気はない。毎日死ぬ瞬間を想像してしまうだろう。「普通」って大事なのだ、わたしのように弱い者にとっては。
これはわたしの父のときも思った。わたしは父やIよりも弱いと思う。


「普通」「日常」の中で、「あれもしよう、これもしよう、人生を楽しもう」というのが、余命宣告なしの場合のバケツリスト。
ただ、バケツリストでない「人生を楽しもう」より、もう少し一歩踏み出した、チャレンジングなものになれる可能性がある。それがわたしなりのバケツリストまとめ。




理想の

言いたいことはポロポロあるんだよね。
でも誰に言う?


批判せずになんでも聞いてくれて、受け入れてくれる人がいたらいいな。
話題によっては興味ないものもあると思うけど、分かってくれなくても、うんうん、て言ってくれるだけでもいいんだよね。


ちょっとしたグチとか、批判もマイナスな言葉も、アドバイスさえなく、うんうんて聴いてくれる人。
行ったお店の話とか、面白かったドラマの話とかも好きにさせてくれて。
へぇ~って言ってくれて、ただ聴いてくれる。


面白かったドラマを話したときに、「これこれもあるよ。さっきの話のもいいけど、これこれはこうなんだよ」って言わないで聴いてくれる。
前に見ていたドラマに出ていた人を新しいドラマの人物紹介で見たと言ったら、「そういうのよくあるよ。あのドラマに出てた人は結構あっちこっち出てるんで」とか言わないで「へぇ~」って言ってくれる。


カフェの話とか、興味ない顔をしない。
ワインの話をしたとき「ワインは飲まないからなー」と言わない。
ビールの話をしたとき「自分はビールの良さがまだ分からない人間なんで」と言わない。
おいしい店や食べ物の話を、もっと素晴らしい店やそこの料理の話をせず聴いてくれる。


買う服の話を聴いてくれる。


「えー、どこどこの服を買うの? すごいな、私は買えない。高いもん」と言わない。
だからどこの何が欲しいとか、これを買っちゃったとか、言える。
買いすぎてクレジットカードの返済額がヤバくなったと言っても、心配とかアドバイスとかしないで「えー、そりゃ大変だね」くらいで聴いてくれる。


そんな友達いない。
欲しいかどうかも友達としては微妙。聞き役でいてくれる人は欲しいけど。それがカウンセリングなのかな。
決して批判せず、意見もせず、ただただ耳を傾けてくれる。



通信教育のこと

先週ストック記事がなくなって、UPなしで一週間過ぎた。自分では「うわー」という感じ。だけどできなかった。


今週も同じで、しかし「うわー」も2回目だから、電車の中で書いてる。


大学の通信教育を始めて、それが本格的に稼働しているので忙しい。


学校によるらしくて、もっとスクーリングの少ない学校もあるようなんだけど、わたしが選んだとこは多い。

まあ、でもそれは悪くないと思う。わたしは孤独に地道に家で勉強してレポート書いて試験受けるなんて、挫折する。まずとにかくスクーリングの日程を調べ、行けるものは全部行く。スクーリングは土日なのだ。スクーリングを受けたら次の締切までにレポートを書いて郵送する。レポートを郵送したら、自動的に翌月試験になる。だから試験勉強をしなければならない。またスクーリングの日が来る。行く。行ったらレポートを書いて郵送する。自動的に翌月試験になる。この繰り返しをしていれば卒業になる。


自動的に繰り返し作業の流れに乗ったほうが、わたしの場合はいい。締切ないとやらないから、「この月はスクーリングあるから、何日までに申し込まなきゃ」「その日がきたから行かなきゃ」「行くとレポートのポイントとか教えてもらえるから、忘れないうちに書いて出さなきゃ」(ここには自分ルールがある。スクーリング行ったら、次の最短締切までにレポート出す)「レポート出したから、自動的に来月試験、試験問題の勉強しとかなきゃ。勉強してなくても受けるだけ受けなきゃ」と締切に追われ続けることで、課程が進む。


乗り換え駅に着きそうなので、ここでやめる