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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

2022年度の終わりに② 若さなし

気づいたことがある。この年代になると疲れるのだな、ということ。


タカさんがいなくなってしまう前のラストスパート、高円寺に行こうとした時のこと。
乗り換えのためにふだん使わない駅の中を歩いていた。別の鉄道会社の駅構内に入り、エスカレーターを降り始めたら、クレープの販売ブースが目に入った。
若い女性がひとり、中に立っていた。綺麗に髪をまとめ、制服を着た女性。チラリと見た印象は、高校生か大学生のアルバイトさん。


「週末はバイトなのかな」ふとそう思った。
ホームに向かうエスカレーターに乗りながら、なんとなく考え続けた。「大変だな」→「でも、電車の中で楽しそうに、バイトについて話しているのを聞くこともある。学生さんにとっては楽しいのかもしれないな。バイト先には学校とは違う日常や人間関係があったりして、そうやって複数の世界があった方がいいのかもしれない」→「でも月曜から金曜まで学校に行って、土日はアルバイトしていたら、休む日ないな。よく大丈夫だな」


「わたしはできないな。よくできるな」そう思った。
2月頃、大毬さんと「お仕事はどうですか。お会いして話したいですね」と言っていた。「3月になると仕事が忙しくなるので、その前がいい」と大毬さんは言い、日程も決めた。
しかし、正社員の方が体調を崩して休んでしまい、その分の仕事がオンされたので忙しくなったと連絡があった。大毬さんは週4日働いているが、それだけでぐったりしてしまっている。申し訳ないが約束をキャンセルしたい、と言う。
自分も、土曜か日曜に大毬さんと話すのは楽しみではあったが、出かけると考えただけで少し疲れを感じていた。キャンセルは残念でもあったが、ほっとする気持ちも湧いた。わたしの仕事は急に忙しくなったりしていないのに、だ。


疲れが取れないのだな、と思った。
体にしろ脳(心)にしろ疲れる。その疲れが1晩で回復せず、少しずつ蓄積していく。土日を2日とも疲労回復に当てないともたない。あてても疲れがまだ残っているから、「休みを取りたい」「1週間くらい休みたい」と考えてしまう。
体が老いているから、1日では回復しないのだ。回復しきらなかった分がたまっていく。


若い頃は、疲れを癒すために長い休みが欲しいとは思わなかった。
もっと若い頃は、週日は学校に行って週末はバイトや遊びをしても回復した。
もうしないんだな。若くないから、回復しないんだな。回復はしているのだけれど、完全に回復しきらないうちに月曜が来ているのだな。と実感した。


若さはもうない。
でも、若さがないことは、何かしてはいけないことがあるというわけじゃない。
若くないのだから、ひとり飲みに行くなんてしないほうがいいってこともない。若くないのだから、ビア巡りなんてしないほうがいいってことでもない。体力がないんだから、友達になった人と楽しく過ごすなんて、年齢差があったらやめろってことでもない。
やりすぎないように遊ぶこと。でもたまにやりすぎても自分を責めないこと。
疲れたら休むこと。収入が減っても休むこと。有給休暇がある職場を大事にすること。


長生きしたいかというと、別にしたくない。
長生きして成し遂げたいことが何かありはしない。長生きして繁栄を見守りたい次の世代もいない。
やれることをやりたい。


今は、長生きするより、早めに眠りにつきたい。
大切な友達とも、仕事をしなくなったら離れてしまうだろう。わざわざ会いに行く体力も気力もなくなるだろう。子や孫がいなければ、ひとりでする趣味しか残らないだろう。そんなに趣味ってあるものかな?


早めに眠りにつくのもいい。
そんなふうに感じる年代になってきたみたい。

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