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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

2020年度の終わりに③ 孤独と向き合う

ある朝、まだ寝具にくるまっていて、なんとなく目覚めた状態で、まだ意識はひっきりしていないままで、急にひどい孤独感に襲われた。
出勤してもタカさんはいない。挨拶をしたり、お昼にちょっと話したりできない。何かがあったとき、「こんなことあったんですよ」と言えない。自力で立ち上がるのが難しいとき、昼休みや終業後に駆け込んだり、一緒に飲んでもらって話すことができない。
いつまでかも分からない。3年後また戻って来るのか、5年後か、15年後か……。そのとき自分はいないかもしれない。


仕事を辞めたらどうなる?
毎日夫以外の誰とも話さずに暮らす。暗い部屋で、することもなく、不安と孤独に苛まれる。毎月の生活経費に困窮して生きていく。夫がいなくなったら、ひとりぼっちになる。この世のどこにも、なんの支柱もない。


いつかみんなでグループホームなんて、それはただの夢で、そんなことあり得ない。でも、本気で考えてはいなくても、夢見ていると希望があるかのように感じられる。
だけど、やっぱり夢でしかないんだよ、と突きつけられたよう。
タカさんが去ることは、わたしに未来への恐れを突きつけた。


またしても。と自分に対して思った。
楽しいことがあったり、親しい人がいたりすると、わたしは夢中になる。満たされる。不安や恐れは忘れていられる。忘れていられるだけで、なくなってはいないので、ふと戻って来ることはもちろんよくあることだが、心が忙しく他に向いているとまた忘れたような状態になれる。
しなければならないことに集中しているときもそうだ。資格を取ろうと思ったときは、どん底の時だった。学校の卒業のためのレポートや試験勉強、スクーリング、それが減ってくる頃には資格試験の勉強で、2年というもの暇がなかった。その日々はわたしを救ってくれた。2年の間に傷はふさがり、回復した。その頃には毎日を平常に進めていけるようになっていたのだ。


しかし、孤独や不安というのは傷とは違う。なくならないのだ。
わたしを満たしていたものがなくなると、同じ重さや強さでのしかかってくる。時には前以上の重さや強さで襲いかかる。


これは歳を取ったら誰でもあることで、みんな多かれ少なかれ抱えているものなのだと思う。歳を取ったら多くの人に寂しさや心配があるし、老いが原因なら無くすのは難しいからなんとかうまくつきあっていくしかない。
もしそのために日常生活に支障が出ているのなら、病的症状をなくすため医療機関の受診、不安解消の具体的な策を求めて福祉機関への相談、気持ちや行動を変えるためのカウンセリングや自己啓発など、行動をするべきだ。
日常生活に支障が出ていないなら、自分で自分の考え方や捉え方を変える努力をしてもいいし、少しでも不安や孤独感が減るように行動していくのも大切だろう。


行動したほうがいいと分かっている。これまでだって何もしなかったわけじゃない。ただ、あまりうまくいかないのだ。
タカさんや第二の家族いつメンを大切にすることもそのひとつだった。でも、終わりが来た、失ってしまうと感じる。


向き合わなきゃいけないんだ。自分の抱えている孤独や不安と向き合って、できることはして、できないところは諦めて流す。それが必要なんだ。


できる気はしないけど、少なくともチャレンジはしてみなきゃ。と、自分に言い聞かせてみる今日この頃。

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