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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

日記

データの保存には外付けハードディスクを使っている。
ハードディスクは2台ある。
1つは普段使っている。
もう1つはバックアップのためにある。
 
普段使いのHDは先に買ったもので容量も少ない。
写真を撮りまくるので、何年分もは保存しておけない。
1年の終わりか始まりに、終わった1年の分をバックアップ用HDに移す。
 
写真はコンデジで撮る。
スマホは苦手。
 
整理のとき、ちょっとあちこちを見てみたりする。要らないものがあるかと思って。
 
今年は長年遠ざかっている読書から年が始まったりして、なかなか幸先がいい気がする。
鑑賞記録をしていこうと思う。
それをどこに保存しようかと考える。
「日記」と名前が付けられているフォルダかなぁ、やっぱり?
 
そして日記フォルダの中を見てみると、同じことの繰り返しを断続的にしていることを実感する。
 
感想帳だって何度か作っている。
感想を書き込んだり、「書かなきゃと思うとプレッシャーになるからタイトルだけにしよう」と思ったらしい羅列だったり、「一言だけは書こう」と思ったらしい時期だったり。
 
でもやがてとだえる。
そしてまた、しばらく時が過ぎて、改めて作ろうと思うようだ。
 
日記も同様。
このブログを始めて、日記らしきものが続いていると満足感を感じているけれど、以前も日記をつけている。そしてとだえる。
 
時期によっては日記ブログをしていることもあり、日記フォルダの日記もブログ記事ということもある。
そうだ、このブログもとだえたんだよなぁ。これもやめたんだよなぁ。と思い出す。
 
ブログでない日記のほうが、仮称を用いたりしなくて済むし、個人が特定されそうな情報を伏せる気遣いもないので、楽みたい。
やっぱり、どれほど「気を遣わない日記」と思っても、自分だけのために書くのと誰かが見るかもしれないという気持ちで書くのは違う。
 
――自分だけのために書いていても、やっぱり多少は飾ってしまうのだが。
人は自分にも見栄を張ったり、嘘をついたりするものだ。
本当にどうしようもない器の小さい、料簡の狭い、自分がつまらぬ人間だと暴露するような思いや考えは、自分にすら煙幕を張って隠すのである。
まるでそんなこと思わなかったように、心の奥底ではホントのところが見えているけど、無視して少し聞こえよくアレンジしたりする。
それはもはや、自分の意識にさえのぼらないほどの小さなごまかしなので、日記を書く書かないに関わらずやってしまうようなことだ。たぶん多くの人がそうだろうと思って自分を慰める。自分のことながら気づきもしない人だって多いと思う。
 
ちょっと横道にそれた。
 
とにかく、同じようなことを繰り返してきたなぁと思ったという話。




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