Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

愛と気遣いの違い

夫の言動のちょっとしたことに引っかかって、つい本音がもれてしまう。
夫がある日、休日の散歩がてらの買い物で歩いているとき、言った。「なんで最近そうつっかかるの」


そうかも。つっかかってるかも。


たぶん、比べてしまっているんだと思う。
外で出会ういろんな男性たちに。


別にその人たちはわたしを特別視しているわけではなく、恋愛感情があるわけでもなく、でも異性だから多少の気遣いがある。
女性が強い関係もあるだろうけど、男性っていうのは多くは女性に対して庇護者をかってでる。女性もありがたくそれに甘える場合が多い。
もしその人がおばさん年代であっても、女性らしさを捨てていないなら、老いも若きも男性は言ったりしない? 「あ、それは重いから持ちますよ」
そう気遣われたら、別にその男性がかっこよくてドキドキしたとかでなくても、「そんな、大丈夫ですよ」と言いつつ、ありがたくやってもらわない?
早く終わらせなきゃならない仕事で、自分もやったほうが早いなってことなら「大丈夫です」ってやっちゃうこともあるけどさ。その場合でも笑顔でするな。次のときはありがたく甘えたいかもしれないから。


夫はわたしを愛していると思う。
まあその愛っていうのは、情熱とか真実の愛とかじゃなくて、家族みたいな空気みたいな愛だったとしても。


それは愛しているに違いないと思うのだ。
子供も、当然孫もいなくて、お互いしかいないのだから、「愛着」がある。
そういう愛だって、まあ愛には違いない。


ただそこには気遣いはなかったり、減ったりしている。


別にそこに恋愛が生まれると思っているわけじゃなくても、他人同士の異性だったら「もしかして」「万が一」の可能性はある。
可能性のあるところには、気遣いがある。
さっきは分かりやすく言ったけど、重いものを持ってくれとか、そんなんじゃない。


たとえば――


カフェに行った。内装がどうもいただけなかった。
「なんかセンスのない安っぽい感じだなぁ!」と普通に言ってしまうか、場の雰囲気を壊さないように黙っていて、出てから「あまりセンスのいい店じゃなかったね」とにっこり言うか。


食事に行った。脂っこいものを食べるとげっぷが出たり胸焼けしたりする世代である。
でも出そうになったとき我慢する。
どうにもならなければ、こぶしを当てたりして横を向いて抑えたり、なるべくそっと出したりする。
か、ちょっとしか我慢せず、すぐ「げぷ」となるか。


電車で席が空いたとき、わたしが疲れているようだったら、「今日は仕事で疲れたんでしょ」と座らせてくれる――それは、ある。
具合が悪そうなとき、「もう今日は寝たら? ビタミン剤でも持ってこようか?」と心配してくれる――それは、ある。


愛はある。心配もしれくれる。


ただ、ほんのちょっとしたことまで気遣ってくれたり、小さな部分まで気をいきわたらせてくれたりは――ない。


それはもちろん仕方ないのだ。
毎日一緒にいるわけでもなく、一緒にいる時間も限られている人たちと、仕事のとき以外四六時中一緒の夫とでは、違って仕方ない。
わたしのほうだって当然、それらの男性に対してする気遣いを、夫にはしていない。


だから文句を言う筋合いはないし、仕方のないことなのだ。
だけど比べてしまうと、夫の行動にずさんさや緊張感のなさを感じてしまうときがある。
逆に夫も、わたしに同じ緊張感のなさを感じるときがあるはず。


だから夫はわたしに突っかかってくるし、わたしも夫に突っかかることがある。
お互いさまなのだ。


でもさすがにわたしも、底の底まで夫にぶちまけるわけにはいかない。
他人の男性にはある気遣いが、あなたにはないから、とは言えない。それって、なんていうのかな。「まだ女を捨ててない」っていうふうにも聞こえるし、それが「あり得る」というだけのことであって、何が起こるわけでもなく、そういう感情があるわけでもなくても、「恋が起こり得る」っていうふうにも聞こえるから。


あと十年もして、さらに遠慮がなくなったら言えるかもね。


でもまだ今は、そこに少しは気を遣うほどには、緊張感があるのだ。夫との間にも。


――せめて表面だけでも、夫に気遣いをもっと示すべきかもしれない。と反省。
そうして、わたしのほうが気遣いを示せれば、夫にも要求できるだろう。


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