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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

自分ルール、自分スタイル

ポジティブ志向が大流行していた時代がある。

とにかくなんでもかんでもポジティブ思考、自分が苦しんでいるとき周囲は必ずポジティブ思考を押しつけてくる。

なんでもポジティブに考える自分にすっかり大満足、という人もいて、そういう人にはやたらな話はできなかった。考え方指南をされてうんざりとなるのが必至だったからだ。

 

ポジティブ思考がよくないとは言わないし、思わない。

ただむやみやたらなポジティブ思考はどうかと思っていただけだ。

 

でもその時代は「世の中総出でポジティブ志向」という様相で、悩んだり、もうだめだと思ったりするのは異端扱いだったのだ。

――10割とは言わないが、そういう人が多かったのだ。

 

本でも雑誌でも(たぶんテレビでも)、ポジティブに考えるにはどうしたらいいか、ポジティブになることはどれほど良い効果があるか、一大キャンペーンでも張っているかのようだった。

精力的な人々はたいていこのポジティブ志向にかぶれていて、ちょっとでも愚痴や不安をもらそうものなら総攻撃をかけてくる。

 

しかしわたしにはどうもこの「とにかくなんでもポジティブに」というのは合わず、合わせるのをやめた。

無理だ。

 

自分のルールでやっていくことにした。

事態を見極めて、そのときそのときで判断するしかない。やり過ごすしかない時、ポジティブに捉えるべき時、逃げるべき時、いろいろな時がある。

一律ポジティブに、なんて、どうもばかばかしく思えるし、ただのごまかしになってしまう場合もある。ごまかしきれずに「ポジティブに考えなきゃ」という強迫観念みたいになってしまうことだってある。

 

そうしたら最近、ブロ友さんのところで、「ネガティブ・バイアス」という言葉を見た。

何かが起きたとき、人間はよくない事態を考えて身を守ろうとする、それは自然な行動だ。それによって生き延びてきた。無理にポジティブに考えるようにするのは好ましくない。むやみに励まして後で大変なことになる場合も多い。大丈夫かどうかは現実を確認して初めて言えることだ。

という意味のことらしい。

 

ブロ友さんは、自分がネガティブになっていてうつ病になりそうだと思っていたらしいが、この単語を知って無理にポジティブにならなくてもよい、と安心したそうだ。

 

わたしはもう10年以上前に同じことを思い、無理にポジティブになるのはやめにした。

自分ルールに従うことにしたのだ。

それが認知行動療法とかそういう分野の研究によっても肯定されたというだけのことだ。

 

年をとってくると、こういった体験による自分理論が増えてくる。

 

長いこと、ダイエットの教科書は「朝食は必ず摂りましょう」と力説し続けてきた。

まずどこで見ても「三食きちんと食べましょう。(ただし量は適量で)」で、朝ごはんを抜いたりするのは太るもと!!と戒められていた。

 

わたしは朝ごはんを食べることがほとんどない。

夫が朝に弱くて起きないということと、キッチンの物音が寝ているところに丸聞こえなので、夫が寝ていると遠慮するというのが主な理由だ。

夫は朝爽やかに起きるということができない体質で、起きてもすぐにはご飯を食べられない。旅行に行けば嫌でも起きてすぐ食べなければならないのだから、甘えもあるのだろうけれど、家では起きてから最低でも1時間は食べられないと言い張る。そして実際には2時間も3時間も経ってからでないと、食べたがらない。

だから休日も、たとえ朝ちゃんと起きていても、朝食というのは食べず、いいとこブランチなのだった。

 

ダイエットのその昔の黄金ルールによれば、絶対太るのである。

そして実際太っているので、朝食を摂らないということを知人に知られると、「朝はちゃんと食べたほうがいいよ。そのほうが太るよ」とお説教されること必至だった。

 

あるとき、夫が朝それなりの時間に起きている時期があった。

その時期は朝ごはんを食べるようになった。

 

仕事に行く前になごやかな時間があるというのは心安らぐものだったので、「わたしは要らない」ということは言わなかった。別に食べたくないわけでもないし。

 

しかし朝ごはんを食べ、昼ごはんも食べ、夜ごはんも食べていたら、ものすごくどっしりと肉がついてきた。

わたしは太っているから「朝食べないと太るよ」と言われていたけれど、朝食べたらもっと太った。つまり朝を抜くことで押さえられていたのだ、と悟った。

 

もちろん食事の内容にもよるわけで、朝食べるかわりに昼も夜も減らせばいいのだ。

しかしそれは難しい。

まず量だが、昼というのは調節しづらい。食べられる場所があまりない土地だったので、いつも同じ店で同じようなものを食べていた。同じ理由でカロリーも調節しづらい。

夜はというと、やっぱり気もゆるむし、夜の量を減らすには相当な意思が必要だ。カロリーの少ない料理をするより、手軽な料理をしてしまうので(作っているのがどちらにせよ)、カロリーも減らせない。

 

よく「朝しっかり食べて、夜は少なくすればいい」と言われるが、意思の弱い人間は「朝しっかり食べて、夜もやっぱり食べちゃう」ことになるので、どちらもしっかり食べるよりは、朝でもいいから少なめにしたほうがいいように思えた。

わたしの体には、「昼夜がしっかりしているから、朝は食べない」というのも合うように感じられた。

 

長年人から非難され続けた朝食抜きスタイルの生活だが、伊達式というダイエットの登場によって堂々と公言できるようになった。

きちんと読んだことがなく、雑誌でまとめられていたのを見ただけだが、その中に「1日トータルで考える」というのがあったのだ。

「今日は夜食事会に行くから、朝は控えめにしよう」とか「前夜飲み会でたくさんカロリーをとったから、朝は抜こう」とか、バランスをとればいいというのだ。

 

このあとも続々と新説ダイエットが出たので、これはあっというまに流れ過ぎていったが、とにかく昔風の一律なダイエットではない時代になった。

 

でもそんなことは、自分の身をもって知っていたのである。

 

素人療法がよくない場合もあるが、体は人それぞれだし、何事にもその人の性格というものが絡んでくる。

ちゃんと自分の体を理解することも、大切だとしみじみ思う。医者にかかることがあった場合も、自分のことをきちんと説明して相談できたほうがいい。

 

 

ほかにもいろいろな自分ルール、自分スタイルがある。

たぶん意識するとしないとに関わらず、年齢を重ねた人は誰でもいくつか持っているはずだ。

 

そして母くらいの世代になると、意識せずに自分なりのやり方をしていて、それをいつでも他人に押しつけたりする。押し付け合っているのをよく電車でも見かける(登山に行く人たちが4人がけ席に座って話しているときなど)。母も旅行などに行くと、押し付け合いの会話に疲れて帰ってきて、自分も娘に向けて押し付ける。

 

無理なゴリ押しはどうかと思うけれど、誰でも自分ルールがあって、それを実践している。

そして「いいことは教えたくなる」のだ。

 

だから「人のルールが自分に当てはまるとは限らない」ことも覚えておかなくてはね。




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