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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

賞レースのレイシズム議論から連想

最初は、アメリカドラマの賞で人種差別が批判され、多様な人種が受賞していることをアピールしていた様子を、あるネット記事で読んだことがきっかけ。

その記事の細部にいちいち若干のひっかかりを感じて、心の中で勝手に反論をつぶやいていて、最終的に今もう一度読み返してみると、自分の独り相撲だったと納得。

だからその記事はもう引用もしないし、批判もしない。

 

――どうも、意見や理論そのものに対して純粋に反論があるわけではなく、言葉の端々に現れるその人の性格(人格)に反感を抱いているだけだ、と自分で悟ったから。

わたしは心が狭いようで、もうちょっとしたことに「自慢ぽい」とか「ひとりよがりだなぁ」とか「短絡的だ、見方はさまざまなのに」とか、あれこれ反感を抱いてしまうのだ。でも狭い心を広くするのは難しいので、たぶん直らない。直し方も分からない。

 

とにかく、差別を撤廃するのは難しい。

それが人気商売の芸能関係となると、ますます難しい。

 

女性には投票権がないとか、黒人は黒人専用のバスや食堂を使わなければならないとか、そういうことは法律で是正できる。機会の平等に反するから。

けれど、賞の獲得率となると――これは結果しかないわけで、結果として白人と黒人に同じ数贈れというわけにはいかない。誰がどれだけ上手だった、人気があった、新機軸があった、というのは測りがたいし、結果同率にはならない。そもそも出演している数自体違うかもしれず、重要な役についている人種比率も違うかもしれない。白人は100人いて、黒人は20人だった場合、(そしてアジア人は10人だった場合)、3個の賞を白人1人・黒人1人・アジア人1人にするのはおかしい。

 

それでもやっぱり、「ほら、差別なんてないよ、こんなに多様な人種が集まっているよ」とアピールするには、賞のいくつかが有色人種に行くのが一番てっとり早い。

 

このことについて、あるベテラン白人女優が「賞を人種差別撤廃に使うのはおかしい」とか「もともと女というだけで差別されている」「自分にも(今回受賞した黒人女優と)同じだけのチャンスがあったらと思う」という発言をして、非難を浴びたそうだ。

当然ながら、特に黒人からの非難が多かったそうだ。

 

これを心無い発言と切り捨てるのは簡単だけど・・・・・・でもなんとなく、単純に切り捨てるのは可哀想にも思う。

 

ロバート・J・ソーヤーのSF「ホミニッド 原人-」という作品では、この世界の並行世界からネアンデルタール人の末裔が飛び込んできて物語が始まる。

この世界では亡びてしまったネアンデルタール人、そして今の人類がいるわけだが、その並行世界ではクロマニヨン人が亡びてネアンデルタール人が進化し、文明を築いていた。

 

この世界側の主人公はルイーズ。カナダで研究している学者(女性)。

ネアンデルタールの世界からやってくるあちら側の主人公はポンター。やはり学者(男性)。

 

この作品は3部作で「ヒューマン 人類-」「ハイブリッド 新種-」と続く。実は全部読んでいないが、ルイーズはポンターを愛するようになり、結婚してポンターの世界に赴く。

 

それというのも、ルイーズはポンターとの出会いの前に、何者かによって大学内でレイプされていた。

その心の傷は深く、見た目は原人みたいだけれど、誠実なポンターに惹かれていったのだ。

 

「ホミニッド」の最初のころにレイプについて語られ、最後には誰がやったのかが明らかになる。

ある助教授(だったか准教授だったか講師だったか)だった。

 

動機はというと、日頃の憤りが爆発したというわけだ。

性差別が批判され、教授も男性ばかりだと非難されている。決まりができ(法律だったと思うが)、女性にも一定の教授席を与えなければならなくなっている。

たとえばルイーズが研究しているような物理学、量子学(何だったかな?)などは、もともと研究の道に進む女性は少ない。しかし一定数教授にしなくてはならないから、同じくらい優秀な男研究者と女研究者がいた場合、必ず男性は負けることになる。

彼はいいやつで、誰からも好かれるような人だったが、いつまでたっても助教授で(とりあえず助教授ということに)、いつまでたっても不安定なまま。教授であれば首を切られることはないが、助教授ではいつ「来年は契約しない」と放り出されるか分からない。結婚だって家庭だってままならない。ストレスでキレてしまったのだ。

ルイーズが女だというだけで楽をして教授になったように見える。女だというだけで。

それを思い知らせたかったのだ。

 

差別というのは難しい。

心はなかなか変えられない。法律で規制して結果を整え、表面をとりつくろうしかできない。

どうしてもひずみができる。

 

もし賞を黒人にも同じだけとなったら、「黒人だから」という理由で受賞できる人も現れることになる。

 

ドラマ「アリー・マイラブ」の中で、金髪美人で野心家のネルが企業の弁護をする話があった。

経営パートナー候補にまでなっていた優秀な女性が、出産して出世は止まり、経営パートナーの話もなくなった。それを「出産をしたことで差別された」と訴えたという話。アリーたちの弁護士事務所は、企業側の弁護をしていた。

ネルが担当。「出産前までは1日14時間働いていたのが、出産後は定時で帰っている。あなたのほうは出産によって変わり、仕事に割ける時間も減ったのに、待遇は以前と同じものを求めるのか」と反論。「出産したからはずされたのではなく、あなた自身がそれだけ働けなくなったからはずされたのではないですか」。そして「私は1日14時間働いています。それでも経営パートナーにしてもらっていない。あなたは母親だから経営パートナーに戻せというんですか。それでは私のような人間に対して逆に差別ではないですか」というような結論を述べる。

当時のわたしはまだ出産の可能性があったけれど、それでもネルの言い分に納得した。

 

裁判の結果は負けたのだけれど。

出産した女性は、定時で帰っていいし、育児のために休みもとっていい、それでもこれまでと同じ給料や待遇で、そして経営パートナーに戻すべきとなった。(経営パートナーは強制できるかどうか分からないので、ちょっと忘れたけれど。)

 

これもまた、ひずみ。

 

出産する女性を差別してはいけない、結婚する女性を差別してはいけない、と必死になるあまり、ネルにとっては逆差別になる。今のわたしにも――わたしは全然キャリアウーマンじゃないから、実際にはならないけど。

 

賞を受けた女性たちが、肌の色で差別をされていなかったとは言わない。

誰もがあえて口にしなかったことを言ってしまって非難された白人女優が、それらの黒人女優たちと同じくらいひどく差別されていたとも言わない。

 

だから今回賞を受けた黒人女優たちが、受賞するべきでなかったとはもちろん思っていない。

見ていない(というか見られない)番組なので自分では知らないが、その演技は素晴らしいそうだから。

 

ただわたしが思ったのは、「この程度じゃ差別撤廃になったと言えない」と批判するのは簡単だけれど、物事というのは多くの場合多面的で、そんな単純な話ではないんじゃないかなってこと。

 

「賞は人種差別撤廃に利用する場じゃない」というのも、一理あると言えるだろうし。

つまり同じ女優が受賞しても、それは「演技がよかった」「人気が高く視聴率に貢献した」などの実績が評価されるべきであり、「人種差別はよくないことを伝えるため」「白人以外にも受賞させなきゃ」という理由で授与されるべきではないってことだ。それは一理ある。

たとえていうなら、オリンピックでどの選手も人生をかけて努力してきているのに、スポーツの結果ではなく「あの国は内乱で大変だから可哀想だ」とある国の選手に有利な採点をするとか、そういうことだ。

その国の選手が苦難を乗り越えて勝利したら、豊かな大国の選手が勝つより感動が大きくて、拍手も盛大で、大絶賛されるというのはいい。

だけど、豊かな大国の選手のほうが大差で勝って当然な内容なのに、苦難の国の選手に特別有利な採点をし、わざとそちらを勝たせて感動を誘おうとするのはスポーツマンシップにもとる。そういうことでしょ?

 

その白人女優の意図は分からない。彼女の意図がもっと邪なものなら、彼女は非難されるべきだけど、理屈自体は軽く一笑に付せない。

 

アメリカのような国に比べて、差別自体も、その闘争も熾烈を極めていないから、たぶんわたしには本当のところは分かっていないのだろう。

ただ、それを言ったら、記事を書いた人も、ちょっと単純なんじゃないかなと、ついへりくつを言いたくなってしまったのだ。




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