言葉に対する感性
わたしは言葉に対する感性が古い。
いろいろと気になってしまい、心の中でツッコんでしまう。
「有名日本古典文学作家Aについては、大したことは知らない。***ってことくらいだ。有名古典外国文学作家BやCについてなら多少は言えることがあるのだが」(一応、脚色済)
と言い、その後に、「山は春が終えたばかりで」(脚色済)と書かれていたりすると――
妖怪アンテナみたいに、一瞬ピピーンとなってしまう。
春が「何を」終えるんだ。
わたしのアンテナにひっかからない文章に直すとすると、「春を終えたばかりで」か「春が終わったばかりで」だ。
いつもは流してしまうが、その前に有名作家BやCについては語れるという一文があるため、BやCについて語れる人がそういう言葉遣いするなよ、というちょっと乱暴な気持ちになってしまうのである。
先日は、電車の扉の前に立って、次の駅に着くのを待っていた。1駅だからこのまま立っていようと思ったのだ。
そうしたらそこに、素晴らしい学習塾の宣伝が貼ってあった。
大変画期的な学習方式を編み出したそうで、そのために偏差値がかなり低かったにもかかわらず、東大や早大に合格する塾生を多数輩出しているのだそうだ。
あまりに画期的な学習方式のため理解してもらえないと思い、これまでは宣伝を避けてきた。
しかし――ああ! 忘れてしまった! 自分の脳が最近記憶をどんどんなくしているのが恨めしい。
「今なら」か「今こそ」かで始まっていたのに、結びがおかしかったのだ。
それってあり得る?
ツイッターとかじゃなく、宣伝だよ? 校正とかするでしょ?
とものすごく思って、その学習方式に不審を感じたのだった。
言い出したら枚挙にいとまがないのだが、なにしろ忘れっぽくなっているので過去のこういった言葉エピソードを思い出せない。
そう言いつつ、自分もだいぶ間違っているかもしれないのだが。