Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

心の話:強いのか、弱いからこそなのか


自分が陰でどんな言われようをしているかって、あまり気持ちのいい話じゃないものだ。


わたしは、今は別部署になったが以前の直属管理職だったプリンスと仲がいい。
行き帰りの通勤経路でプリンスと会うと、一緒に話しながら歩いたり、ときどきコーヒーやお酒を一杯飲んで帰ったりする。


そのことについて、非正規のNさんが、元ドンと前プチドンに『チクった』らしい。
別に内緒にしてるわけじゃないし、『チクる』とは言わないかもしれないけど、とにかく言ったようだ。


それを、元ドンが「すいさんがストーカーしてるんじゃない?」と仲間内で笑い話にした。


それを聞かされて「面白い笑い話」と笑える強さは、わたしにはない。


だけど乗り越えた。
なるべく元ドンや前プチドンを避け、遠くに姿を見たら離れる。
廊下や行き帰りの通勤路で会っても、前みたいに「お疲れさまです」と挨拶をすることはしないで、会釈で通り過ぎる。
できれば会う前に違う側に移ったり、タイミングが合わないようにする。


向き合うのじゃなく、避けることで乗り越えた。


プリンスとはそれまで通りにすることにした。
プリンスを避けて、口をきかないようにしても、陰口はなくならない。
「振られたんじゃないの」「プリンスさん、はっきり断ったの?」などの別な陰口をたたかれるだけだ。
そう思ったから。



「立ち聞きする者の運命が**にも降りかかったのだ」みたいな文章が記憶に残っている。
『赤毛のアン』みたいな欧米の少女小説の一文で、何だったか覚えていない。
立ち聞きすると、嫌な話が聞こえたり、聞いた内容で悩んだりすることがあるっていう意味に捉えていたけど、それでいいのかな。


たまたま聞いてしまった会話。
元ドンと前プチドンの。


元ドンの評価がものすごく低い人がいる。丸顔つちのこさん。
非正規からも馬鹿にされるときがあるけど、それは上の意向を汲んでる人が多いってことじゃないかと思ってる。
元ドンや前プチドンの意向を汲んでる非正規Nさんとか。
Ms.馬車馬の意向を汲んでるその他の非正規たちとか。
わたしはよく飲みに行く人だし、まあ、いろいろあるけど、誰だっていろいろあるからね。
仕事上困るときもあるけど、Ms.馬車馬なんて破壊的だからね。上に困らされるのはいつでも誰でも多かれ少なかれ同じだと思う。


わたしの予想では、わたしが丸顔つちのこさんを嫌う風を見せないのを、非正規NさんかMs.馬車馬が言ったんだと思う。どちらも言ったかも。悪意をより多く見せたのがNさんに違いない。


元ドン「この間、すいさんを見かけたよ。**課の非正規と歩いてたよ」
前プチドン「誰?」
元ドン「**さんかな。**課の非正規はここのところたくさん変わったから、よく分からないんだよね」(いや、その人2年はいるよ。あんたの記憶力が悪くなってるんだよ)


前プチドン「つちのこさんとラブラブなんでしょ」
元ドン「ラブラブなんだってね」
前プチドン「仕事中もラブラブみたいだよ」
元ドン「すいさん、つちのこさんに殴られたんじゃないの?(笑)」


元ドン「あんなに青くならないよね。つちのこさんに殴られたんじゃないの」


元ドン「ついに旦那に追い出されたとか。それでつちのこさんに行ってるんじゃない(笑)」


殴られた、青いは、わたしがちょっとした目の付近の切開手術をしたことを指している。
すごくはれ上がって、青くなって、それから赤くなって、結構大変だった。痛かったし。


なんか、下世話というか下品というかで、気分が悪くなった。



Nさんが直接わたしに嫌な顔を見せるのとか、わたしを無視したり、わたしが仕事上しようとしたことを他の部署まで巻き込んで妨害したりとか、そういうのは流せない。
嫌な気持ちになるし、Nさんの顔を見るたび嫌な気持ちを思い出してしまう。
声を聞きたくない。


でも元ドンや前プチドンのことは、スルーできる。今は。
聞いたときは嫌な気持ちになるけど、なんとか乗り越えられる。
姿を見なければいいし、声を聞かなければいい。


それは向き合っていなくて、ただ流している、考えないようにしているだけと言える。


だけどそれでいいのかな、と思う。
正面からその苦痛と向き合って、乗り越える。それはわたしにはできないと思う。


だからわたしは、乗り越えてないんだな。
考えないようにしたり、忘れるようにしたり、捉え方を変えて流すようにしているだけ。



だけどそれでいいのかな、と思う。


向き合うのがいい、向き合わなければいけない、というものではない。
「わたしに悪いところがあるのではないか」とか「そんなことを言われて嫌な気持ちだと考えているわたしは、囚われているのかもしれない。わたしに非はないことを再確認して、考えないようにしなければ」とか、そういうまじめなこと。それをしなくていいのかなと思うってこと。


無理に向き合ってひどく苦しい思いをするのなら、向き合わなければいい。
避ければいい。逃げればいい。
向き合う価値のあることなら向き合って成長するのもいいかもしれないけれど、それにしても自分が苦しすぎるなら無理にしなくていい。


強いのではないと思う。
弱いからこそ、できる対処をしているということだと思う。

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