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Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

自宅待機期間(前半)の日記:心の移り変わり


【仕事との距離】


出社停止となり、その上、することがない自宅待機。
友人りーりちゃんは本当にテレワークをしていて、時間通りにPCの前に座り、仕事をしていて、会社から問い合わせの電話などがかかってきたりするという。


自宅待機になって最初の週――
★仕事や職場との心理的距離が大きくなった
・これまで7日とか10日とかの夏季休暇・年末年始では達成できなかった距離
・この達成には、待機期間が長いこと(3週間半)が影響している
・4月の新体制に絶望して、どうでもいいという気持ちにすぐになれた
★やりたいと思っていたことを少し始めた
・まったく仕事をしていないわけではないという満足感(仕事のための勉強だから)


2週目――
★職場の人との接点が1つだけ(グループLINE)※数は少ない
・これは特に自分に影響しなかった
★ある人に「時間のあるときに10分ほどお話させてもらえませんか」とLINEし、既読スルーされる
・急に職場や職場の人が心の中で大きな存在になる
・心的距離がとれなくなった


3週目――
★友人りーりちゃんと電話したとき「もう半分過ぎた」と気づき、とたんに焦り
・せっかくいろいろなことができる機会を無駄にした感
・職場との心的距離がとれなくなる
★交代で勤務しているはずの正規雇用者との溝を感じる
・ありがたい扱いの違いではあるが、「正規はこう、非正規はこう」が目に見えてはっきりした
・これまで不満に思っていた貴族意識が当然化した気分(正規は責任を負わされているのだからやっぱり貴族、非正規は責任がないのだから文句言わず言う通りに下働きせよ)
・これまで親しくしてもらった、この人とは何らかのつながりがある、と思っていた人に対しても溝を感じて、連絡をとったりできない
★職場の状況が分からないことが溝を深める
・誰も何も言ってくれない
・グループLINEも沈黙
★他の非正規雇用者と連絡を取る
・「自分たちは要らない人間なんだと感じちゃう」
・「今後についてのメールが来たけど、意味もよく分からない」
・「悶々としてしまう」
・そういう言葉で自分だけじゃないと思えた
・その中で、もともと週1回勤務だった人は特に何も思っていないようだった
・どれほど「私は仕事にそれほどかけてない」と言っても、出勤日数が多いとそこは『居場所』となるらしい


4週目――
★この週はもともと連休、ここが終わると自宅待機解除のはずだけど、行きたくない
・長く離れていると行くことが嫌になる
・行くと思うと、忘れていられた新体制のことがのしかかってきて、気分悪くなる


結論
★職場との心理的距離をとるのはやっぱり難しい
★正規雇用者が好き勝手に進めることについて冷静でいるのは、やっぱり難しい
★淡々と働くのは自分にはやっぱり難しい



【引きこもりの影響】


それでも出勤しているときは、「やむを得ず外に出る」という機会があった。
それがなくなって、引きこもり。
それも、強制的な引きこもり。やりたいとたいして思ってないことでも、禁止されるとストレスたまるものだ。


自宅待機になって最初の週――
★早朝、人の少ないとき散歩 & 食材や日用品の買い物のみ外に出る
→あまり体を動かしていないが、それなりに満足
★自宅待機中の生活として、午後入浴し、それ以降外出しないことにする
→午前中に「この機会にしようと思うこと」を少しでもしようというリズム


2週目――
★人の少ないとき散歩 & 食材や日用品の買い物は外出
→夫が外出への不安や嫌悪を表に出すようになり、ストレスになり始める
→心配になるような体調があっても病院にも行けない
★それほど多くない交友関係に連絡(職場の利害関係ありな人除く)
→おおむね温かい気持ちになった
→大人だから適切な距離を保った関係になるけど、それがまたいいのだろう


3週目――
★ほとんど外出しなくなる
→夫の懸念が大きなストレスに
★外出しなくなり、生活リズムが崩れる
→ネガティブな心理傾向になる
★自分でも外出への不安が大きくなる
→感染したら完全に自分のせい、そのために夫と険悪になるだろうという不安
→だから感染したくないという不安、誰もいない住宅街を歩くのも不安になる
※駅やスーパーまでの道とか、川沿いとか並木の散歩道などは人が多い


4週目――
★出勤がいやになる
★出勤して感染リスクが大きくなるのが怖くなる
★子供も親しい親類もなく、老後ってこんな感じに寂しいのかな、とネガティブな心理状態になる
★仕事再開しても、もう前みたいな社会じゃなくなる、やり方も変わるとネガティブな心理状態になる
★コロナ前に「こんなことをしたい」と抱負を抱いていたことが、できないに違いないと思えてきた
★こんなときでも自分にできることで活躍している人がいて、それがまた自己嫌悪につながる
★大変な思いで頑張っている現場の人や、経営難を必死に耐えている人がいる一方で、自分のことなんて考えてていいのかと自己嫌悪になる


結論
・引きこもりは悪影響を及ぼす
・感染への対策をすること、ルールを守ることは必要だが、自分を安定させることも必要で難しい
・引きこもりのときこそ自分を律していかないとうつ傾向になる
・いずれもバランスが大事(感染対策×軽い散歩など)(生活や計画の自己管理×厳しすぎずゆとりを持つ)



【不安な状況下にあって】


★医療現場の人とか介護現場の人とか、その他にも休めない仕事で、ギリギリ頑張っている人たちがいる。
それなのに、こんなふうに無事に暮らせていていいのだろうか。何かを見て楽しく感じたり、面白いことを笑ったりしていいのだろうか。


★一人暮らしをしている人や、高齢で一人で暮らしている人は、たくさんの不安を感じているかもしれない。
それなのに、不安を感じたり、もらしたり、してはいけないのじゃないか。
――そう思うときもあれば、違う方向に考えるときもある。
一緒に暮らしている相手に慰めを感じたり、2人いることで救われる気持ちがしたりしては、いけないのじゃないか。


★苦しい思いをしている産業の人もいる。ギリギリ働いていて、未来を考える余裕もない人もいる。
それなのに、出社していない時間を使って、未来のために勉強しようとしては申し訳ないのじゃないか。
これからの自分の仕事のやり方やあり方について、こういうことをしてみようとか考えるなんて、いけないのじゃないか。


★意図したわけでなくても(意図する場合も)、この事態で注目されることをしている人もいる。
おうちでできる何かを紹介している人とか、楽しめる何かを作ったり発表したりしている人とか。
それなのに、自分はどんなときでも出遅れて、何もできずにいる。怠け者なんだ。


こんな大変なときに、そんなふうにちょっと羨望を含んだようなことを考えちゃうのって、ひどいのじゃないだろうか。



・・・まとめ
不安な状況の中で、引きこもりを余儀なくされていると、とにかく自己嫌悪や自己否定に陥りがち。



【あるオンライン飲み会で】


新たに資格を取ったわれら。


「どういうふうにこの資格を使っていくか」
「会社で資格取得で学んだことについて、自分はセミナーをして、好評だった」
「○○部に所属していれば、こんなふうに活用できる」
「正直、***というような仕事をしている場合、そこを離れたらどういうところに行くんですか?」
「***を離れたら、こんな感じになる」「ああ、やっぱりそうなんですか」「でもこれこれだったらこうだよね」
「自分の上長も同じ資格を持っているので、話が通りやすい。こういう企画をして売っていこうという話をしている」
「会社内でこういう部門を立ち上げるのもいいよね」「でも、社内で新しい部門を立ち上げるって、かなり根回しが要りますよね」


熱い議論。


すごいな。
不安に苛まれたり、なんにも自分はできないという気持ちになったり、わたしがぐずぐずと崩れている間にも、バリバリ仕事してたり、新たな武器を仕事でどう活かすか構想していたりするんだ。


ただ聞いて、うなずいたり笑ったりして終わった自分。
――まあ、オンライン飲み会って、複数の人が同時に話すことってできないから、自然聞く時間が長くなるけど。


元気をもらったともいえるし、それはお酒を飲んでただ多幸感に包まれたせいかもしれない。

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