Bittersweet Maybe - Bubble Talk -

Status Message:周回遅れのビール日記(順不同)

Petit memo:今の現実を見る

連休中用に、去年の秋から冬にかけて学んだことの中で、個人的に好きだったことをメモしていこうと思う。
画像は無関係。



グラッサーという人の現実療法は、それまでの精神分析の「過去に原因がある」という考え方ではなく、「現在」に焦点化したもの。
1960年代の精神科医で、非行少年少女を扱っていたのだそうだ。


グラッサーは、過去に何らかの経験があって、それが今の行動などに影響を及ぼしているとしても、それを考えても変わらないこともあるから、今に焦点を当ててよりよい人生を築いていこうよ、というようなことを言った。とわたしはざっくり理解している。


今では選択理論というように名前を変えているらしい。
たとえ幼少期や児童期に何かの経験があってそれが影響して今に至っているとしても、原因がどうあれ「それを選んだのはあなた自身だよ」。とわたしはざっくり理解している。
親がこうだったから今自分はギャングの下働きをしている(たとえばね)、「そうか。親御さんにそんなことをされたんだね。でもギャングの下働きをしようと決めて選んだのはあなただよね」。


グラッサーのカウンセリングでは有名な「してはならないこと」というのがあるらしい。
●言い訳させない
●非難・論争はしない
●簡単にあきらめない


非行少年少女を相手にする場合、確かにこれってカウンセラーにとって重要だと思う。
「でもこうだった」「仕方なかった」という言い訳をすべて聞き入れていたら、変わらない。言い訳しないことを最初に約束して、カウンセリングでは言い訳をさせないことだ。
だけど、カウンセラーが相手を非難したり、相手と言いあったりしたら、たぶん変わらない。言い訳させないとしても、カウンセラーが非難や論争をしてはうまくいかないだろうな。
そして、「こいつはダメだ」と簡単にあきらめては何も変わらないまま終わりそうだな。「あきらめる」ことはしてはならない。


これ、非行少年少女でなくても同じことが言える。
だから今でも支持者が多い理論なのだろうと思った。


わたしはああでこうだから、今、不満足な働き方をしている。あのときああしてこうしていたら、違った。
――でも、そのときその選択をしたのはわたしだよね。状況が許さなかったり、仕方なかったりしたとしても、どっかに別の道もあったけど、そのときそれを選んだんだよね。
それを言い訳しても始まらないよね。
ああ、そうなんだ、じゃあこうしてあげるよ、って言ってくれる人は誰もいないよね。
今の現実に問題点があるのなら、過去の言い訳をするより、今に焦点を当ててどうしたらよりよい次の選択ができるのか考えたほうがいいよね。


そんなふうに自分に当てはめることができて、印象に残った理論だった。

×

非ログインユーザーとして返信する