Bittersweet Maybe

ただの日記を予定しています。金曜更新のつもりでいます。それ以外の曜日に小さな日記を書くこともあります。

やっぱり人間を想像で創造するのは大変じゃないか(夫との意見の相違)

夫はいつもわたしに言ってきて怒らせるのだが、「人間が役を演じるのではなく、すべてCGでまかなう時代も近いのではないか」というのだ。


でもやっぱりさー、演じている人間も込みで魅力が出るってこともあるよ。
そういうような反論をすると、「じゃあ『アナと雪の女王』などは、どうしてあんなにヒットしたのか」と言ってきた。


別にCGオンリーだからヒットしないとは言ってない。
ただときおり、人間が演じているからこその相乗効果があると思うのだ。


「ガラスの仮面」で、北島マヤが大河ドラマの主役を演じるが、乙部のりえという女優に陥れられ、芸能界から追放されてしまう。大河ドラマや舞台の主役は乙部のりえに取って代わられてしまう。
名女優と名監督の一人娘にして北島マヤのライバル、姫川亜弓が、乙部のりえが演じる大河ドラマのシーンを見て、周囲に語るシーンがある。


「役を演じるだけではダメなのよ。そこに役者の個性が入っていないと。
役者の個性という点では、北島マヤは最高だったわ。
この子、回を追うごとに視聴者から飽きられてくるわよ」


まあ、ちょっと正確ではないかもしれない。今手元に原本がないので。


北島マヤに個性があったかどうかは、わたしは疑問だと思っている。
個性はむしろ亜弓さんにこそあった。
マヤは唯一の個性や欲望が「演じたい!!」であり、それ以外は無個性だったがゆえに、どんな役にでもなりきれた。


だってマヤのは「役づくり」じゃなくて、開眼、変身だもの。「私は○○」シャキーン!と舞台そでで変身してしまうのだ。


マヤにしかできないはまり役も、いくらなんでも原始的すぎるように見えるヘレン・ケラー。言葉というものの存在を理解していないヘレンが、「あ、そうか! 物には名前があるんだ! 世界には言葉ってものがあるんだ!」と開眼するのがクライマックス。
それから狼少女ジェーン。完全に人間以前の原始的な感情しか、まだない。最後にようやくスチュワートへの愛情らしきものに目覚める。


今は知らないけど、亜弓さんが乙部のりえについて語っていた頃のマヤはまだ、無個性ゆえの無我の境地演技だったと思う。


とはいえ、マヤ以外の実際の人間では、やっぱりこういうことってあると思う。
亜弓さんが言うような、「この役者だったからこそ」という魅力の形成が。


そのいちいちを計算して一人のキャラを作り上げるのは大変な手間だ。それにどのくらい効果があがるのか分からない。
それぞれの人生をそれぞれに生きて、それぞれの顔や声を持ち、それぞれの考え方を持つ人間に演じさせて、人気が出たらラッキー!っていうほうがコストパフォーマンスがいいように思う。


「わたしの好きな「ゲーム・オブ・スローンズ」のキャラクター」だって、多分に俳優の魅力がまじっている。
顔が好み、声がいい、なんとなくいい――


「この人が演じたからこそ」みたいなのって、わたしにとっては「見たら分かる!」と思う役がある。


●「Glee」のカート・ハメル
「Glee」のキャストはどれも「この人が演じたからよかった」があるけど、カートはダントツ。クリス・コルファーが演じていなかったら、あれほどの人気キャラになったとは思えない。そしてカートがいたことも、あれほどの人気になった大きな要因だと思う。そのくらいハマったのだ。クリス・コルファーがどの役を演じてもそうなるというのとは違って、演技がうまくて素晴らしくこなしたというだけではない、役と役者の融合のマジックが高く働いたキャラクターだったと思う。


●「ヴァンパイア・ダイアリーズ」のデイモン・サルバトーレ
というか、ニーナとデイモン。でも主にデイモン側にそれを感じたので。
あのなんともいえない皮肉な笑い方ができることや、うまくセクシーさを出せることでも、デイモン役を他の人が演じたときとは違ったと思うけど、やはりニーナとデイモンのラブストーリーは、あの時期のあの2人だったからこそのケミストリーだったと思う。



他にももっと探し出せるとは思うけれど、疲れたからやめておこう。
近々のわたしの最大ヒットはこの2つだから。


「ゲーム・オブ・スローンズ」だったら、ティリオンも、あの人が演じているからなぁ、と思うところがある。
「ゲーム・オブ・スローンズ」の場合、今の大人気作品だから、「この役は実はあの人が演じるはずだった」情報なども見た。たまたまその人の都合がついて演じていたら、こうはならなかったろう――よりよかったかもしれず、分からないけど。


それは「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーが一番言えると思うのだ。
あのスカーレット・オハラがヴィヴィアン以外の人によって演じられていたら?
全然違ったものになっていたに違いない。
大勢の女優がオーディションをしているのをドキュメンタリー映画で見た。それだけでは判断できないけれど、あのヴィヴィアンのあぶなっかしく見えるところなどがまた、スカーレットらしさとつながった気がするんだけど。
他の女優が演じても、それはそれで素晴らしいスカーレットだったかもしれない。でも「あの」スカーレットにはならなかった。


コンピュータは進歩した。すごい発明だとも思う。
でもまだ、わざわざすべてを人間に取って代わらせなくてもいいのじゃないかと思う――俳優の世界では。




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