結果(シリーズ:翌4月からの仕事)
■結果
結果はちょうど1週間後に連絡が来ることになっていた。
決定権の多くは、3人の面接官のうち第二部長補佐と現場トップにあるらしいが、連絡は人事の偉い人から来るという。
そういうことなら、引き延ばされることはなく、必ず1週間後には連絡されるのだろう。
3日後くらいにパート的部長補佐秘書さんに会ったとき、「食事会をしましょう」と言われ、結果が出ないと行く気になれないというようなことを言ったら、嬉しげに「あたし結果知ってるけど教えない」と言われた。
その感じからして悪い結果ではなさそうだったが、正式に知らされるまで油断はできない。
食事会は結果の連絡が来るはずの日の翌日に決まり、わたしは「不採用だったらキャンセル」と一応言っておいた。
耳を貸されてないようだったけど、本当に不採用だったら絶対行かないつもりだった。
結果連絡が来る日の午前中、今月の仕事をしていると、休憩時にパート的部長補佐秘書さんに出会う。
「『老師』と時間決めました?」と聞かれ、「連絡していない」と答えると、なぜなのかと難詰される。
「だってまだ連絡ないし」と、携帯を示す。
「**の部署で採用されたわよ」と部署まで教えてくれたけど、正式に連絡があるまでやっぱり100%信用はできない。
午後になってついに連絡が来て、採用が伝えられた。
■喜び?
わたしだって、そりゃ嬉しくないわけじゃなかった。
これまでの自分を認めてもらったような気がしたし、これでこの先の生活を心配しなくていいのだし。
でもたとえばパート的部長補佐秘書さんの、わたし以上にハイテンションで毒舌を吐きまくっているのには、同じテンションでついていくことはできなかった。(この人はテンションが高くなると、親しい人に対して攻撃的な毒舌になる。親愛の表現なのだと思う。)
『老師』にメールで報告すると、わたしの説明がややこしくてわからなかったという返事が来て、「それだけ嬉しいということですね。明日食事会でゆっくり聞きますよ」と書いてあった。いや、そういうわけでは・・・・・・
わたしだって、そりゃ嬉しくないわけじゃなかったが、わたしはこれまでの仕事も好きで、気に入っていたのだ。
でもその仕事はなくなるという。なくなりはしないけど、半減するという。残った半分もいつまでのことか分からない。
それにIのことがある。「親が老いてきたから」とよく人には言うが、わたしは自分の母もそれほど好きじゃないし、夫方の義父母のところにはほとんど行かない。Iだ。
師走頃になって、せっかく夏の終わりに換えた薬が効いていない気がすると言い出してから、あるしこりがゴルフボール大になったり、薬を換えて副作用が強く出たり、内臓への転移があったり、逆の胸への転移があったり、でもどうやら今度の薬が効いてゴルフボールはほとんど平らになったり、逆の胸への転移もどうやら分からないほどになったり、でもこれがいつまで続いてくれるか不安に襲われることもあったり――
母が老いてきたから、というのも本当。もし母に何かがあったら、独り身のIだけに任せるわけにはいかない。Iに自分の家族がいれば、わたしは「外に出た人」だが、Iひとりに何もかも任せるわけにいかないから。
フリーランスではなかなか休めないから、有給休暇がある仕事のほうがいい。「身内の不幸」と言えば休める職(不幸というわけではなくても、事情を話せば休めるという意味)。
わたしにとっては、契約社員的スタッフになるという道は、「心の底から欲する、すごくなりたい職」というのではなかった。
「今、自分が選べる中で、ベストの選択肢」 → 「だからなりたい」 というものだった。
ところが周囲の反応は、「かなり無理な難関をよく通った!」ということらしい。
この職場の人にとって、それからこの職場に関係のあるその他の組織の人にとって、「契約社員的スタッフ」とは、かなり格上になるという認識らしい。
そういう人たちからすると、わたしは「どれだけすごいか分かってない」ということになるようだ。
このことは、わたしのこれまでの仕事でよく思ってきたことに合致する。
小さな仕事では、多くの場合、「本当に欲している者の手には入らない」「ないならなくてもいいわ、と思っている者が手に入れる」。
大きな契約をまとめるとか、歴史的な発見をするとか、そういうすごい仕事を成し遂げるには、心底から「欲しい!」と思うことが必要かもしれない。
でもたとえば、小さな仕事――この職場でわたしが今日までやっていた仕事などでは、「欲しい!」と思うわたしなどは、エサのにんじんをぶら下げられない。なくてもやるからだ。
ご主人が稼いでいるので、「あたしなんてね、もう辞めてお若い方に譲ったほうが」と言う人のほうが、「引き止めなきゃ」というのでいつも主張が通っていた。
すごく欲しかったパート的スタッフさんたちより、わたしのほうが分かってないみたいだけれど、それはやっぱり法則に合致するな。
だんだん、「そうか、下っ端としてはそんなにすごいのか」というのが分かってきた。
でもやっぱり、あまり執着しないようにやっていきたい。
■今後のこと
食事会に行き、いろいろと脅された。
まず、どうやらわたしは、『老師』と、それから『老師』とは以前から親しい偉い人から、ある期待をされている。
「これこれこんなふうにここを変えていきたい、理想とするのはこういうやり方だ」というのがあり、その方向に進む手下としての役割だ。
いくら偉い人でも、ただトップダウンで言っても細かいところは自由にできなかったりする。
作戦地域に、自分の手の者を、工作員としてひそませておきたい。
その第1号がわたしのようだけれど、果たしてご期待に添えられるだろうか。
求められていることのハードルが高かったら、そんな面倒なこと、したくないんですけど。これからはのんびり「契約がなくなったら」という心配をしないで働きたい、と思ったのに。
それからたくさんいるいろいろな人たちは、やはりくせ者揃いなので、いわゆる「人間関係」はいろいろあり、厄介そうだ。
これもわたしとしては、「9時から5時まで」精神で乗り切っていきたいのだが、そういう淡白さを好まれない職場である。
往年の「組織が大家族」的な意識を引きずっている。
そんな時代劇の大店みたいな大家族で、ずーっと変わらない「でっち奉公」みたいなのを続けるのは嫌なんですけど。
でっちは5時になったら帰りたい。帰った後まで仕事のことを考えたくない。
「水まいとくれ」「はーい」 「これをどこどこまで持っていっとくれ」「はーい」 てな仕事をしたいのだ。
そしてラスト、恐怖の脅しが。
「**さんに気をつけたほうがいいよ」
**さんは話好きで、つかまったら1時間2時間はなしてもらえないそうだ。
特に、帰り際に**さんに話しかけられたら、そのまま1時間は帰れない。もちろん正当な理由ではないので、「超過勤務」(=残業)とはならない。
誰もが**さんの長話に悩まされた経験がある。
「**さんとこの契約社員的スタッフのOさんいるでしょ、あの人も最初の頃ずいぶん困ってたね。全然帰れないって。2,3年経つ頃には相手にしなくなったけどね」
「今は超偉い人になったPさんも、前に言ってましたよね。あの人が来ると仕事にならないって」
そしてこういう人だから当然、「**さんは新しい人が好きなんだよ」
そりゃそうでしょうね、素直に聞きますもんね。心の中でどう思っても。
そして「**さんの話は切れ目がないから、絶対に途中で切ることはできないよ」
猛者の部長補佐秘書さんも「私もあそこに行くとどうしても切れなくて、すごく長くなるから困るんですよ」
そんなの、わたしにとっては一番のストレス。
お金のつかない労働、しかも自分の直属の上司でもない別部署の人の長話を、無駄に聞き続けなきゃならないなんて。しかも毎日。
――これだけは避けたい。なんとしても。
でも「避けられませんよ」と『老師』もパート的部長補佐秘書さんも言う。
そんな生活、2,3年どころか、2,3ヶ月もわたしには無理!
この話が一番恐怖だった。どうしたらいいものやら。