スーツ、そしてそれに象徴される今後のこと(シリーズ:翌4月からの仕事)
わたしを後押ししてくれた、パート的スタッフの部長補佐秘書さん。
それから公的立場はパート的スタッフだが、かつての部下たちが偉くなっているため隅に置けない『老師』。
でも極端につきつめれば、こういうありがたい人たちだって、わたしを後押ししてくれたのは、「やりたいからやった」わけである。
いや、ありがたいのである。
たとえ実際の権力はないにしても、陰で応援してくれたことが、実権のある偉い人の心にもいい印象を与えたかもしれないし。
わたしのようなものの背中を押してくれて、身に余る光栄なのである。
だけどね、やっぱり、それはやりたくなければやらなかったことなのだ。
つまり、やりたいからやったことなのだ。
たとえば『老師』には、わたしはホステスとして尽くしてきた。特に最後のラストスパートあたり。
結局、『老師』の情報はかなり適当で、うさんくさいものだということが分かったが、それでもまあ、人脈のないわたしには重要な人脈である。
『老師』は、自分を主に盛り上げてくれる下っ端がいるのは、そりゃ楽しいことだから、飲み会ではわたしはかなり重宝されている。
また、今となっては公的な権力はないし、かつては自分より後輩だったとはいえ今は偉くなった人たちには、やはりそれなりの礼を尽くさなければならないし、偉い人たちは『老師』になんでもかんでも話してくれるというわけではない。だから『老師』は、あまり「人脈」にはならない。
そんな、上を狙う人たちから実権のある偉い人ほど頼られない『老師』だから、わたしのように『老師』が重要な人脈だとして持ち上げる存在は貴重である。
純粋にわたしを「いいやつだ」と思って推してくれてる部分もあるかもしれないけれど、『老師』の都合ってものも確実にあると思う。
――ついでにつきつめれば、純粋にいいやつだと思ってくれているのも、『老師』派を演じているわたしなのである。仮面というか、ホステスというか、地のままではない。
地のままでサラリーマンをやっている人なんて、いないかもしれないけど。
『老師』と2人きりで何時間も何時間も過ごした、さしつさされつの飲みは、ちょっと疲れた。
何人もいれば、会話はあっちにいったりこっちにいったり、あの人と話したりこの人と話したりする。
でも2人きりだと、ひたすら聞いて、ひたすら派手な相槌を打って、ひたすら持ち上げて、ひたすら盛り上げる(よいしょで)しかない。
そういうのにちょっと疲れていたところに、『老師』に進展状況を知らせると、
「大丈夫、採用されるでしょう。飲みに行くのが楽しみです」
「もし採用されたら、あなた大変だよ。毎日飲み会だよ」
と「飲みましょう」三昧。
自分の仕事が不安定だったフリーランスのときは、飲み会というのは非常に重要な顔見せの場だった。
でも契約社員的スタッフになったら、もうクビになることはない。よほどでなければ、ない。顔を売ることもない。
誰かと競争をすることもない。だって、正社員的スタッフと違って、昇級・昇給はないからだ。
正社員的スタッフだったら、出世のためにはまだまだ必要だろうけれど、ずーっと縁の下の力持ちをすることに運命づけられている契約社員的スタッフは、もうあそこまで媚を売る必要はないのだ。売ったって何も変わらないから。
えー もう飲み会はいいですよ。
『老師』は、「あなたに契約社員的スタッフになってもらいたい」と言う。
理由は、「あそこは変革が必要だから」。
『老師』の手先として、少しずつ変革をもたらす人材を、契約社員的スタッフのポストに入れたいのだそうだ。
それには、「**さんじゃダメ、**さんも今ひとつ」、わたしなら『老師』の子分だからいいというわけだ。
それに『老師』は、絶対に契約社員的スタッフになってほしくない人がいる。
今はパート的スタッフのTさん。
その人が契約社員的スタッフになったら、自分に対してすごく偉そうな態度をとるのではないかとにらんでいる。
偉そうというのではないのだろうけど、『老師』がどの程度特別な存在かを十分に感じ取ってはいなさそうだから、「私はあなたより立場が上」という態度をとるだろうと思っている。
それが嫌なのだという。
Tさんにだけはなってほしくない。できれば、自分を尊敬し、持ち上げてくれる人にその席についてほしい。
『老師』を褒め称え、『老師』のやり方が最高だと手放しで持ち上げられたのは、実際には仕事で関わりを持つことがないからだ。
なんでもそうだが、いざ仕事で関わるとなると、誰しも自分の思いややり方があるので厄介なことだ。
だからわたしは契約社員的スタッフになど、なりたくなかった。
ただ、フリーランス的な仕事が減るということと、年をとって実家の事情も変わってきたので、休みにくいフリーランス的な仕事は困る状況になったことで、契約社員的スタッフになるのが良いことに思えてきたのだ。
契約社員的スタッフになったら、変革なんて面倒なこと、考えないよ。
ただひたすら、安穏と仕事をすることだけ、考える。独自色なんて、契約社員的スタッフの分際で出したら、どれだけ疎まれることか。
部長補佐秘書さんのほうが、もっとお母さん的というか、「それなりのところに片づけてやらなくちゃ」「私が仕事を辞める前にね」という感じで、利害がない。
でもやっぱり、「自分が手塩にかけて契約社員的スタッフにした人」という扱いになる。
まだなってないのだけれど、もうそういう感じ。
ブラウスの襟が曲がっている、と注意された。
フリルの襟のブラウスだったのだが、「ちゃんと襟のあるブラウスを買って」と言われた。
別の日、「背筋を伸ばして」とも言われた。
そのときも「ブラウスを買いなさい」と言われた。週に1回、スーツデーがあるからだ。
でも。
スーツって、仕事によると思うけど、今は決して襟付きブラウスを着るとは限らない。
白いインナーならある。
でも面接じゃないから、白でなくてもいいと思う。
技能学校みたいなところだから、就職を意識してのスーツデーなのだけれど、仕事をする上では必ずしもリクルートなスーツとは限らない。そういう姿を見せるのもいいと思うけどな。
わたしは、アメリカドラマでいえば、「クローザー」のブレンダ・ジョンソンみたいなフェミニンな感じがいい。
ほっそりしてないから、あんな格好をすることはないけど、あんなふうにフェミニンなイメージを作りたい。
ブレンダは実はかなり切れる人なのだが、フェミニンな服装と、どこか頼りなさそうだったりうっかりさんだったりするイメージで、犯人をけむに巻く。
部下にも、「調べてくださる?」「お願いできる?」と丁寧な物言いをする。
とてもエレガントで、フェミニンな人なのだ。見た目は。でも実はかなりキレ者なのである。
わたしはキレ者ではないけれど、周囲をほんわかとけむに巻きたい。
それはともかく、正社員的スタッフの人だって、スーツデーにとりあえずジャケットだけはおってる人もいる。
契約社員的スタッフだって、人によってはかなりラフな格好をしている。スーツデーでも。
まだ採用されていないのに、もう既にわたしは「傀儡」認定されている。
あやつり人形。
採用されても、自分のペースでやっていきたい。
たぶん許されないだろうから、いい顔して返事だけして、言うことをきかないという玉虫色の対応でやっていこうと思う。
わたしもずいぶん、この組織でのうまいやり方を勉強させてもらったから。
結局のところ、フリーランス的スタッフでも、そういう人のほうがうまくいっていた、と今は振り返って思う。
わたしは自分のペースでやっていきたい。
でもそれがどんなに面倒なことかを思うと、うんざりする。
採用されないほうがいいんじゃないか、という気持ちもわく。
――とはいえ、本当に不採用になるのは困るよな、といつも打ち消している。