2023.08.27-09.04|一週間の前と後
COVID-19(新型コロナウィルス)に感染した。ついに自分も。
なんだかホッとした。
ふたつの意味でほっとした。
ひとつには、緊張が解けたという意味があった。
ここまでの間、わたしは一度も罹患(りかん)せず過ごすことができていた。
パンデミックの3年間を無傷で乗り越えたが、新型コロナウィルスが2類という分類から5類という分類に変わることで、マスクをしない人も増えていったし、それまでのさまざまな制限は解除されていった。スーパーで並ぶときも前の人との間隔を1m以上取るルールや、飲食店の営業制限もなくなった。
周囲ではコロナ経験者が増えていた。いつか、コロナ未経験者の方が少なくなり、かかっていない人のほうが少数派になるかも。かかっていないために恐怖感がある。「1ヶ月経つ今でも咳が出て喉が苦しくて」などという話を聞くからだ。(しばらく経ってから、思った。AさんもBさんもCさんも1ヶ月くらいのときは「今でも咳が出たり、胸が苦しかったりするんですよ」と言っていたけど、3ヶ月経つ頃には聞かなくなった。つらい症状があったら多くの人は話に出すものだから、きっと後遺症は1ヶ月くらいで収まるんだな。)
かからないのはいいことだが、恐怖の3年間の後だからノーガードで生活する勇気が出ない。一歩外に出るとやはりマスクはするし、しかし周りにはノーマスクの人も増えているので不安。
かかった人は気持ちがゆるむようだ。でもかかっていないので、そこまで思い切ることができない。
かかってしまったことで、緊張がゆるんだような気持ちになった。これがひとつ。
ふたつめとしては、否応なく休みを取れたことだ。
少しずつ始めた転職活動だが、気持ちとしては「少しずつ」ではなく頑張っているつもりだった。
毎日ハローワークインターネットサービスと転職サイトAと資格協会の求人情報をチェックしていた。希望職種の求人の詳細を1件1件丹念に検討していた。それだけで疲れた。
丹念に検討しなければならないのは、生活と老後がかかっているからだ。年齢的にやり直しがきかない転職となる。どうしても転職したいとは思うが、今よりあまり下がると生活していけなくなる。普通、どうしても転職したいならどこかで妥協する。妥協できないなら、「どうしても」という部分を諦める。「いいところがあったらね」くらいに考えておく。今の会社で働いている間は一般的な社会人の顔をしていられるが、転職を具体的に考えたら「その年まで大したキャリアを築いてこなかったくせに、高望みしている人」になる。それを分かってもなお、なんとか転職したいと探しているので、疲弊する。
8月に入り、求人数は激減した。分かっていたことだが、焦る。今年のうちに決めて、遅くても2月までには辞めていたいと思っているのに、間に合うだろうか。
また、辞めるつもりでいた自分は、この職場にいる間にやっておきたいと思うことがいくつかあった。慣れた職場にいる今でさえ疲れる年頃になっているのに、新たな職場に行ったら大変だろう。無理かも――でもやるしかないけど。そんな気持ちだったので、「今のうちに」と思うことがあった。
そんなふうに「いつまでにこれとこれをしなければ」と考えると、心の負担になる。
そんなときはリフレッシュ、趣味などに没頭する時間を作って翌日から新たに頑張るのだ。
が、それもできなくなっていた。
つまり、精神的余裕がなくなっていた……追いつめられていたのである。
そういうときは、ひとつひとつが大きいダメージになる。
ビアパートナーで親友のシキさんとのオンライン通話予定がつぶれた。夏の閑散期に少し時間が取れるからゆっくり話そうと言ってくれていたのだ。
しかし、それはできなくなってしまった。シキさんはコロナに感染してしまった。
コロナ禍、どんな生活を送っているか知っている者同士でないと安心できなかった時代に、他のコミュニティとの接触が断たれたためもあり誕生した“いつメン飲んべえ”グループ。その中でもコアなビールファンとして結成した“ビール研究会”の会員である、シキさん。シキさんは「アルコール消毒と手洗いをしているから、私たちはかかってないね」と冗談のように笑って言うことが多かった。
友達でいられるのもいつまでだろうと思う今のわたしにとって、それは大切な思い出のひとつだった。もう「私たち」ではなくなったんだな、とお互いの距離や生活の違いを実感した。一緒に行動してもかからなかった同士という絆を失った。
なんだか取り残された気持ちになった。シキさんにとっては自分など大切でもなんでもない知り合いに過ぎない、とネガティブになった。
自分が病んでいるなと思っても、どうにも復調できない。疲れていると分かっていても、心から休むことができない。やらなければならないことがあったのに、しなかった、という焦りにつながるだけ。
「休みを取れば?」と助言してくれる人もいたが、有給休暇は転職活動でも使うことになるし、そのほかに使う予定もある。無理!!
それが「コロナになった」ということで、すべてリセットされた。
月曜の朝、出勤して2時間くらい経った頃、なんだか自分が温かいように感じられた。体温を測ってみたり、かぜ外来の予約を取ってみたり(16時の枠しか空いてなかった)、様子を見たりしたが、お昼になっても温かいのは治まらず、また熱を測ってみると39度になっていた。
これはたぶん絶対いわゆるコロナだ。かぜ外来の予約時間までまだずいぶんあるが、このままここにいて人に移すわけにはいかない。仕方ないので早退した。
かぜ外来の診察が終わったのが終業時間の10分くらい前で、すぐに職場に連絡した。
「医者はなんて言ってるの?」
「今日から5日間外出しないように、と」
「じゃあ、金曜日までか」
「そうですね」
今週いっぱいは出社しないということで、薬局で薬をもらって帰った。
火曜日から日曜日までの6日間、ずっと家にいた。日曜の夕方は少しだけ散歩した。翌日から仕事に出るので、リハビリ散歩だ。一応、医師に指示された5日は過ぎていたし。
実はわたしは熱があっても動ける。体温計は40度を示していても、立ったり座ったり、割と普通の生活をすることができる。ずっと寝ていなくてもいい。
もちろん普段より動きも緩慢で、ぼんやりして、気力や活力はない。
病院から帰って、その日はなるべく横になって過ごしたが、翌日からは家の中では普通の生活をした。
でも、気持ちが違った。コロナになってしまったから仕方ない、5日間はどうしようもない。何もできない。という気持ちになった。
熱はだんだんに38度、37度と下がっていった。毎日、ビール日記を書いたり、ドラマや映画を見たりしながら過ごした。一応、1日1回、ハローワークの求人をチェックしたが、転職サイトは見なかった。
ありがたい1週間だった。
新薬と言われていた新型コロナの薬をもらったので、それが効いたのか。それともこれまでの4回のワクチンが効いていたのか。
咳は最初にほんの少し出そうになる徴候を感じたが、もともと気管支が弱いので咳が出そうになったらなるべく我慢するくせがついている。咳によって喉が荒れて咳がひどくなる、という負の連鎖が始まるからだ。出さないようにしていたら、ひどくなることなく収まっていった。
そのため、本当にのんびりした気分で過ごすことができた。
有難い1週間だった。コロナ休暇と心の中では思っている。症状が軽かったから言えることだけど。有休休暇が減ってしまうという心配もしなくて済んだ。
この1週間がなかったら、どうにかなっていたに違いない。
月曜に発症したおかげで、週末までの6日を連続して休むことができた。
不思議なことに、夫には感染しなかった。ずっとマスクはしていたけれど、同じ家にいたのに。
夫のワクチンが効いていたのかな。
野球会のすぐ後の日曜日、家で『京都醸造』の〈茜〉を飲んだ。
出勤するようになってから、普段使いによく飲んでいるシリーズをテイスティングしてみた。味覚がおかしくなるという後遺症について、いろいろ言われていたからだ。UNTAPPDで「コロナになってからビールの香りや味が分からなくなった」という嘆きの投稿も見たことがある。
おそるおそる飲んでみたが、どうやら大丈夫そうだ。よかった~~!! もしかしたら少し変わってしまったかもしれないが、鈍感なわたしには分からない程度の差みたい。
職場では、同じ日にケイさんも具合が悪くなり、夕方にはサクラさんも体調不良で帰ったとのこと。明らかにあの賑やかで満杯のHUBだったなと推測。
人に言われてもタスクを捨てられなかった。自分で疲れを自覚しても捨てられなかった。やるべきことと自分が考えている物事に囚われていた。病気という強制力のおかげで、立ち止まって深呼吸することができた。
休んでいる間に、8月が終わった。
