好みは人それぞれだからレギュラーは複数いて可(夫との意見の相違)
「ゲーム・オブ・スローンズ」がとても面白い話をしたら、夫はもう10年以上言い続けているセリフをまた言った。「でもそれ、群像劇なんでしょ」「群像劇はおっさんだからついていけないんだよね」
――もう何回も聞いているから分かったよ。
夫は1人の視点で物語が描かれるのが好きで、複数のレギュラーメンバーのそれぞれの視点からかわるがわる描かれたり、場面が転換したりするのはついていけないから楽しめない。と主張する。
マイケル・クライトンの小説を読んで2人とも面白いと思い、「ER」を見てみたら夫は「場面転換が多すぎてついていけない」と言い、それ以来口癖なのだ。もう10年どころか15年にもなるか。
わたしがアメリカドラマを本格的に見るようになったのは、スカパー加入以降なので、本格的に論争が始まったのもそれ以降ではある。
流れはいつも同じなので、ここで繰り返すのも面倒になる。
話し合わなければ言い合うこともないので、話さなければいいのだけれど、面白いと思うとつい「面白い」と言いたくなってしまう。
夫の言い分も分かる。
1人の視点で進めていったほうが、ストーリーは分かりやすいだろうと思う。
まず本筋の反論としては――
・複数の状況が描かれたほうが、物語の厚みが増す。
1人の視点を中心に描かれる物語であったとしても、敵側の思惑や部下の事情などの描写が挟まることはよくあるではないか。
・複数のレギュラーといっても、すべてが等価の複数メンバーではない。
そこには重みがつけられていて、画面に映っている時間も語られている時間も全員平等に同じではない。ストーリー展開の都合や人気の度合によってランキングがあるのだ。
・経済的見地から、複数のレギュラーがいたほうが、ファン数も増え、層も広がる。
たった1人しか主役クラスがいなかったら、その主役か、それに対抗する悪側のスターを好きになってもらうしかない。それ以外の視聴者層が離れてしまうではないか。
脇筋の反論としては――
・おっさんだから、とそれですべて許されるかのように言うけれど、「ゲーム・オブ・スローンズ」が好きな中年や高年はいないわけじゃない。そういう人たちは理解しているし、話についていけてるんじゃない? つまり、年は言い訳にならないんじゃない?
・そうツッコむと、「自分は」と言い直すけど、前にわたしに自分で言ってたよね。「新しいものを受け入れられるかどうかなんじゃない?」って。年を取ったと感じるのは、「新しいことを受け入れられないとき」――たとえば若者が使う便利なツールや、若者たちの価値観・文化が理解できずに「もう年だ」とつい言うけれど、そのツールを便利に使っている同世代や年上世代もいる。新しいやり方を受け入れて、同じように行動している中高年もいる。(時にそれが痛い人もいるが。)「年だから理解できない」のじゃなく、「新しいものを受け入れられない」ってことが「年」の正体なんじゃないか。受け入れたくないものを受け入れるのが「柔軟性」だと言うつもりではないんだけど、その切り捨て方が、「試しもしないで切り捨てている」ように見えるからさ。
夫との意見の相違は、まあいい。
こういうのはどこまで話しても埋まらない溝なんだから仕方ない。
経済的に見たら、レギュラークラスが複数いたほうが、数多くの人をつかめるように思う。
1人が主役のドラマも多いし、それもファンがたくさんいて面白いけど、こういうタイプのドラマがあるのもいい。
ドラマにはその舞台の世界観とか雰囲気みたいなのがあるので、レギュラーが複数いたからってそれで単純にファン数が増えるとも限らない。その世界観に合うキャラクターがレギュラーなわけだから、そもそもその世界が好みでない場合は何人いても、そのキャラだけのために見る可能性はちょっと低くなってしまう。
わたしにとって、そのドラマ世界が好みとマッチしなくて見ていないものといったら、「ゴッサム」とかかな。
同じCSIでも、わたしは「ニューヨーク」だけが好きだった。家族は本家ラスベガスの「CSI」と「ニューヨーク」を見ていた。CSIチームにはメンバーが何人もいて、刑事も出てきて、科学と捜査の両面から事件を解決するのはどれも同じなのに。
「ゲーム・オブ・スローンズ」にはもちろん、色濃い世界イメージがある。
架空の中世的ファンタジー世界なのだから当然だ。
でもこの世界は風土や文化の違う広い土地にまたがっているので、通常よりいろいろなキャラが同時に存在できる。
好みで見るにも、よりどりみどり。
--------------ここから先はある意味どうでもいいこと----
わたしが好きなのはというと、ドラマなので理由も適当で、人もいろいろ。
ネッド・スタークはやっぱりよかった。雰囲気とか。やっぱり好き嫌いって、役者の魅力もあるよなー。
ブランドン・スタークは顔立ちが可愛らしくて。
だから後半になってちょっと大きくなってしまってからより、Season1とか2くらいのブランがよかった。見ていて、整った顔だなーといつも思った。
サンサ・スタークも顔立ちが可愛らしくて。
これはもうシーズンが進んでもそうだ。アリアのほうはそれほど好みの顔じゃなかった。
ロブ・スタークはSeason1のときは他の人との区別があまりついていなかった。
ジョンとかシオン・グレイジョイとか似たような年に見えるグループの一員でしか。
それが北部の王となって戦うようになってから、ハスキーボイスがいいなぁと思うようになった。
これは、キャラと顔と声のためかな。
王都では、ヴァリス。いいね、この人。
ブロン。「リッパー・ストリート」で見たのより明るい(?)役柄。
ベイリン公。
ティリオンは好き嫌いを超える存在感なんだよね。
ジェイミーは最初から好きだった。たぶん顔のせい。
旧「Aチーム」のフェイスマンと同じタイプの甘いマスク。フェイスマンのダーク・ベネディクトが大好きだったから。
ジョフリーは典型的もいいとこのサディスティックな狂王っぽい人物だけど、よくこんなぴったりに見えるなーと感心して眺めてしまう。演技もだろうけど、役者の顔立ちやいでたちを役にぴったりに見せる技術もすごい。
ジョン・スノウはかっこよさがわたしには分からない。このタイプの顔立ちの人っているけど、いつもそうだから好みの問題だと思う。
なぜかキャトリンの良さは分からない。