アガサ・クリスティの良さは、雰囲気の良さ
年をとったからか、もう10年くらい前から新しい本をあまり読まなくなった。
これまでに読んだ好きな本を繰り返し読むのが関の山。
アガサ・クリスティは高校生くらいの頃にはまって、全作品を集めた。
集めた作品は何度か読んだ。
さすがに何度も読むと話の流れも覚えているし、犯人も「この人だったっけなー」と思い出すし、ここ10年は読んでいない。
たまにふと手にとって読んだ何冊かは別として、たくさん読むことはなかった。
それがお正月に実家ですることがなくて、置いてあったクリスティ本を読んでから、また読みたいと思うようになった。
ちょうど3月頃は心安いものを読みたい時期だった。
暇はあるけど、心が落ち着かない。
だから読んだことのない本にガッツリ取り組む気にはなれないし、ジェイン・オースティンほどじっくり腰を据える気にもなれない。
で、アガサ・クリスティを何冊か読んでみたくなった。
クリスティの何が好きかって、雰囲気だ。
わたしはミステリーが好きだったが、別に推理を楽しみはしなかった。
事件が起こって、それによって登場人物の秘密が露見したり、人間性が現れたり、人と人の関係が変わったり、人間同士のいろいろが起こったりする――それが面白い。
普通の小説だったらそこまで行くのに時間がかかる。それがミステリーは、たいてい殺人などの強烈な出来事が核になっているので、登場人物たちは一気に表面の皮をはぎとられ、互いに絡み合って物語を織りあげていく。それが面白い。
わたしは犯人当てをしない。読んでいてなんとなく「この人が犯人かなー」と思うことはあっても、当てようという気持ちで読むことはない。
トリックに感心するということもない。
細かく「何時にどこどこにいたから、こうでああで、アリバイがあるのないの」と説明されるのは、ドラマだったら聞いてないし、本だったら頭に入っていない。
そんなふうに読んでいるので、「アガサ・クリスティは雰囲気命」という思いをまた新たにしたのだった。
絶景ミステリーと同じである。
「ミステリー・イン・パラダイス」「シェトランド」「ヒンターランド」「モンタルバーノ」その他のさまざまな絶景ミステリー。
ストーリーもいいが、美しい景色がいい。
自然や、家々の造形や、街並みや、何やかや。
クリスティも英国の雰囲気がいい。旧き良き英国。
「昔はこうだったのに、今ではこんなですわ」という時代を背景にしていても、やっぱりそれは今からすれば古い時代なのだ。
メイドがいたり、「今日び、メイドなんて雇えませんもの」と言っていたり、でもそういう人たちはまだ階級として存在する時代。
意外に今も昔も人間て変わらないと思うようなセリフが多くある。
そういうものなんだなぁ、と思う。
維持していくのが難しくなってきた旧邸宅。
戦後、外国から流れ着いてきた人々。それによって変わっていく英国。
インドという巨大な植民地を失い、世界中の植民地が縮小し、人々の暮らしは豊かさを失いつつある。
それぞれの国が国内にピラミッドがあるのに、英国のピラミッドは植民地が下部を支え、英国そのものはピラミッドの上部にあるような仕組み。
「インドにいた頃は、18人もの使用人がおりましたのに、今ではやっと1人雇えるか雇えないかですわ」
崩れかけているとはいえ、まだ芳しい上品さをとりつくろっている英国。
愛情ある視点で描かれ、頑固で四角四面なイギリス人がほほえましく思える雰囲気。
でもほのぼのストーリーではないのだ。
アガサ・クリスティはジェイン・オースティンに通じるところがある。
温かい目で見ていながら、決してごまかされない。見る目が鋭いのだ。さらっと人間の本性を描く。
古き良きイギリスにも、古いだけに面倒くさい人同士のつながりの構図にも、いずこも結局は同じ人間性の物語にも、たっぷり浸れる。
この雰囲気こそが、クリスティの魅力であり、うまみである。
年をとっても手放せない。ときにはこの世界に浸りたくなる。